もう一つの思考

            身体側の感情の使い方


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怒り

更新6月15日
一番気になるのは癇癪だと思う。これは、もちろん、経験を積んだ方が良い。
頭側の人なら、怒るのを我慢して、冷静に話し合う事が良い。としているにも拘わらず、国会や政治討論の場で、ヤジや暴力などが普通にある。なぜ、冷静に合話し合う事が出来ないのか、不思議ではある。言っている事とやっている事が違う。これは、矛盾が起こっていて、悪いのは身体側の方。つまり、身体側の教育が足りていない人達、となる。
これは、頭と身体の優先順位で、身体の方が頭の理性より反応したが為に止め切れず、ヤジや暴力など出てしまっている。
でも、身体側は、この身体が反応した怒りを、操らなければいけない。操るというのは、的確に使うという意味。頭でも、ここでは怒っても良いけど、そこは怒ってはいけない。や、そこまで怒る事ではない、など色々あると思う。それが、身体側でもある。もちろん、頭側の人でも、身体側の怒り方は覚えないといけない。これは、頭側と身体側の違いのページで言った、身体側の横側25から75の部分で、その部分は頭側の人も教育を受けないといけない。それをしていないと、先程の例の様に、ヤジや暴力が出てしまう。身体側の人は、頭側の人と違い、1から100の方になる為、主で使う。その為、怒れる幅が大きい。というのと、これは、武器であり、使い方がある。
まず、操らなければいけない理由。
人は怒ると何をするか分からない。というほど、怒る事がある。でも、人である以上、して良い事と悪い事は、何時何時でも分かっていなければいけない。この分かる。というのは、頭だけでなく、行動に移せないと意味はない。この何をするか分からない怒りは操れる。
これを操るには、身体に教える必要がある。なので、小さい内から教える方が良い。大人になってからだと、手に負えない、と思う。それは、出来る事が多い為で、身体が大きいとか、使える道具も多くなるので、とても、教えられる状況ではない。ただ、全く教育できない訳ではない。
では、どうやって、教えるのか。それは、癇癪を起こしたときの対応で教える。本など、物を投げるくらいなら、放っておいても良い。でも、それを人に向かって投げたなら、怒らないといけない。そのとき、怒った事により、子供は泣くと思う。このとき、泣いても許してはいけない。何で投げたのか問い詰めないといけない。泣く事で、怒られた気持ちは消せる。つまり、冷静に話を聞ける状態ではある。そして、話し合いをする事により、身体が、それはしてはいけない、と覚える事が出来る。
泣いた後、気持ちを消せるといっても、どれが、気持ちを消していて、どれが嘘泣きなのか。それと、話し合うのは、具体的にいつなのか、分かり難いと思う。
例えば、子供が悪い事をして、親が謝りなさい。と言うと、子供は、暫くの間堪えた後、泣き出し、落ち着いたら、謝る。これが、一連の流れで、分かり易い例である。
例えば、子供が悪い事をして、親が謝りなさい。と言うと、子供は、すぐに泣き出した。これは、嘘泣きになる。これをすると、怒られた事自体を消す。なので、怒られた事にならず、直す事も出来ない。だって、怒られていないんだから、直す必要が無い。この場合、してはいけない事をしたなら、もっと怒る必要がある。すると、一旦、泣き止む時間に入る。これは、怒られた事を無くした後の落ち着きなので、まだ、怒らないといけない。すると、また泣き出す。この泣くは、分かり易い例の泣くと同じになる。説明すると、怒られた事を消し冷静になった。冷静になった為に、怒れた内容が分かる。その事に対し、思う気持ちがある。自分は悪くない、とか、強情な部分。それを、泣いて消している。その後、冷静に話し合わないといけない。話し合うときは、一番初めに何が悪いかを言い、その補足をする。分かり易い様に悪い事が何か、何回か言うのも良い。三回言えば、大体いける。このとき、怒る内容は一つが良い。それは、二頭を追う物は一頭も追えず。と同じで、躾がぶれる。なので、重要な方を強く言った後、話し合うと良い。一つだけでなく、二つ、三つと子供の状態によっては教えられない事はないが、これは、身体側の人か、躾慣れしている人でないと難しい。何事でも、いっぱいいっぱいのときは、もう、物事を覚えられない。最悪、覚えた事さえ、出来なくなる事もある。なので、絶対してはいけない事以外は、一つで止めておくのが良い。
ただ、こういうのは、心に残る。もちろん、心に残らないと、身体は覚えられない為、心に残っても良い。どうせ、気持ちを操れば、それは、消せる。でも、消すまではフラッシュバックする事もある。こういうのは、大人にならないと分からない事もある。特に身体側は、成長しないと理解できない。頭側と身体側の違いのページで、臨機応変に対応するには、その全てを知っていないと出来ない。と言ったが、それと同じで、怒られた理由を全て知っていないと理解し難い。それは、親がどういうものか、叱り方、人を傷付けたら取り返しがつかない事もある、世の中を生きるには皆に合わさないといけない、人間とはどういう風に生きるものなのか等、子供では、難し過ぎる事も覚えないといけない。それにも理由はあると思う。例えば、心に強く長い時間残っていた方が、身体は忘れ難い。躾された事をすぐに忘れたら、怒った意味も無くなる。大人になれば、こういう、身体に残す時間なども自分で操れると良い。この場合、頭で判断する事も必要になる。

でも、子供にとって、辛い事になるんじゃないの、と思うかも知れない。でも、身体側というのは、そういうもので、行動に起こすと、全て受け渡しになる。相手を叩けば、傷付くのは相手で、それで相手が自分を叩いて来たら、傷付くのは自分になるが、受け渡しな為、一回ずつならあいこになる。ただ、行動の場合、自分が体験した事しか覚えられない。要は、自分が相手を叩き相手が泣いた。なら、分かるのは、叩いたら相手は泣く。自分は気を晴らした為に気分が良い。という事しか分からない。なので、自分がした事を知るには、自分がした事と同じ事を受けないといけない。ただ、頭側と身体側の違いのページで言った様に、身体側で言う、一回は、頭側の一回とは違う。が、これは、そのページでも説明した様に、かなり難しい。なので、頭側の一回でも良い。
身体側の事は、体験しているなら、理解できない訳では無いと思う。つまり、あらゆる体験をしておくと、身体側は成長できる。
イジメがエスカレートする理由は三つあり、一つは、この自分がした事しか分からない。という奴。後の二つの内一つは、気持ちというのは、一回目は小さな事でも気が晴れるが、二回目は、同じ事をしても、慣れがある為に気が晴れない。なので、同じ様に気分を晴らすには、もっと酷い事をしないと気分が晴れない。もう一つは、優先順位。身体側の教育をされていないと、身体側は、すぐに反応する。すると、頭を鍛えていても、身体の反応には勝てない。なので、行動に起こしてしまう。
頭側の場合は、事柄を分かる事が出来る為に、事柄さえ理解できれば、それで済む。ただ、何回も言うが、頭で分かっているだけでは駄目。人間である以上、それを行動に移せて、初めて分かった、事になる。
行動に移す。というのは、何でも辛い。例えば、家事でも、疲れる為に身体は辛い思いをしている。だったら、家事はしなくても良いのか。そういう訳では無いのは、誰でも分かると思う。例えば、大昔なら、食べ物を得る為に動物を狩っていた。動物を狩るのは辛い為、死ぬまでじっとしていた。それは、おかしいと皆分かる。学校まで歩くのも一緒。車で送って貰った方が楽だ。でも、それでは、今後、生きて行けない。
考えて欲しいのは、例えば、身体を使う趣味などするとき、身体を使った為に疲れる。だから、辛いはずなのに、また、したくなる。これは、どう考えてもおかしい。辛い事はしたくない、でもしたい。人間には、気持ちという、裏腹な物がある。それを使って、身体を動かせる様になっている。詳しくは、この後に題で出している、気持ちの部分を見て欲しい。もちろん、気持ちも操れる。

怒りの使い方は、いっぱいいっぱいになった時で、頭がいっぱいいっぱいになった時も使える。要は、溜まっているものを吐き出す時に使う。溜まってもいないのに使うと、よくない。それは、浮かれる落ち込むで言うと浮かれる方向に行くから。
我慢もいるが、これは、気持ちの操作になる。我慢をすれば、怒りは大きくなる、これも使い方がある。頭で考えた場合に、怒りを抑えないといけない時もあるが、これは、頭側の人が勝手に教えてくれる。
まず、冷静に事を運びたいとき、我慢をしていたら、それが身体を動かす上で邪魔になる。なので、癇癪を起こし、リセットする。これは、注意をされたときも同じ。その事が、いつまでも頭に残っている等あると思う。これは、考え納得した後、消す。そうしないと、動きが鈍る。
癇癪を起こしたとき、大きな声を出す。物を投げる。など、大きさがある。これは、精神を鍛えているかどうかで、どのくらいでリセット出来るかどうか決まる。先程、イジメのときに言った、同じ事、初めての事などでもリセット出来る大きさは変わる。精神が弱ければ、大きく怒っても、なかなか気持ちなど消せない。逆に精神を鍛えていると、小さな怒りで、我慢している事全てを消せる。ただ、自分の気にしている事など、人によって、何が小さく何が大きいというのは違う。なので、事柄では計れない。
経験を積む。というのは、身体にしてはいけない事を覚えさせる。癇癪を起こしていく事で、してはいけない事をしない様に訓練する。気持ちを操る。我慢などして、精神を強くする。
気持ちを操れれば、使い時を上手く出来る。
見せ掛けの癇癪も起こせる。これは、初めだけ、本気で怒る。あとは、その流れで嘘を付けば良い。これは、頭側の人に対して使う。それは、頭の場合、感情は無い為、受け渡しが出来ない。なので、嘘を付く必要がある。ここで、怒る感情を使うと、吐き出しを多くしてしまう為、自分にとってもよくない。なぜ、頭の場合、嘘でしないといけないのか。それは、頭でされた事は、頭で対応しないといけない。要は頭と身体が繋がっていない為、頭は頭で対応する。でも、頭は鈍い為身体側で対応する、となると、そういう使い方をしないといけない。嘘と本気では、相手に与えるものも違う。嘘の方が軽い。要は、頭対頭でも、身体に影響はある。初めが強くても、後が何もない空の状態なら、最終的には平均して、頭で対応したのと同じくらいの影響で済む。これは演技ではなく、そういうやり方。演技だと、また違って来る。
演技と嘘の違い。演技だと想像でしてしまう為、現実と違う動きになってしまう事が多い。でも、嘘は現実の動きで出来る。試しに、嘘で怒ったと、演技で怒ってみると良い。ビデオに撮るなどすれば違いが分かると思う。

注意などの怒り方

更新6月20日
もちろん、注意するときにも怒りは使う。
怒るときに、つい、感情任せに怒ってしまった。や、つい、手や足を出してしまう人もいると思う。感情や怒り、手を出す、というのは、身体側の物になる。
怒りは頭側にもある様に思うかも知れないが、頭側の怒りは、文面で怒っている感じで、そこに感情は無い。簡単に例を出すと、あなたは私からジュース代を借りた。それを期限が過ぎても返さないあなたは悪い人だ。その行為を私はとても遺憾に思っている。この文章が、お金を借りた機械、ATMなどから、文面で出て来た。すると、あーそうだね。くらいにしか思わないと思う。それは、機械があなたを詰め寄る事はないからだ。今の例は、感情を出さないでいられる様に書いたが、頭は本来、そういうやりとりしかしない。頭を使えるなら、その文面を見て、お金を返さないといけない事はすぐに分かるし、怒っているのも分かると思う。なので、自分が何をしないといけないかも分かる。これが、頭側の怒り方と教育の仕方。教育は、内容で、全体の内容と、自分が何をしないといけないか、という中身。
これが、機械でなく人間なら、それとなく言う。とか、問い詰める、など行動に出ると思う。その行動すべてが、身体側の物になる。

まず、怒る感情を使っての叱り方。身体側は、100から。つまり、頭側と身体側の違いのページで書いた、身体側の部分、全てがあてはまる。
怒るときは、極端に怒る。この極端は、事柄に対し全部。
叱る時間で言うと、怒るまでの速さは一瞬にする。怒るときは、一目で怒っていると分かる様に、誰も手が出せない様な感じで激怒する。この、誰も手が出せない、というのは、今日はおかんむりみたいなので、そっとしておこう。と家族間で言ったりする事があると思う、その事。
叱るまでの時間が一瞬なのは、何に対し怒っているのかを明確にする為で、身体側の人だと、違う行動に移行したら、その移行した後の行動に対し、怒られていると勘違いする。なので、すぐに怒る事が大事。
これは、一般の、ハイハイなど動き出した赤ちゃんから、高校生くらいまでも、頭側の怒り方より、この身体側の怒り方の方が通用し易い。

怒る期間。これは、行動に移すまで。ただし、その行動を知っている。もしくは、教えている場合に限る。
例えば、何回言っても、服を脱いだら脱ぎっぱなしで、それを本当にどうにかさせたいときは、これが役立つ。それは、どれだけ怒っているか一瞬で分かるからだ。この場合、何が何でも行動に移すまで、その相手に対し怒る。目を背けてはいけない。
良くあるのは、怒るだけ怒って、あとは、自分の作業に戻る。これは、してはいけない。なぜなら、相手に怒鳴るだけで気が済んだ。と思わせる事になるからだ。なので、行動に移させたいときは、相手が行動に移しその行動が終わるまで、その相手に対しずっと気が狂った様に怒り続ける。人間は、そうしないと行動に移せない。これは、何回も言っているにも拘らず、脱ぎ捨てる事しかしない、子供、旦那などいると、良く分かると思う。

この例を、初めての人に教える場合。怒るときは一瞬だけ。服を脱ぎ捨て、立ち去ろうと一歩あるいた瞬間、こ。だけを大きな声で、こらっ。と言う。すると、大抵の人は立ち止まる。それは、何か言われている、とは分かるからだ。でも、内容は、まだ、理解していないと思う。ここからの口での注意は、頭側の文面に移行する、まず、脱ぎ捨てられた服に指を差し、洗濯機まで持って行きなさい。と軽く言う。子供なら、素直に聞くと思う。そのとき、洗濯機のある所まで、子供の後ろをついて行き、確認すると良い。そのとき、子供は親を見ると思う。良い行動、正しい行動をしたなら、一秒の間に笑顔で頷くと良い。教えるときは、それだけで良い。上辺の褒めるを使うと、次も意識してやってくれる率は上がるが、親の見ている所だけ等、条件付きになる。これは、褒められたい等、条件付きでやっている人なら、簡単に分かると思う。気を付けて欲しいのは、身体側の物は自分が体験した事しか分からない。その上、人は自分基準で物事を考える。つまり、自分がしている姿と他人がしている姿が同じでも、全てが同じではない。同じ姿なのは、そう思った部分だけで、それ以上に想像を浮かべて行動してはいけない。例えば、自分は脱いだ服を洗濯機に入れる。これが普通の事。子供が脱いだ服を洗濯機に入れる。同じ行動なら、これも普通の事になる。これをいつもしないからと、ご褒美を上げたり褒めたりすると、おかしな事になる。要は、脱いだ服を洗濯機に入れる事が褒められたり、ご褒美を貰えるほど、凄い事だ。と勘違いさせる。なので、褒めたりしなくなると、子供は、その行動を意図してしようとしなくなる。それでは、困ると思う。それは、脱いだら脱ぎっぱなしがよい事ではないからだ。なので、ちゃんと基準を知って、その通りの態度、意思表示をするのが一番良い。いつもにない、や、初めて出来た。というのは、自信がご褒美になるので、他のご褒美は、その自信を薄めてしまう為、要らない。
この例は、普通の人に対しての教え方。普通にやる。上辺でやる。は、トーナメント表で言うと、身体側の指導を受けた前者なら、一番上が出来た事になる為、全部の項目で、なんなく行動に移せる。要は、それが普通、という奴。で、全部の項目は、褒められない、一人のとき、疲れているとき等の項目。頭側だと、1からになる為、トーナメント表の下から、埋めて行く為、部分的になってしまう。これだと、常に、という訳には行かない。身体側の最後の笑顔は、褒めるに入らないのか。それは、始めに悪い事をした為に怒った、受け渡しの分なので、正しい行動が出来た為、イーブンに戻しただけ。なので、この笑顔は、怒った分しかしてはいけない。でも、一瞬だけ笑顔もおかしい。なので、笑顔のまま後ろに振り返り、その場から立ち去ると良い。すると、子供に見せる笑顔は、一瞬で済む。

この例を行動だけで教える場合。身体側の人に教える場合。服を脱ぎ捨て、立ち去ろうと一歩あるいた瞬間、こらっ、と今度は、ら。に力を入れて言う。初めの、こ。に力を入れるのと、後の、ら。に力を入れるのとでは、何が違うのか。それは、怒られている感。始めの方は上辺だけで怒っている為、軽く聞こえる。でも、後の方は重心を置いている為、重く聞こえる。これが、本当かどうか試すなら、初めの方は、文字で、大きな、こ。小さな、ら。を書き、その通りに声に出す。後の方は、小さな、こ。大きな、ら、と、ー。を書いて、その通りに声に出す。と分かり易いと思う。
口で言った次は、服を指差し、服を取るそのままのジェスチャーをする。このとき、分かり易い様に自分の手を子供に注目させる。と同時に、子供に服を掴ます手と同じ手で誘導する、だけでなく、子供と対照的、要は目の前でやると右左が逆になる為、子供と同じ立ち位置でそれをやる。要は、横並び、子供の手が右なら、親は左手で触れ合える状態で、その動きを見せる。行動で見せる時は、絶対にこれをしないといけない。つまり、行動で見せるときは、同じ立ち位置。それと、このジェスチャーをするときの距離は別に近くなくても良い。この距離は、絶対しなさい、という基準の距離になる。例えば、人に注意するとき、始めは遠目から言っていたが、言う事を聞かない為、わざわざ近くに行って注意すると思う。それと同じ事。
そのジェスチャーを見せても、服を取らない場合、一回目と二回目でやり方は変わる。一回目は、頭側の様に機械的に穏やかな感じで、子供の手首を掴み、服に近付ける。手の甲にそのまま自分の手をくっつけ、自分の手を、掴む仕草の手を折り曲げると、子供の手もその流れで、掴む仕草になると思う。このとき手は子供と同じ、右なら、右の手が良い。服を掴んだら、再び手首を持ち、服を持ち上げさす。このとき、子供が服を落としたなら、今度は、服を掴んだまま、要は手を被せたまま、子供の手ごと服を持ち上げる。次に、服を持っていない方の手首を持ち、洗濯機まで誘導する。このとき、子供が服を落とす様なら、子供の手を掴んだまま、もう片方の手で、服を持っていない方の手を掴み、誘導すると良い。誘導するときは、先程と逆で、親が先頭。そして、洗濯機のある所までたどり着いたら、洗濯機に対し、二人とも洗濯機から同距離になる様に横並びになり、子供の手首を放す。
そして、自分の手に注目させるが、このとき、手は、子供の手と同じ、洗濯物を掴んだ手で見せる。その手を洗濯機の上にあげ、そこで、手をパーに開く。この一連の動きは、子供に見せる事。洗濯機の中で手を開いても、子供には見えない為、その動きは出来ない。なので、洗濯機の上で手を開く。それを見せても、行動しない場合、服を持っている手首を掴み、洗濯機の上まで持ってこさせる。背丈が合わない場合は、椅子などを用意して上げると良いが、これも自分でさせる。親は、一切、手を出してはいけない。行動の場合、手を出した方に力が付き、手を出された方は何一つ力が付かない。例えば、筋トレをしている人を見ても、自分に筋トレした分の力は付かない。それと同じ要領になっている。頭だと、形を覚える為、自分で手を出さなくても、その形は覚えられる。要は、その行動を文面にしてとらえる。頭は文面から行動に移せる為、動く形を見ただけで理解できる。ただし、頭側が分かるのは上辺の形だけ。
洗濯機の上まで手を持って来させたなら、手の甲を上にさせ、子供の手の甲に、子供と同じ右なら右の自分の手をかぶせ、子供の手の親指と小指の付け根にある骨を軽く押す。すると、子供の手は開く。そこで、ニコッと笑顔を見せると良い。このときも、笑顔は一瞬だけで良い。それは、何が良いかを分からせる為で、この場合なら、脱いだ物を洗濯機に入れる。が良いという意思表示になる。ただし、子供の指の付け根の骨を押すとき強く押すと、そこに気が行く為、飽く迄、自然と手を開かすと良い。そっと、押すだけでも手は開く。心配なら、自分の手で何回か加減を確かめると良い。
気を付けて欲しいのは、身体側は上辺だけでなく、気持ちも一緒に付ける、という点。例えば、上辺の笑顔だけだと違う意味になってしまう。要は、顔はニコッとしているが、心は無表情の場合、嘘の笑顔になってしまう。この例の場合、勝手にしたら。という意味になる為、脱いだ服を洗濯機に入れる行為は、どうでも良い事。となってしまう。そうなると、子供は当然、脱いだ服を洗濯機に入れない。なので、行動に移す時は、気持ちも行動と同じ気持ちにする事が大事。
二回目は、一回目で教えても脱ぎ捨てる場合、それをするのが普通と教えないといけない。服を脱ぎ捨て、立ち去ろうと一歩あるいた瞬間、今度は、こらっ。と全部を同じ大きな声で言う。こ、だけ強く言うと、軽く言う。数値で言うと、1から100の1から50の部分。ら、だけ強く言うと、重心を置いて言う。これは、50から100の部分。全部を強く言うと、1から100まで訴えている事になる。なので、怒られている感が凄い。これは、試すと良く分かる。周りに迷惑を掛けない事を前提で言うが、スーパーなど皆が居る場所で、こ、を強く言っても、その様子を見る人は、少ない。ら、を強く言うと、その様子を見る人が増える。こら、を強く言うと、殆どの人がこっちを見ると思う。身体側の人は、喋るとき、これを使って、相手に伝えたい強さを伝える。頭側で言うと、言葉の強さを変えているのと同じ。かわいい。すごく可愛い。物凄く可愛い。という感じ。どのページに書いたか忘れたが、身体側は、方向が二つに対し、頭側は、方向は一つ。なので、頭側の例の場合、かわいい、なら、良い意味なので、補助を加えた場合、良くなるだけ。悪い意味なら、補助を加えると悪い方向に行くだけ。身体側の場合は、こ、に力を入れるか、ら、に力を入れるか。こら、両方に力を入れるのは、一つしかないので、頭側の物になる。両方の場合の力加減を変えて行くなら、方向は二つあるので、身体側の物になる。
二回目の場合、言葉は全部で、両方に力を入れると良い。次に行動の仕方を変える。これは、口と同じで、一回目は、頭側の軽く教える、行動の仕方になっている。二回目は重心を置く。例えば、子供が怒っているとき、足を強く床に叩きつけるように、ドンドンと音を鳴らしながら、歩くのを見た事があると思う。つまり、後に強く行動に出ている。この、行動を全部で強くする場合、思いっきり足を上げ、思いっきり足を振り下ろすと、全部で強くなる。これは、手で考えると分かり易いかも知れない。例は相手に手で触れる。頭側の場合、何か言いたいとき、強く振りかぶったは良いが、振り下ろすときは、ゆっくりと下ろす。何かは言いたいが強く言えないとき、これを使う。感じで言うと、言葉が出ないとき。次に何かは言いたいが、何かは訴えたいとき、軽く振り被り、重たく手を置く。言葉を添えると、親が子供に、さあ、言っといで。と涙ながらに送り出すとき、この使い方をする。何かを訴えたいときは、思いっきり振りかぶり思いっきり叩く。これは、ドラマなどで良く見る、親が子供に手をあげるときを連想すると分かると思う。この、分からず屋、と言うとき。
二回目の場合は、こらっ。と強く言った後、子供に近付き、服を指差す、子供が、何もしなかったら、手首をちょっと強く持ち、無理のない程度に引っ張る感じで、子供の手を服まで持って行く。そして、一回目と同じ要領で服を掴ませ、服を持っていない方の手首を持ち、無理のない程度に引っ張り、洗濯機のある所まで親が先頭になり、連れて行く。このとき、服を落とす様なら、先程と同じ要領でやる。そして、洗濯機の前で、横並びになり、子供と向き合い、子供の目を見る。それでも、動かない場合は、子供の、服を持っている方の手首を持ち、洗濯機の上まで持って行き、また、子供の目を見る。それでも何もしない場合は、ちょっと強めに、子供の手の親指と小指の付け根の骨を押す。そして、最後に、子供の目に、自分の目を近付ける。そして、分かった。と今度は、後に力を入れて言う。子供が何も行動しなかったら、子供の頭の上を持ち、うん、と頷かせる。この、子供が何もしない行動の場合、もう一回、同じ事をさせる。なので、子供の服を親が洗濯機から取り、子供が脱ぎ捨てた場所まで持って行く。この場合の行動は後に重心を置く行動を親が取る。そして、子供に一連の動きをさす。次にさすときは、頭側の行動の仕方で、振りかぶって、服に指をさす。すると、子供は親を見ながら、行動に出ると思う。そのとき、親はうんと頷きながらも、無表情で、声を出してはいけない。訴えるときは、子供の目を見る。もっと訴えたいときは、目と目を近付ける。そうして、子供が、脱いだ服を洗濯機まで持って行ったら、笑顔で頷く。このときの頷く行動は後に重心を置く。それが出来たら、親は、すぐに、子供の元から去る。すると、何が言いたいのか、伝わり易い。それは、親が付き添った行動が、服を洗濯機に持って行く、だけだからだ。ちなみに、もう一回行動させるとき、洗濯機から服を取り出し、脱ぎ捨てた場所まで親が持って行くのは、行動はした人に力が付く為、子供にはその力は付かず、何を教えて貰っているのか、分かり易い為。それを子供にさすと、何を教えているのか、ぶれてしまうので注意して欲しい。
三回目以降は嘘の笑顔でも良い。もう、あなたの事は知りませんよ。という意味になるので、そこから、子供の事は何一つしないで良い。要は一切、構わない。ご飯なども作らなくても良い。行動では、するかしないか極端な為、構う行動をとると、それで良い。という意味に変わってしまう為、絶対に脱いだ服を洗濯機に持って行くまで、何一つ構ってはいけない。近寄って来ても無視をする。子供が何か言いたそうなら、子供の目を見た後、服を、子供に分かるよう大げさに見る。すると、大抵は、服を洗濯機に持って行くと思う。服を洗濯機に持って行き、親の所に来たなら、一度、洗濯機の中を覗きに行く。それで、大丈夫なら、子供に構う。親が洗濯機のある場所に行ったとき、子供が付いて来ると良いが、ついて来ない場合、特別構わなくても良いがご飯などは作って上げると良い。後に子供が話し掛けて来たら、普通に話すと良い。
教えている最中など泣いて来た場合は、この文章の上の題で出している、怒る、の部分を読んで欲しい。

この例を頭側の人にする場合。言葉は始めを強く言う。こら、服を、脱ぎ捨てない、洗濯機まで、持って行く。この読点で区切っている始めの部分を強く言う。子供に言うなら、片言の様な分かり易い言葉使いの方が伝わり易い。行動に移させたいときは、長々と文章の様に言っても伝わり難い。服を持たせたなら、洗濯機のある場所に子供を先頭にして、ほんのり軽く手で背中を押す形で誘導する。そして、服を洗濯機の中に、入れる。と、読点で区切った所の始めを強く言う。そして、その行動を子供が取ったら、笑顔ではなく、怒るでもなく、それで良い。と目を瞑り言いながら頷き、子供と一緒に部屋に戻りながら、服を洗濯機に入れる理由など、その行為に対しての事を、笑顔でもなく、怒るでもなく、普通に話す。そして、部屋に着いたら、自分の作業に戻る。
洗濯機に持って行くとき、頭側の人や普通の人は、先頭になっており、身体側の人は後になっている。これは、頭側の人は、行動に鈍い為、先頭にさせている。先頭だと、自分からする、という意になり、行動は自分からすると実力が付き易い。身体側の人を先頭にして教えると、無理やりしなさいと強制の意味になる。要は、無理強いをさせる感じ。そうなるのは、行動に対し敏感だからだ。

この、始め、後、どちらを強くするか、もしくは、始め後、両方を強く、また、弱く言うかを使い分けると、良い指導が出来易い。色々組み合わせて見て欲しい。指導は身体側の物なので、試した後で分かる事が出来る。

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  • 注意などの怒り方2

    再更新7月05日
    注意、指導するときに手や足を出すのは、頭で悪い事をしたときに使う。
    要は、頭で悪い事をしたときは、身体側で怒る。身体側の気持ちなどが原因で悪い事をしたなら、頭側で怒る。
    頭で悪い事。というのは、普段時、ストレスが溜まっているなど無いときで、頭で左右出来ているときに悪い事をした場合。
    例えば、自分がちょっとムカついているからと、相手の邪魔をする。邪魔の仕方は、相手が今の自分と同じ様にムカつく様に、筆箱を隠す。など、冷静に悪い事をしたときが、頭側での悪い事になる。
    身体側での悪い事。というのは、ストレスが溜まっていて、とか、感情が止められないときで、そういうときは、頭で注意する。
    例えば、自分の感情が抑え切れず、偶々そこにあった筆箱を壊した。など、冷静でいられないときが、身体側での悪い事になる。
    普通なら、冷静に悪い事をされた場合、大した事のない事をされるので、怒るときも、それなりになってしまう。逆に、筆箱を壊されたりしたら、それは、爆発する様に怒ると思う。
    でも、それは、相手に訴えているだけで、注意や指導ではない。
    注意や指導なら、相手に教えないといけない。訴える行為では、相手に自分のした事を伝える事は出来ても、教える事は出来ていない。ただ、痛い目に合う事で、自分を正す事はあるが、それは、自分が痛い目にあったと思った場合に限るので、それは注意や指導にはならない。
    注意や指導をするなら、相手に分からせる。つまり、分かっていない部分を分からせる必要がある。
    例えば、頭で分かっていても、身体が動かない。これは、矛盾が起きているのが分かる。頭で分かっているなら、普通は、行動でも出来る。でも、行動には移せない。イジメが悪い事と知っていてもイジメを止められない等だ。出来ていないのが行動なら、身体側が悪いので、身体側を指導する必要がある。
    逆に、行動では悪い事と知っていても、頭では知らない。なら、頭に指導しないといけない。これは、子供に多いが、自分勝手な行動。例えば、自分が物を買って欲しいが為に暴れる。では、頭で何を知らないのか。暴れても駄目な事は駄目。とか、自分の欲求を満たす為に周りに迷惑をかけてはいけない。など。大人なら、衝動買いによる借金。こういうときは、精神が悪く、行動に影響しているのではない。要は、精神が悪い、が一つ。その影響で、行動が悪いが二つ目。ではなく、精神と行動は同じ身体側なので、同じ一つになる。要は、精神が悪いと行動も悪くて当たり前、同じ一つなのだから。普通なら、精神を良くして、行動も良くさせる。と思うかも知れないが、同じ一つなので、行動を良くさせるだけでも良い。
    ただ、注意、指導となると、分からせないといけない。なので、精神が悪いなら、頭に教える。頭には、理性と呼ばれるものがある。その理性が弱いと身体側の衝動に負けてしまう。なので、理性を強める必要がある。これは、頭側と身体側の違いで言った、優先順位。精神が悪いから精神を良くする。でも解決できない訳では無いが、それをすると、また、衝動にかかられた場合、同じ繰り返しになる。でも、理性を強めていれば、同じ強さの衝動なら、何とか出来る。だから、悪い所を良くする。ではなく、悪い所を違う所で抑制する方が良い。これは、少し難しいが、頭側と身体側の違いのページで、頭側の方向は一つ。身体側の方向は二つ。というお題を出している。方向が一つのものの場合は、悪い所を、治す方向で治すで良い。でも、方向が二つあるものなら、それは、何時でも左右される為、抑制が必要になる。
    頭側の思考自体が、一つの方向しかないので、そういう指導の仕方をしてしまうが、それは、間違い。例えば、車。傷が付くと、自力で治せない。だから、悪い所を良くする必要がある。でも、身体に傷を負った。この場合、車の様に完璧には治せない。身体自体の力が必ず要る。車の傷と、身体の傷を比べると、車の傷は人間の手だけで、完璧に直せる。でも、人間の傷は、人間の手で完璧に修復できない。傷薬を塗ったからと言って、皮まで、すぐに修復されていないと思う。つまり、二つの方向に動くものは、一つの方向の様に完璧な修復が出来ない。なので、この場合なら、身体自体を強めるしか方法はない。例えば、運動している人としていない人を比べると、運動している人の方が傷などの治りは速い。他には、頭側の薬の助けがある。
    薬で助ける。は、頭側なので一つの方向なのに、二つの方向のものに使用して良いのか。それは良い。なぜなら、悪い方向に行っているものを良いに変えている訳では無く、良い方向に行っているものを、良い方向に手助けしているからだ。
    頭側には、他に除去という方法がある。これは、悪いものを取り除くやり方だが、これも、二つの方向のものに使用してはならない。なぜなら、治るものを除去したら、治る自体も無くなる為、一生治らない。これは、良く見極める必要がある。
    これは、指導も同じ。二つの方向に行くものなら、頭側のやり方では通用しない。除去なら、玩具を捨てる等になる。そうすると、その気持ちは他に移る。だから、捨てる意味は全く無い。ただ、違う方向にさせたいなら、別だが、これは、依存を治すやり方である。依存の治し方は、いつか、気持ちのお題の所に書く。
    精神が悪く、理性に働きかけるのは、薬と同じ役割。この場合は、理性自体、方向が一つなので、止める一つになっている。それを強くしたら、衝動は止め易くなる。だから、精神が悪いときは、理性に働きかけるのが良い。
    要は、頭側の理性。身体側の精神。両方、レベルを上げておけば、人間の器のレベルが上がる。それを頭側の様に、同じレベルのままで放っておくと、何時までも、同じ所で立ち止まるはめになる。それでは、人間としてやっていけない。頭側のやり方だと、悪い所だけを取り除く、要は強くしている訳でなく一時無くしているだけ、なので、レベルは上がらない。どころか、レベルは下がる。それは、頭側の方向が一つだからだ。精神が悪い、でも、精神は方向が二つのものなので、自力で治すしかない。でも、自力を強めるやり方を頭側は知らない。薬で衝動を抑えるというのは、一時無くしているだけ。それで衝動が無くなったとしても、薬の効き目が無くなれば、また、同じ事になる。その間、精神はどうなっているか。精神は身体側の物なので、常に動く。つまり、強めていないなら、弱まる方向に流れている。つまり、精神病の人がいつまでも治らないのは、これが原因である。精神自体の治し方は、いつか書く。

    頭での悪い事は、身体側で叱る。
    これは、先程言った様に、頭で分かっていても行動に移せない。事があるからだ。この原因はその人の身体側にある。
    先程、ムカついたから邪魔をする。と言った様に、自分の気持ちが抑えられない為、悪さをする。
    では、銀行強盗をする。これは、どちらの悪さになるのか。銀行強盗の場合、計画を主ですると思う。だから頭側の悪さ。計画なしに突っ込んだ場合、身体側での悪さになる。
    どちらも、身体側の気持ちが左右しているのに、なぜ、頭側もあるのか。それは、優先順位。頭側の理性で抑えられる範囲だが、その気持ちをどうにかしたいが為に、頭で悪さをして、気持ちを吐き出す行為をしている。要は理性で抑えたまま、頭で悪さをしているので、頭側の悪さになる。その説明で分かると思うが、気持ちを吐き出す為に頭で悪さをする。つまり、精神が強ければ、気持ちも抑えられる。だから、身体側での指導が必要になる。
    これは、自分の感情を出し、相手に感情を出させるのが目的。これは、頭側と身体側の違いのページで言った、相手に感情で訴えられると、自分の感情が出る、という奴。で、感情を出さす事により、身体に悪い事だと教えている。この場合は、悪い事が何かを認知してるので、感情で訴えるだけで良い。
    手を出すのは、悪い事をした所のみ。
    例えば、つまみ食いなら、手を叩く。これは。トラウマにさせるのと同じ。トラウマになると、その行動が出来なくなる。
    では、自分の感情のまま、手を出すのと、指導で手を出すのは何が違うのか。
    それは、さっき言った様に、感情のままだと、訴える、になる為、指導はしていない。要は、悪い行為が何かを明確にしていない。頭側の悪さの場合、頭でしている為、何が悪いか分かっている。でも、感情のまま手を出すという事は、先程言った様に、相手に感情で訴えかけられている。その為、相手は、悪い事を頭で理解していない。なので、感情のまま怒り訴えても何が悪いのかは伝えられていない。
    でも、悪い事は頭で分かっていなくても身体では分かっているんじゃないの?と思うかも知れないが、身体側で悪さした分、感情で怒られている為、相殺になっている。つまり、感情分を感情分で消されている為、お互い悪いで終わりになっている。その為、悪い事を止めなさい、とは言えていない。分かり易く言うと、ジュース代を貸した。次の日にジュース代を返された。だけで終えている、という事。これに抜けているのは、ジュース代を借りた。という簡単に言えば、利息が抜けている。誰でも、いつでもジュース代を貸すのは嫌だと思う。その部分が抜けていると、相手はいつまでも、ジュース代を借りて来る。これと同じ。
    だからと言って、感情で怒った後、指導できるかと言うと、出来ない。それは、悪い分は相殺されている為、聞く耳は持たない。だって、あいこなんだから聞く必要がない。要は、ジュース代を一回貸したが、その相手に自分も一回ジュース代を借りていた。と同じになっている。その人に、自分は利息分を払っていないのに、利息分、頂戴と言ってもくれないと思う。それと同じ。
    特に身体側の人、と、子供全般は感情で動くので、頭で指導する事を覚えておいて欲しい。

    ただ、手を出すのは、頭側の人には難しい。それは程度を計れないから。トラウマになるが、その人を避けない。この間になる様に手を出さないといけない。
    身体側だと、その人の頭を貰う事が出来るので、ある程度、操作は出来る。要は、相手の、その丁度の部分が分かる。これは、経験次第。
    もちろん、的確な場所に手を出す必要がある。つまみ食いで、手を叩かないといけないのに、足を叩くと、足は引くが手は伸ばせる為、つまみ食いは出来る。足は叩かれない様に引けば良い。手は、どうしても、物を掴むのに、物まで必ず手を伸ばす。なので、そこを待ち伏せされるともう終わりなる。
    行動を起こす場合、必ず、目的地に身体が行くので、そこを狙える。まあ、動物の狩りと同じ。魚が虫を狙う。虫を狙っている魚を鳥が狙う様なもの。

    他には、行動を忘れている。なら、行動は身体側なので、頭側で指導する必要がある。
    報告を忘れている。なら、頭側なので、身体側に指導する必要がある。報告は、文章を読む様なものなので、頭側になる。
    どれが頭側の事で、どれが身体側の事か知っておけば、指導もスムーズに出来る。
    分かり難いなら、自分の感情が出るなら、頭側で怒る。感情よりも頭の方で理解できる程度なら、身体側で怒る。相手で言うと、脅えていたりしているなら、頭側で怒る。イジメなど馬鹿にした様な悪さをしているなら、身体側で怒る。