もう一つの思考

精神 ・ 気持ち ・ 体(共通)などの大まかな仕組み - 精神 ・ 気持ちの操作1

トップページ > 身体側 全体一覧 > 精神 ・ 気持ちの操作 一覧 > 精神 ・ 気持ち ・ 体(共通)などの大まかな仕組み - 精神 ・ 気持ちの操作1

初めに

更新10月04日
気持ちは、行動を左右する。
朝、仕事を始めるとき等は、疲れなど回復している為、気持ちよりも頭で考え行動できる。でも、だんだん疲れてくると、気持ちが顔を出し、どこまで頑張るかなど気持ちに左右され始め、最終的には、完全に気持ちで自分の行動を決めている事もあると思う。
他にも、嫌な事、苦手な事をするときは、やりたくない気持ちが邪魔をしにやってくる。そのとき、気持ちに負け、全くやらない。とか、作業が遅くなる。といった経験をした人も多いと思う。
悪い気持ちが出ているときは、どうでもいいや。と思ってしまうが、後になると、あのとき、ちゃんとやっておけば良かった。と思った事がある人も多いと思う。
これは、気分が良いときも同じで、ついついやり過ぎてしまい、失敗した。という事があると思う。熱中して、時間を気にしていなかった。とか、他のやらないといけない事が、全くできていない。とか、飾りつけなど、やらなくて良い事までやってしまい、自分は満足だが、他人から見ると、不細工になっている。等、色々あると思う。
こういう風に、気持ちに左右されていては、上手く物事が成せない。これでは、困る人もいると思う。なので、気持ちは操作しないといけない。

なぜ、人間には、気持ちがあるのか。
気持ちが無ければ、気持ちに左右され、悪い行動をとる事はない。
では、人間に気持ちは要らないのかどうか。
時々、自分は何をしているんだろう。と、自分のしている事に疑問を抱く人もいると思う。要は、全く面白味のない事をしているときだ。大抵、そういう面白味の無い事は避ける為、それを考える人はいないと思う。
元々気持ちの無い機械で考えて見ると、機械は、いつも、そういう作業をさせられている。その機械が自分だと思って欲しい。そして、その機械になりたいかどうか。なりたくない、と答える人が多いと思う。その理由は様々だと思うが、一番は、生きている気がしない。生きている意味が無い。といった、生きる。という目的に関してだと思う。
つまり、気持ちが無ければ、生きる意思は失う。
気持ちを感じ、生きている実感を得ている。その為、気持ちはどうしても要る物になる。

では、気持ちのまま行動すれば良いのではないか。
気持ちのまま行動すると、良い事と悪い事の区別は当然出来ない。そうなると、無法地帯になるのは誰でも分かると思う。
無法地帯と言えば、動物の世界、を思い浮かべる人もいると思う。でも、動物は、人間よりも上手く、気持ちをコントロールしている。気持ちをコントロール出来ないと、獲物は上手く狩れない。気持ち、感情任せで、ただ単に追っかけ回しているだけでは、獲物が狩れないのは誰でも分かると思う。
大脳を使っている人間の場合、脳の三層構造仮説の三層目の理性で、気持ちを消す。が、どうしても理性では止められないと思う。これは、頭側と身体側の違い3のページのお題、頭側と身体側の優先順位。の所を読んで欲しい。要は、脳の三層目自体が機能していないときがある。
その為、感情が表に出ると何をするか分からない人、感情任せに行動してしまい失敗する人も、多いと思う。

気持ちは生きる実感を得る為に要る。でも、何をするか分からないでは困る為、気持ち、感情は、コントロールしないといけない。


何事も基本が分からなければ、どれが正しくて、どれが悪いのか、判断できないと思う。
特に大脳で判断する場合、仕組みなど、構造が分かっていないと判断できない。
行動自体は実際の状況に合わせる為、仕組みを知らなくても実際と合えば問題ない。
例えば、今の仕事が出来る精神を身に付けたい。実際では、その仕事が出来ていれば問題ない。でも、中には、精神が弱く、その仕事が出来ない人もいると思う。そういう人に、こうすれば良いんだよ。と言っても、仕組みを知らない訳だから、頭で理解し判断するという事が出来ない。これは、頭側と身体側の違い4のページのお題、危機感。の所を読んで欲しい。要は、大脳で動く人は、先に頭で計算して動く。頭で計算できなければ動けない、もしくは、動かない。だから、自分が知らない所を飛ばして考えると、納得が出来ない為に、しない。となり、結局、精神を強くする事が出来ず、その仕事を諦める事になる。それでは、出来る事が限られてしまう。昔は、頭で考えられないなら、動け。という教えがあったと思うが、今はどっかに消えた。これは、知識が無いなら、行動に移し、確かめろ、という事。言葉を変えると、教えられた事を実際に試して、分かり得ろ、という事。

このページでは、頭で判断できる様に、まず、仕組み、構造を書く。仕組み、構造は、頭で判断する為の物なので、実際に行動に移すには、物足りない。なので、このページを読んでも、実際で、気持ち等をどうにかするのは、難しいと思う。

身体側の事は、本当は身体に教える。なので、大脳に教える事は補助以外しない。でも、今は、大脳時代なので、大脳で判断したり、考え組み立てられる様に、仕組みから書く。
ただ、先程も言った様に、仕組みを知った所で、実際には動けない。
言葉を変えると、仕事の流れを説明されても、仕事内容ではない為に、動けない。
例えば、材料を取り出し、機械に入れる。機械が物を作り、それを検査する。これが、その仕事の仕組みと構造。これだと、どんな仕事かは分かるが、自分が実際に何をするのか、また、どう動けば良いのか、は分からないと思う。材料がどこにあるのか、その材料をどう扱うのか、機械のどこに材料を入れるのか。検査はどういった形で検査するのか。等、細かく言われないと分からない。また、実際に身体でやってみないと覚えられないと思う。それと同じ。
偶に、言葉であれして、これして、と指示を出すも、違う事をされている事があると思う。それは、行動を言葉で言うとなると、1から10まで全部を言わないといけない。言う項目を飛ばせば、その行動を飛ばすも同じになる。普通の人なら、飛ばされた箇所は、自分で推測して行動に移す。だから、指示を出した事と違う事をされるはめになる。
それなら、身体に教えればどうか。指定された行動を身体ですると、口で言う1から10まで全部していると思う。行動を飛ばしたら、その行動は出来ていない事になる。つまり、口では飛ばせても、行動では飛ばせる項目は一つも無い。だから、行動は身体に教えるのが、普通。
例えば、机の上にリモコンがあるから、テレビを付けて、と言う。机の上にテレビのリモコンが二つ以上あったらどうか。そのテレビのリモコンが初めて見るものだったらどうか。理解するまでに、もたつくと思う。でも、行動で教えたらどうか。相手の指を持ち、テレビのリモコンの電源ボタンを押させる。これなら、一発で行動させる事が出来る。

では、なぜ、頭で理解するよりも、身体で理解した方が早く確実に行動に移せるのか。
それは、身体には身体の思考が存在するから。これは、脳の三層構造の二層目になる。
思考が大脳にしかないなら、この、身体で理解できる事自体、おかしい。
身体で物事を覚える事が出来るのは、誰でも知っている。それなのに、考え理解できる所は、大脳一つしかない。と言うのだ。頭で理解できていなくても、身体で覚え、行動できるのにだ。この、身体で覚え。という所が特におかしい。
始めは出来ないが、覚え理解する事で出来る様になれる身体。これは、大脳の思考の影響で無い事は誰でも分かる。だって、大脳で理解できていなく、身体で覚えられる事が出来るんだから。
つまり、僕が言っている、大脳で無い、もう一つの身体側の思考が存在する事を意味している。
だから、作業内容により、頭で考えるより、身体の感覚を頼った方が良い。とか、慣れれば、体がやり方を覚えている。といった事がある。
そういう風に、頭で考えなくても身体が覚えている。という状態にするのが、身体側では、教える。になる。
他にも、身体が知らない事を、身体に覚え差す必要もある。

ここに書いてある仕組みを読めば、大体分かると思うが、身体側は、大脳で言う、良い事も悪い事も体験して覚えなくてはいけない。
簡単に言うと、悪い事をすれば怒られる。怒られる事で、これはしてはいけないと身体が覚える。逆に怒られないと身体は悪い事と知らない状態になっている。良いも悪いも知らないなら、その行動は、何も考えず、または、判断せずに、出来てしまう。それでは困る為、悪い事をさせ、怒る必要がある。なので、昔の人は、子供のする行動を親が決めずに、子供を放っておき、悪い事をしたときだけ、注意していたのだ。
他にも、行動できているなら、それは怒られてもしても良いになる。要は、身体側は実際に合わせる為、怒られたら出来る。と捕らえる。なので、怒られてもそれをしたいなら、怒られて、それをする。なので、してはいけない事は、行動に移させない事が大事。
特に身体側のお子さんがいる人は、気持ちの操作は必須なので、身体に教えてあげて欲しい。
頭側と身体側の違い3のページのお題、頭側と身体側の優先順位。の所を読んで欲しいが、頭側の人は、頭側が優先なので、身体側が頭側に勝たないと、身体側は出て来ない。でも、身体側の人は、身体側が優先されているので、気持ちの操作を出来ないと、普通の行動すら出来難い。
良く考えて欲しい。普通の人でも、気持ちにより行動を左右されるのに、普通の人より、気持ちに左右され易い人が気持ちを操作出来なかったら、それは、さっき無法地帯と言った様に、手に負えない人になるに決まっている。
簡単に言うと、気持ちに行動を左右されると出来る事は狭まる。それでは、本人が困る為、気持ちを操作させる必要がある。
他にも、子供に暴れられ手に負えない親もいると思う。気持ちが操作できたなら、手に負えない事は無くなる。ただし、反抗期は別。反抗期は、悪い事をして、身体で悪い事だと覚える為の期間。
それと、暴れると、言い合いは違う。人間には、指導の仕方や訴え方があり、頭で分かっていても身体が動かないなら、身体に教える。身体で分かっていても頭で知らなければ頭に教える。要は、相手が平然としているなら、感情を出したり手を出したりして身体に教える。逆に、焦っていたりと相手が感情を出しているなら、静かに頭に教える。なので、親に訴えるとき、親が平然としているなら、感情を出す。これは、暴れるのとは違う。皆が人間の使い方を知らないだけ。

身体の根本。
大脳で解いた脳の三層構造仮説。これをよく読んで理解して欲しい。脳の三層構造仮説については、トップページのお題、第三の人間。の所にも書いてあるが、詳しくは自分で調べて欲しい。
身体の本体自体は、脳の一層目になる。
身体を強くしたり弱くするのは、二層目になる。脳の三層構造仮説の二層目の所に、快、不快の刺激、とある。これを使う事で、人間本体を強くしたり弱くしたり出来る。
そして、三層目は、一層目や二層目の脳と相補的に強調し連動しながら高次な精神機能を実現している、と考えられている。とある。要は、三層目を使う為に、一層目、二層目のエンジンを借りている。理性は、おそらく二層目のエンジンを借りている。この理性は二層目には無い。つまり、三層目に、二層目自体は無い。
要は、身体を強くしたり弱くしたりするやり方が、大脳の思考回路に無い事になる。ここをしっかりと理解して欲しい。
三層目の、知性、で理解し判断できる。のは、大脳の思考回路にある事のみ。
これと同じ様に、身体側の人は、二層目にある事を、理解し判断できる。このページに書いてある仕組みを読んだだけでも、その事が少しは分かるかも知れない。
二層目の事は、体験しているなら、理解は出来る。大抵の人が体験している事を例にしているので、大抵の人が理解できると思う。

先程言った様に、大脳で分からないのに、身体では分かる事が出来ている。だから、身体側にも思考回路が存在している。
ただ、本当に、身体側に思考回路があるのかどうかは、自分が使えないと、推測は立てられても、理解は出来ない。と思う。
でも、身体側の事を、常識を超える範囲で、詳しく分かる人が出て来ればどうか。
まずは、それを成して見ようと思う。

もちろん、身体側の才能がある人がどの人か。その教育の仕方。は、知っている。でも、実際に教育して欲しいという人はいない。実際に教育し、身体側の思考を扱える人を増やした方が、早く世の中に、身体側の思考が存在する。という事を広められるとは思うが、なかなか、そうはさせて貰えない。これも、意図はあると思う。
一つは、今、必要とされるレベルまで扱えなければいけない。発見した程度の実力を他の人に教えて、多種多様に伸びるとしても、その成長速度は遅い。それは、頭側に追いつく、または、追い越す事で証明できると思う。要は、なーなー、になってしまい、成長速度が遅くなる。発見した程度の実力で、成長速度が遅くなれば、それは大問題だと思う。もちろん、身体側の人なら、こういう事も理解し、利用して、自分を高められないといけない。その為にも気持ちの操作は、必須である。
ただ、気持ちの操作は、身体側の人にとっては、二番目に必要な事になる。一番目は、考えられる事。これが出来ないと、世の中で生きて行くには厳しい。ただ単に息をしているだけで良いなら、気持ちの操作だけでも良い。
考える力を付けるのは、気持ちの操作になるが、その根本の考える事が出来なれば、力は付かない。これは、身体に、考える。という事を覚えささないといけない。一応、やり方を言っておくと、人間は困ると考える事をする。なので、困らせて考えさせると良い。僕も小さい頃に泣き叫び暴れまくったが、結局、考えさせられた。親が、出来るまで僕に付き合ってくれた、とも捕らえる事は出来る。これは、隙を与えられず、ずっと考えさせられた。というか、覚えさせられた。僕の場合は、幼稚園前にあいうえお。と、小2の頃に九九の一の段と二の段を覚えさせられた。普通の人には簡単でも、頭が鈍い人にはきつい。僕はもしかしたら、知的障害にあたるのかも知れない。あいうえお。や、九九。は覚えたときの記憶はない。次の日になると、突然、出来ていたのだ。その苦しさは覚えているが、今となっては、あれがあって良かったとしか思えない。馬鹿なままでは、世の中は生きていけない。
段落更新10月12日
基本、身体は、体や精神、他の身体側の物事も、構造や仕組みは同じ。
なので、体に関しての例が多いが、それは、分かり易く説明する為であり、それを精神や気持ちの事に変換して読んで欲しい。
変換し難い事については、なるべく、変換して書きます。
これは、いつか、頭側と体側の違いのページにお題を載せて書きますが、思考の違いにより、大脳を使う人は、ポイントを受け取り、変換し難いみたいで、体なら体だけ。精神なら精神だけ。と受け取るみたいです。ですが、身体側は、大まかと細か過ぎるのが2つがあり、これは、大まかが細か過ぎるになったり、細か過ぎるが大まかにもなり、大まかは、どの事にも使える為、気持ち(精神)の話を前提にしているなら、体の例えでも、気持ち(精神)の話として受け取ります。その思考による違いなので、ご了承ください。

気持ちの操作1 精神を強くする

更新8月15日
気持ちというのは、自分で操作できる。もちろん、他人を操作する事も出来る。
最初に言っておくが、何事でも、良い使い方も出来るが、悪い使い方も出来る。
身体側は、方向が2つあり、修復が出来る。が、修復は、受けた傷が開き切ってからしか出来ない。これは、気持ちの操作も同じ。
それと、例えば、打撲。打った部分は、熱く腫れあがる。そこを冷やす。すると、放っておくよりは、早く治る。でも、冷やす事自体は身体にとってどうだろう。身体を業務用の冷蔵庫で冷やす。すると、身体は異常を訴える様に、熱を出したり、風邪をひいたりと病気になる。つまり、冷やすだけなら、身体にとって悪い事を意味している。
でも、打撲で腫れあがった箇所には、冷やした方が良い。つまり、悪い事が悪い事で無いときがある。これは、気持ちの操作も同じ。でも、この操作方法も、ここのお題では教えない。要は、悪い事が良い事になる。という事。

では、高所恐怖症。これは、最近高い所に行っていない人も慣れが無い為、恐怖は感じるようになっている。
では、試しに、20階建ての高層ビルを、一階ずつ、ベランダなどに出て、高さを体感してみる。
このときに、始めに正面の遠くを見てから下を見るのと、始めから下を見るのとでは、感じる恐怖が違う。始めから下を見る方が恐怖は襲って来る。それは、遠くを見るだけでも高さは実感している。なので、慣れや覚悟が出来ている。その差がある。精神が弱い人は、遠くを見てから下を見ると良い。
そして、少しずつ上って行くと、途中でリタイヤする人が出て来ると思う。それは、なぜか。恐怖が自分の内で徐々に溜まってしまったからだ。だから、これ以上は耐えられない。となった。
これを、普通に考えてみよう。一階ずつ行けば、耐性が付いて、上る度に精神は強くなり、一番上の階までいけるはず。でも、実際は、途中で怖さが勝ってしまい、これ以上、上れなくなった。

では、これを、一番上から、下に進んだ場合どうなるか。エレベータで、屋上まで行く。そして、先程よりも長い時間遠くを見渡してから、下を見る。遠くを見渡すときは、気を他の事に逸らす事。長い時間遠くを見渡す理由は、自分の耐えられる高さを越えている為、慣れや覚悟に時間が掛かる。でも、この時間調整は、人によって違う。精神の強さだったり高所に対しての体制の強さ。まあ、バンジージャンプ等でそれは分かると思う。これを正確に計るのは難しい。
なので、ここは、一気に行く。走って、ビルの下を見下ろせる場所の近くまで行き、そこからは、歩いて、下を見る。このとき、寝そべって見下ろせる方が良い。身体が地についている安心感と、すぐに動けない体制を利用する。下を見たら、目的は達成できる訳だから、安心感が出て、少しは下を見下ろしたままにできる。30秒から一分くらい見下ろしたら、ゆっくり身体を安全な場所に移動し、立ち止まって深呼吸をしてから、すぐに次の階に行く。
そうして、下の階に次々行くと、先程の一階ずつ上に行くときと違い、全部の階を見て回れる。
では、精神的に強くなったのは、どっちか?
簡単に分かると思う。全部の階に行った方が精神的には強くなっている。が、同時に恐怖は、全部の階を回った方が感じている。
普通に考えてみよう。全部の階を回れた。だから恐怖には打ち勝っているはず。でも、恐怖は、全部の階を回った方が感じている。これは、なぜか?
それは、耐性を付けていなから。先程、精神的に強くなっている。と言ったが、これは、経験値となる半分だけ。つまり、あと半分が無いと精神を強くする事は出来ない。この得た半分の経験値は、高所に耐えた分。

では、耐性を付けるにはどうしたら良いか。
これは、波を利用する。良い事があり、悪い事があり、良い事がある。
では、先程の階段を、上、下、上、下。と行ったら、どうなるか。
これは、単にくじの様に引けば良い。今居る階よりも上の階のくじを引き、その階に行く。次は、その階よりも下の階のくじを引き、下の階に行く。次は、上の階のくじを引き、上の階に行く。これを繰り返し、全部の階を回る。
すると、全部の階を回れただけでなく、高所への体制も付けられている。
なぜか?
これは、簡単で、安心度が違う。下の階に行くほど安心できる。一つずつ階を下に行くと、安心感は、少しだけ。でも、一気に何階も下の階に行けると安心感はもっと感じられる。一つずつ下がるときは、安心感よりも恐怖感の方が常に勝っている。なので、吐き出す事が出来ていない。でも、一気に何階もの下の階まで行くと安心感が出て、吐き出す事が出来ている。つまり、上、下の波を上手く使うと、耐える、吐き出すの繰り返しが上手に出来る為に、自分の糧と出来る。

ここでは、精神的に耐えるには、徐々に強さをあげるのではなく、一気に一番強い所から行く方が耐えられる。
そして、耐えるだけでは、精神は強くならない。耐える、吐き出すを上手く使って体制を付け、精神を強くする。
その為、耐えられても、吐き出していなかったら、精神的には悪い状態になる。

これは、精神の基本である。これが出来ていない為に、うつ病、精神病になる人もいる。
まあ、現実で、この様に物事が上手く降って来るかというと、上手く降って来ない。その上、自分の行動も関係する。耐えている方が楽だからと、吐き出さずに耐えてばかりいると、自分を壊す。物事がどう降って来るかは左右できなくても、自分で自分を左右する事は出来る。なので、自分が耐えられそうにない物事が降って来たなら、このやり方で、自分の精神を鍛え、乗り越えて行くと良い。

  • このページのトップ
  • 気持ちの操作2 精神を弱くする

    更新8月16日
    精神は強くする事が出来るが、弱くする事も出来る。
    今度は、自分の精神を弱くしてみよう。

    気持ちの操作1では、精神を強くする為に、3つの方法をとりました。その中で精神を強く出来たのは、一つだけ。20階建ての高層ビルを上下、交互に色々な階に行く事で、ストレスを感じたり、吐き出したりして、耐性を身に付けました。
    では、もう一度、一つずつおさらいしてみましょう。
    始めは、1階から順に、一つずつベランダに出て真下を見下ろした後、階を上って行きました。すると、途中でリタイヤしてしまいました。理由は、恐怖が耐えられなくなったから。
    次に、20階建ての高層ビルの屋上まで行き、そこから順に一つずつ階を下りて行く。すると、全部の階を回れたが、耐えただけなので、恐怖感は強く残ってしまいました。
    最後は、上下、交互に色々な階に行く事で、耐性を身に付けました。

    では、どれが一番、精神を弱くしたか。
    一つ目は、自分が耐えられる所までしかいかなかった。だから、精神にそれほど強い刺激は与えていない。
    二つ目は、全ての階を回って耐えた。だから、恐怖感は強く感じている。
    最後は、耐性を付けながら、行っていたので、精神は強くなった。精神が強くなったので、これは、精神は弱くならない。
    普通に考えると、一つ目は、自分の限界までは行っている。だから、精神は弱くなったというよりは、強くなっているはず。
    二つ目は、全ての階を回ったが、耐性は付けておらず、耐えただけなので、恐怖感は強く感じている。なので、トラウマになる可能性があるはず。
    では、本当はどうなのか。
    一つ目は、自分の行ける限界まで行ってしまった。つまり、自分の限界を超える前に止めてしまっている。なので、精神的に壊れる事はない。でも、限界まで行くと、次に同じ事をしたいかどうかと言うと、絶対にしたくない。または、当分はしたくない。なぜなら、自分の行ける所までしか行かなかった為に、精神的には安定している。という事は、その事は鮮明に覚えられる。そして、限界まで行った精神的疲れも鮮明に覚えている。つまり、一回限界まで行ったのだから、もうやる必要は無い。自分の限界の階を知ったのだから、それで満足。となる為、高所から避ける様になる。
    二つ目は、全部の階を回り、恐怖感を強く感じた。それは、自分の限界を超えた訳だから、恐怖感を強く感じるのは当たり前。でも、全部の階を回った実力はある。つまり、限界を越えた勇気は得ている。あとは、耐えた分、吐き出すだけ。つまり、しばらくの間、休養を取れば、耐えた分を吐き出す事が出来る。つまり、耐性が付く。
    結果、この三つのやり方で、精神を弱くしたのは、一つ目の自分の限界までしか行かなかった。
    簡単に言うと、耐えると精神は強くなり、耐えないと精神は弱くなる。この間の精神は強くも弱くもならない。という事は、無い。と言っても良い。なぜなら、身体側は常に動いている為、強くするか、弱くするかしか出来ない。なので、強くも弱くもならない精神を自分に与えるのは、かなり難しい。
    では、一つ目は、一つも精神は強くなっていないのか。それは、限界まで行っている訳だから、精神は強くなっている。これは二つ目と同じく休養を取り、吐き出せば、それなりの精神力は付く。でも、操作は、気持ちでする。その気持ちを折らされれば、それは、やる気は失う。やる気を失えば、精神を強くした以上に、弱くする可能性は高い。これは、限界で止めた、が原因。限界まで行くと、その事が忘れられない。なので、一番嫌々感が出る終わり方になる。

    ここでは、耐えた分より、吐き出してしまうと、精神は弱くなっていく。
    身体側は常に動いている為、耐えていない=吐き出している=精神は弱めている、になる。 限界で止めてしまうと、一番嫌々感が出て、次に同じ様な事をしたいとなかなか思わないので、これ以上強くする気が起きないし、逆に弱めるばかりになる可能性の方が高い。
    その為、精神を弱くさせたいなら、一番嫌々感が出る、正常な状態での限界までやる。

    何事も使い様はある。なので、危ない等、止めておいた方が自分の為になる事なら、精神を弱らせておいた方が良い。そうすると、自然とそれを避けられる様になる。要は、危険回避に繋がる。
    なので、自分にとって必要な事には精神を強くする。自分にとって避けた方が良い事なら精神は弱くすると良い。

    気持ちの操作3 精神的苦痛

    更新8月17日
    気持ちの操作2で、精神を弱くしたいなら、嫌々感が一番出る、正常な状態での限界までやる。
    では、正常な状態とは、どういう状態なのか。
    普通に考えると、精神的に苦痛の無い状態が正常な状態。と思う人が多いと思う。

    前回までのおさらいをすると、精神は強くするか弱くするかの二択。それと、精神を強くするには、耐えると吐き出しを上手く使う。精神を弱くする=耐えない=吐き出す。
    そこに、耐える。吐き出す。と言うワードがある。耐えるか耐えないか。吐き出すか吐き出さないか。
    この四つを組み合わせると、耐えると吐き出す。耐えると吐き出さない。耐えないと吐き出す。耐えないと吐き出さない。となる。
    耐えると吐き出すは精神が強くなる。耐えると吐き出さないは、耐えるだけ。耐えないと吐き出すは精神を弱くする。耐えないと吐き出さないは、何もしない状態。簡単に言うと、何もしない人の事を、息をしているだけ。と言う。そういう感じ。

    この四つの中で、精神的苦痛を感じていない状態はどれか。
    まず、耐える。は精神的苦痛を感じる。耐えていない。は精神的苦痛を感じていない。吐き出すも精神的苦痛は感じていない。吐き出さないは、何もしないので、苦痛は感じない。吐き出さないは、行動で言うと、ほうきで掃く掃かないの、掃かないと同じ。掃かなかったら、そこは、そのままになる。だから、何もしない状態。
    精神的苦痛を感じていないのは、耐えていないと吐き出す。耐えていないと吐き出さない。になる。
    耐えていないと吐き出すは、精神を弱くする。耐えていないと吐き出さないは、何もしない状態なので、精神を弱くする。になる。ほうきで掃かないという事は怠けている。と言える。なので、どちらかと言うと、精神は弱くなっている。
    つまり、精神的苦痛を感じていない状態は、耐えていない状態で、精神を弱くする状態。

    残りの二つ。耐えると吐き出すは精神を強くする。耐えると吐き出さないのは、耐えるだけ、になるので、精神を強く出来る、半分だけこなした状態。
    つまり、精神的苦痛を感じている状態は、耐えている状態で、精神を強くする状態。

    ここでは、精神的苦痛を感じない状態は、精神を弱くする状態である。
    精神的苦痛を感じると、精神を強く出来る状態である。

    正常な状態を精神的苦痛を感じない状態と思っていた人は多いと思う。でも、精神的苦痛を感じない状態は、精神を弱らせている。

  • このページのトップ
  • 気持ちの操作4 正常。異常。壊れる

    更新8月22日
    気持ちの操作3のおさらいをすると、精神的苦痛を感じない状態は、精神を弱くする状態。精神的苦痛を感じる状態は、精神を強くする状態。
    普通に考えると、精神的苦痛を感じない状態は、良い状態。精神を弱くする状態は、悪い状態。精神的苦痛を感じる状態は、悪い状態。精神を強くする状態は、良い状態。すると、良い状態は、精神的苦痛を感じなく、精神を強くする状態になる。これは、耐えた後の吐き出しになる。分かり易く言うと、運動した後のご飯。とか、仕事の後の一杯。とか、週末の休日。この良い所だけを味わいたい人は多いと思うが、これは、我慢した後のご褒美的なものになるので、我慢しないと得る事が出来ないものになる。

    では、精神を強くする。精神を弱くする。の二択しかない、正常な状態とは、どういう状態なのか。
    正常。異常。壊れる。これは、信号の青、黄、赤。と似た様な感じ。
    例えば、冷たい風にあたり過ぎて、体を冷やしてしまい、熱が出た。
    経験のある人は、体を冷やし過ぎたとき、これは、熱が出るな。とか、風を引くな。と予想が付く。問題は、その前兆。体がブルッとした。または、体がブルブルと震えている。このときは、まだ、熱が出たり、風を引いたりしている訳では無い。でも、暫く時間が経つと、体調が、良いままか崩すか、どちらかに別れる。つまり、この、前兆が黄信号で、精神では異常な状態になる。ただ、黄信号と違う所は、この後、赤になるときもあれば、青になるときもある。
    赤の壊れた状態は、熱が出たり、風を引いた状態。
    単純に、その赤の状態と黄の状態、以外が、青の正常な状態になる。

    では、具体的に、どういう状態が、正常で、異常で、壊れている状態なのか。
    正常な状態だと、脳の三層構造の三層目で、頭側で判断が出来る状態。異常な状態だと脳の二層目、身体側で判断が出来る状態。壊れた状態だと脳の一層目、人間本体、息をしているだけの様な状態。

    気持ちの操作1の三つの例の、二つ目。20階建ての高層ビルを一番上の屋上から、ベランダなど下を見下ろせる場所で、一階ずつ見下ろして行き、全部の階を回った。
    これは、全部の階を見て回れたが、恐怖心は強く感じている。それは、高所恐怖症の人が、単純に二十回も高い所から下を見下ろして行けば、それは、恐怖を身体で感じる。この状態が、異常状態。
    例の一つ目。20階建ての高層ビルを1階ずつ、上って行った。でも、途中で限界が来たので、上るのを中止した。
    問題は、途中で限界が来たので上るのを中止した、の部分。この判断を頭側でしたのか、身体側でしたのか。
    二つ目の例では、異常状態だが、異常を自分で判断できていたかと言うと、出来ていない。だから、全ての階を身体で恐怖を感じながらも回っていたのだ。
    では、この判断が出来ていない。とは、どういう事なのか。
    これは、大脳で判断が出来ていない。という意味。
    では、なぜ、大脳で判断が出来ていなかったのか。
    それは、こなす事が、だんだんと簡単に出来る事、だったからだ。
    普通に考えると、20階建ての高層ビルの屋上が大丈夫なら、その下の階は全て大丈夫だと思ってもおかしくない。だから、大脳では、屋上が大丈夫なんだから、その下の階を全て回っても大丈夫と判断した。
    でも、この判断は間違いになる。
    例えば、腕立て伏せを限界の100回した。その後すぐに、腕立て伏せを99回出来るかと言うと、出来ない。それは、100回やった事で、もう腕が限界に来ているからだ。
    精神も同じ事になる。つまり、20階建ての高層ビルの屋上が大丈夫だった。なら、それは、屋上一つのみが大丈夫という事であって、他の階まで回れるよ、という意味では無い。だけど、その判断は、大脳では出来ない。それは、出来た事から判断するからだ。
    これは、頭側と身体側の違い2のページのお題、頭側は先。身体側は後のところを見て欲しいが、頭側は先の計算が出来る。逆をとると、先でないと計算が出来ない。だから、屋上がいけたなら、他の屋上より下の階もいける、と判断したのだ。
    でも、身体側は、後の計算になる。簡易に言うと、屋上が大丈夫だったとしても、20階のベランダが大丈夫とは限らない。また、15階のベランダが大丈夫とも限らない。それは、行ってからしか分かる事が出来ない。
    だから、例の二つ目では、恐怖心を強く感じる事になったのだ。
    では、この恐怖心は、いつ感じるものなのか。それは、前兆のときと同じで、暫く経ってから分かる事が出来る。つまり、全て回った後、暫く経ってから分かる事が出来る。それが、身体側の判断となる。要は、恐怖心を強く感じているなら、これは、上る前の精神の強さではきつい、と言っている。これは、後でしか分かる事が出来ない。というよりは、身体側は後でしか絶対に分からない、これは覚えておいて欲しい。
    では、例の一つ目は、どうだったのか。
    一つずつ階を上り、途中で止めた。これは、先の計算をしたのか。後の計算をしたのか。
    普通に考えると、上って行った後だから、後の計算と思う。でも、後の計算は、暫く経ってからしか分からない。つまり、これは、今の精神で耐えられる分を耐えただけになる。なので、これは、異常な状態では無い。だから、大脳で判断が出来ている、と言える。
    つまり、今の精神で耐えられる分は、全て、正常な状態である。

    では、壊れた状態は、どんな状態か。
    これは、気持ちの操作3のおさらいを普通に考えたときの、悪い状態の部分。精神的苦痛を感じるのに、精神は弱くなる。
    例えば、腕の骨が折れた。すると、腕は固定して、骨がくっ付くのを待つと思う。このとき、痛さを感じるかどうかで言うと、痛さは感じる。でも、腕の力は、腕を動かしていない訳だから、弱くなる。
    この例を見れば分かり易いと思うが、苦痛と言う言葉で表すと、腕を鍛えているときも、骨を折ったときも、同じ苦痛を感じている。が、その中身は違う物になる。
    これは、精神も同じ。つまり、耐える苦痛と、精神的痛みは、違う苦痛になる。精神の場合、目で見えない為、分かり難いが、精神の痛みに耐えても、精神が鍛えられる訳では無い。これは、痛みに耐えているというよりは、痛みに対抗しているだけになる。
    それと、例の腕の骨が折れ、くっ付くまで待つ行為は、脳の一層目の息をしているだけ。の説明と同じになっているのが分かると思う。要は、腕があるだけ。この例だと、骨が折れている為、動けないが、単に傷でも、触らない方が早く治る。骨が折れたときの説明の方が分かり易いので取り上げただけで、精神の場合、骨は無い。
    壊れた状態だと、精神的痛みに対抗する為に耐える事になる。これは、身体が震えているとかではなく、何もしていないのに、精神的痛みを感じる。
    例を出すと、夫が車で帰って来て、その車の音を聞いただけで、お腹辺りが痛くなる。他には、うつ病など、ただ生きているだけで、精神的痛みを感じる。
    他にも、時々、何気なく言われた一言で、心にズキッと来るときがあると思う。これも、精神的痛みになる。これは、心にズキッと来るのは早いが、感じるのは徐々に感じる。なので、言われた直後よりも、後で、傷付いたという事を相手に言う人が多い。
    では、息をしているだけなはずなのに、自分で自分を傷付ける行為や、暴れる行為が、なぜ、行われるのか。それは、精神的痛みに耐えている反動。分かり易い例を出すと、上司に怒られ、部下に対し暴れる。とか、応急手当て時とか痛くて暴れる人がいると思う。それと同じ。

    気持ちの操作1の例の三つ目は、どの状態なのか。
    20階建ての高層ビルを、ランダムに上下、交互に全部の階を回った。
    これは、苦痛と安心を交互に感じさせている。が、どちらかと言うと、異常の状態になる。でも、これは黄信号の後、青になる。
    それは、大脳の判断と身体側の判断に矛盾が殆ど起きていない状況だからだ。
    上の階に行くときは、頭側では辛い。身体側でも辛い。でも、下の階に行くときは、頭側では辛くない。身体側でも辛くない。要は、同じ判断が下っている。
    例の一つ目だと、これから、徐々に上って行く、圧力がある為、身体側が異常と判断する前に、頭側で異常と判断してしまっている。これは、頭側と身体側の違いのページのどこかに書いてあるのを読んで欲しいが、身体で感じた事を、大脳で解釈してしまっている。
    例の二つ目は、先程言った様に、頭側では大丈夫と判断している。が、身体側では、異常と判断している。
    矛盾が起きていない場合、頭側、身体側、片方で耐えるよりも多く耐えられる。なので、それを身体側、片方で計算したとき、異常状態まで耐えているときが多い。

    ここでは、正常な状態とは、今の精神で耐えられる分が、全て正常な状態。
    異常状態とは、前兆で、事が終わった後に身体で分かる事が出来る。この状態は、暫くすると、正常な状態か壊れる状態に変わる。
    壊れた状態とは、精神的痛みに対抗する為に耐えている状態。その反動で、自分を傷付けたり、暴れたりする事もある。
    精神的苦痛を感じなく、精神を強くする状態は、耐えた後の吐き出しで、我慢した後の良いひとときである。
    身体で判断できるのは、事が終わってから。なので、先に計算は出来ない。だから、20階建ての高層ビルの一番苦痛な屋上を耐えられたからと言って、そのまま他の下の階まで回って耐えられるとは限らない。
    精神的苦痛と言っても、精神を強くする為に耐える精神的苦痛と、精神を壊して、それに対抗する精神的苦痛は、違う苦痛になる。
    頭側の判断と身体側の判断が同じだと、耐えられる幅が多くなる。が、片方ずつで計算すると、異常状態まで行っている事も多い。でも、これは、黄信号の後、青になる事が多い。もちろん、無理をすると黄信号の後、赤になる。

    頭で判断できるなら、正常な状態と思っていても良い。ただし、頭側の判断と身体側の判断が同じなら、耐えられる幅が多くなる為、異常と判断し難くなる。なので、同じ判断だと気付いたら、無理をしない様に気を付けて欲しい。

    気持ちの操作5 構造(精神の強さの左右とストレスの溜まり方の関係)

    更新8月24日
    気持ちの操作1で、耐える、吐き出すをする事で精神を強くする。とある。
    普通に考えると、10耐えた後、10吐き出すと、プラスマイナス0になる。そうしたら、精神は、強くも弱くもならずに、横ばいになるのではないか。
    それは、もちろん、横ばいになる。
    では、どうなっているのか。
    脳の三層構造仮説で、一層目は人間本体。二層目が快、不快の刺激。とある。
    人間本体に、快、不快の刺激を与える事で、人間本体を強くも弱くも出来る様にしている。
    要は、人間本体自体が、快、不快に行っているのではなく、快、不快を与える事で、人間本体の位置を動かしている。簡単に言うと、いっぱい食べさすと、人間本体は太る。逆に食べさせないと、人間本体は痩せる。左右は、食べ物を与えるか(食べさすか)食べ物を与えないか(食べさせないか)。人間本体はそれに沿って太るか痩せるかに動いている。という感じ。
    単純に言うと、2耐えたなら、1吐き出すだけで、プラスマイナス0になる。それは、精神が強くなっているから。要は、耐えて精神を強くした訳だから、吐き出すのは、その精神に合わせて吐き出す。それを、前の精神に合わせ吐き出すと、精神の強さは前のままになってしまう。
    もちろん、2吐き出し、1しか耐えなかった場合も、プラスマイナス0になる。これは、精神を弱らせる。
    要は、耐える。吐き出す。で、人間本体の精神の強さの位置を変えている。
    プラスマイナス0は、身体に溜めているストレスの事。ストレスが0なら、身体は一番正常な状態。
    ただし、精神の強さは、人間本体が持っている限界を超える事は出来ない。が、その限界までは、強くも弱くも出来る。でも、強い弱いどちらの限界も底が分からないと思う。

    ちなみに、気持ちの操作4で言った、精神的痛みの苦痛は、精神を強くしている訳ではないので、ストレスを10溜めたら、10吐き出さないと一番正常な状態にはならない。
    頭側と身体側の違いのページで、同じ事でも、頭側と身体側がある。と言っている様に、精神的痛みは、精神的苦痛の頭側になる。なので、平均的に吐き出す方法でしか吐き出せない。要は、吐き出すのに時間をかけて、ちょっとずつ吐き出して行かないといけない。これが、今の頭時代で、ストレスを抱えている人が多いという理由でもある。


    10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 0 -1 -2 -3 -4 -5 -6 -7 -8 -9 -10
    耐える                吐き出す

    自分の位置は0。
    これで、2耐えると、数字の2の所に行く。すると吐き出すのは1で良く、精神は1強くなる。
    では、1吐き出して、2耐えたらどうなるか。1吐き出すと-1の所に行く、そこから2耐えると1に行く。なので、精神は1の状態。でも、ストレスは、精神が1弱くなった状態で2耐えないといけない。精神を1弱らせ、0.5耐えるなら、プラスマイナス0になる。なので、1.5ストレスが溜まった状態になる。
    計算の仕方としては、始めにした方を基準にする。
    始めに耐えたなら、精神は強くなるので、そこから耐えた分の、二分の一を吐き出すと、プラスマイナス0。始めに吐き出したなら、精神を弱くしたので、耐えるのを吐き出した分の、二分の一にしないと、ストレスは、プラスマイナス0にならない。
    つまり、精神の強さとストレスは、違う動き方をしている。
    自分が耐える吐き出すをする始めの位置を0とするので、この表の0をいつでも、あてはめる事が出来る。

    この計算の仕方で分かると思うが、吐き出しを先にすると、耐えるのはきつくなる。なので、耐えるのを先に持って来ると良い。ただし、吐き出し過ぎに注意して欲しい。
    気持ちの操作1の例の三つ目。20階建ての高層ビルを上下、交互に行く。始めは一階に居るので、どうしても始めは上に行くしかない。だから、何も考えていなかったと思うが、例の一つ目と二つ目を比較すると、二つ目の一番上から行ったときは全ての階を回れている。一方、一つ目の方は、下から順に上って行った為に、途中で止めている。
    二つ目の方は、精神を強くしてから、他の階を見て回った。だから、全ての階を回れた。
    一つ目の方は、精神が弱いまま、耐え続けた。だから、途中で止める事となった。
    この二つの違いは、精神を始めに強くしたか、そのままの精神の強さで行ったかの違い。

    では、この二つと、三つ目の例を比較してみる。
    例の一つ目は、下から順に上るだけなので、精神をそのままの状態で耐え続けた。
    例の二つ目は、一番上に行った後、下るだけなので、精神を強くして、耐え続けた状態。吐き出しは、一階差なので、それほど行われない為、恐怖心を強く感じてしまった。
    三つ目は、上下交互に全ての階を回った。始めに上の階に行っているので、精神は強くなっている。そこから、下の階に行く為、吐き出しが行われる。つまり、2耐えて1吐き出す動きをするので、精神は1強くなり、ストレスはプラスマイナス0になる。この動きを繰り返している為、精神は強くなりストレスはそれほど感じていない状態で全ての階を回れている。
    これを見て分かると思うが、三つ目が、一番良いやり方になる。
    普通に考えると、始めに吐き出そうが耐えようが結果は同じ。と思ってしまうが、この世は、頭側の思考と身体側の思考の二つがある為、その二つの動きを上手い事合わさないといけない。
    精神の強さは身体側。ストレスは頭側。ストレスはあるかないかだけなので、ないは0の状態。つまり、ある方向一つしかない。なので、精神の強さとストレスをどちらもプラスマイナス0にしようとすると、2耐えた後、2吐き出せば出来る。

    ここでは、耐える吐き出すは、人間本体自体がその動きをするのではなく、耐える吐き出すで、人間本体を左右している。
    精神の強さとストレスの感じ方は、別の動き方をする。
    精神の強さとストレスの計算は、始めに耐えるか吐き出すかで計算式が変わる。始めに耐えると、精神が強くなるので吐き出すのは耐えた分の二分の一で済み、それでストレスはプラスマイナス0になる。始めに吐き出すと、精神が弱くなるので、ストレスをプラスマイナス0にしようとすると、耐えるのは吐き出した二分の一しか出来ない。その為、精神は弱くなる。
    精神の強さとストレスの関係を上手く操作したいなら、始めに耐えてから吐き出す。2耐えて1吐き出すとストレスはプラスマイナス0。この動きをすると良い。
    精神の強さは身体側なので、方向は強い弱いの二つ。ストレスは頭側なので、方向は溜まるの一つ。

    精神の強さの動きとストレスの動きは、比例していると思っていた人は多いと思う。でも、脳の三層構造仮説の様に、本体があり、それを身体側の二つの方向と頭側の一つの方向で左右する。という三つの構造になっている。

  • このページのトップ
  • 気持ちの操作6 鍛えた精神が、実際に身に付いて使えるのは、いつ?

    更新8月30日
    気持ちの操作5で、気持ちの操作1の例の一つ目は、精神が弱いまま、耐え続けた。だから、途中で止める事となった。例の二つ目では、精神を強くしてから、他の階を見て回った。だから、全ての階を回れた。とある。
    では、精神が強くなる弱くなる成果が、実際に体に身に付いたのは、いつなのか。
    それは、すぐに身に付く。耐えたなら、耐えたと同時に精神はその分強くなっている。吐き出したなら、吐き出したと同時に精神はその分弱くなっている。
    普通に考えても、高層ビルの、2階に行った。と、20階の屋上に行った。では、20階の屋上に行った方が、精神は強くなると分かる。なので、例の二つ目の方は、全ての階を回れたのだ。

    気持ちの操作1の例の一つ目、20階建ての高層ビルを下から順に上って行く。の、一階から、二階に行くだけでも、二階に行っている分、精神は強くなっている、とは分かると思う。
    では、二階に行こうと決め、一歩踏み出しただけなら、精神は強くなるのか弱くなるのか。また、途中で立ち止まったら、精神は強くなるのか、弱くなるのか。
    行動は、するかしないかの二択。つまり、するなら、精神は強くなる。しないなら、精神は弱くなる。なので、二階に行こうと決め、一歩踏み出しただけでも精神は強くなる。途中で立ち止まると、何もしない行動になるので、精神は弱くなる。

    一歩でも前に進むと精神は強くなる。立ち止まると精神は弱くなる。では、一歩進む足を上にあげただけなら、精神は強くなるのか弱くなるのか。また、単に行く振りをして足を上にあげただけなら、精神は強くなるのか弱くなるのか。
    これは、するかしないかを当てはめると、すぐに分かる。行動をしているなら、精神は強くなっている。なので、単に行く振りをして足を上にあげただけでも、精神は強くなる。もちろん、一歩進む足を上にあげただけでも精神は強くなる。
    もっと、細かく言うと、足のつま先を上に上げただけでも、その振りでも精神は強くなる。これは、進むのが足だが、足ではなく、身体のどこかを、ちょっと動かしただけでも、精神は強くなっている。

    精神に限らずだが、身体側の物事は常に何かしらの二つの方向どちらかに動いている。なので、どちらかの方向に行っていないときは無いに等しい。これを全て計算して、確実な数字を出すのは無理だと思う。
    例えば、精神で言うと、体のどこかの一部分を動かしただけでも、精神は強くなる。その上、外から受ける物事があった場合も精神は強くなる。
    外から受ける物事は、例えば、風。風を受けるだけでも精神は強くなっている。本当に風を受けるだけで精神は強くなるのか疑問に思う人もいると思う。扇風機の風にずっと当たっていると、そのうち、風がうっとうしく感じてくると思う。つまり、ストレスを感じている。ストレスを感じているという事は、耐えているという事になる。だから、精神は強くなっている。
    逆に全く何も受けけていないと、精神は弱くなっている。
    この部物的に、自分で動く動かない、外から受ける受けない。これだけでも、計算するのは、人間では無理だと思う。
    これを見れば、身体側が、計画で無く、実際(行動)に主を置いている意味が分かると思う。とても計算していられない為、計画なんて立てていられない。だから、実際で目的に合わせる。

    ここでは、精神は、ほんのちょっと耐えただけでも、耐えたと同時に強くなっている。
    精神は、ほんのちょっと吐き出しただけでも、吐き出したと同時に弱くなっている。
    精神が強くも弱くもなっていない状態は無いに等しい。
    精神は受けるだけでも強くなる。
    受けていないと精神は弱くなる。
    ストレスを感じたら、耐えている事になり、精神は強くなっている。
    精神に限らず身体側の物事の値は、とても計算していられるレベルでは無い。

    精神がいつ強くなって、いつ弱くなっているのか、実感し難いので分かり難い人もいたと思う。精神は、いつでも、強くなっているか弱くなっているか、のどちらかしかない。

    気持ちの操作7 精神の付く分量は決まっている

    更新9月08日
    気持ちの操作6で、ほんちょっと手足を動かしただけでも、精神は強くなる。逆にほんのちょっと止まっただけでも、精神は弱くなる。とある。
    では、その精神力は、誰なら、どのくらい付くのか?という疑問が出て来ると思う。
    例えば、普通の人が、手足をほんのちょっと動かしただけで、精神が強くなっているという実感は、全然湧かないと思う。
    でも、精神の弱い人なら、手足をほんのちょっと動かす事も出来ない。それは、実は普通の人も同じ。
    なぜなら、人は、得意な事と苦手な事を持ち合わせているからだ。
    だから、自分の苦手な事だと、手足は動こうとしないし、自分もその行動を取ろうと思わず、動こうとしないと思う。
    自分の苦手な事をやれ。と言うなら、僕はここから一歩も動かない。と言った人、思った人は多いと思う。
    そういう人にとっては、ただの一歩でも、精神を大きく左右する。
    つまり、得意な事と苦手な事の差で、ただの一歩でも、精神力を使うのに差が出てくる。その差で、精神力が付いたかどうかの実感も変わってくる。
    得意な事なら、全然、実感は湧かないが、苦手な事なら、精神力が付いた実感が湧く。
    その事から、同じ人でも、得意な事と苦手な事で、精神力は違う。つまり、事柄により、精神力は、それぞれ違っている。

    では、精神はどのくらい付く物なのか。
    普通に考えると、自分の得意な事は、実感が全く湧かない訳だから、精神は、それほど強くならない。逆に、苦手な事は、ただの一歩さえ、苦痛に感じる訳だから、精神は多く付いている。と思ってしまう。
    では、20階建ての高層ビルを2階まで上った。20階建ての高層ビルを10階まで上った。
    人によって、精神の付く実感が違うのは、得意な事と苦手な事の差。
    2階に上った人と、10階に上った人で、精神力が付いた実感が、同じ、という人達も出て来る。というのも分かると思う。
    でも、出来る事に差は、ある。もちろん、上の階に上った人の方が精神力はある、と言える。
    つまり、精神力が付いた実感が同じ分量でも、行けた階が違うなら、付いた精神力はそれぞれ違う、のが分かる。
    要は、自分のした事で付く精神力は、精神力が元々、強い人弱い人で、行動に差をつければ、同じ精神力を使った分は付ける事が出来る。が、その人その人で精神力を見ると差はある。
    つまり、2階に上ったなら、2階に上った精神力しか付かない。10階に上ったなら、10階に上った精神力しか付かない。事になる。
    その事から、精神力の付く分量は、2階に上ったなら、2階に上った分量が付く。10階に上ったなら、10階に上った分量が付く。それ以下でもそれ以上でもなく、付く分量は、する事で決まっている。
    なので、精神力が強い人、弱い人に拘わらず、精神力は同じ分量付く。
    例えば、2階に上った精神力が2付くとする。元々、高所に対し精神力が弱く、2しかないなら、精神力は倍の4になる訳だから、精神力が付いた実感は湧く。
    でも、高所に対し精神力が100ある人なら、精神力が2付いたくらいでは、実感は湧かない。でも、精神力は同じ2は付いている。

    高層ビルの例えでは分かり難かった人もいるかも知れない。例えば、腕立て伏せ。腕立て伏せ10回が限界の人が、10回できたからと言って、世界で一番腕立て伏せが出来る訳では無い。腕立て伏せ10回なんて簡単に出来ると思っている人の方が多いと思う。だから、殆どの人が腕立て伏せ10回しか出来ないなら、もっと鍛えなよ。と言うと思う。精神もそれと全く同じ。
    精神の場合、体を鍛えるよりも分かり難い事と思われがちだが、高層ビルを何階まで上る。とか、人込みの中を10分耐える。とか、それぞれの事柄で決めて行けば、身体を鍛えるのと同じ感覚で精神を鍛える事が出来る。
    もちろん、体を運動させるのと同じで、精神もある程度、運動させておいた方が良い。少し人込みがきついなー。と感じたら、極端に人込みの多いお店に足を運ぶのも良い。

    ここでは、人には得意な事と苦手な事があり、同じ人でも、色々な事柄それぞれで、精神力が違う。
    得意な事だと、ほんのちょっと手足を動かしたくらいでは、精神力が付いた実感は湧かない。もちろん、今の精神力から見ると、ちっぽけな精神力しか付かない。
    苦手な事だと、一歩踏み出すだけでも、精神力は使う為、ほんのちょっと手足を動かしただけでも、精神力が付いた実感は湧く。なので、今の精神力から見ると、精神力は付く。
    起こす行動の事柄により、付く精神力は、すでに決まっている。
    苦手な事など精神力を多く使い、それまでの精神力から見て、精神力が多く付いたからと言って、世界で一番精神力が強くなった訳では無い。それは、成した事柄で、世間と比べると分かる。
    精神も身体と同じで、常日頃から、運動させておいた方が良い。

    精神力は、全体の精神力を差す人が多いと思うが、精神力は同じ人でも、起こす行動により、使う精神力は変わってくるので、全体の精神力は、個々の行動には、さほど関係ない。
    20階建ての高層ビルを上るなら、高所に対しての精神力を上げておけば、難なく20階まで上れる。その為、全体の精神力を上げなければ、20階まで上れない、という訳では無い。

  • このページのトップ
  • 気持ちの操作8 構造2(身体側の法則)

    更新9月09日
    気持ちの操作7で、起こす行動の事柄により、付く精神力は、すでに決まっている。また、苦手な事など精神力を多く使い、それまでの精神力から見て、精神力が多く付いたからと言って、世界で一番精神力が強くなった訳では無い。とある。
    では、精神力の付き方は、どうなっているのか。

    身体側の場合、気持ちの操作5で言った様に、人間本体自体が、快、不快に行っているのではなく、快、不快を与える事で、人間本体の位置を動かす。
    例えば、20階建ての高層ビルなら、1階から20階まである。
    2階までしか行けないなら、精神力は2階までの精神力はある。20階に行けるなら、精神力は20階まである。でも、この場合、精神力の範囲は、1階から20階までしかない。
    それなら、一番弱い状態は、一階になる。
    では、底は、一階なのかどうか。
    例えば、腕立て伏せを毎日、20回行っている。
    この人は、腕立て伏せが、20回しか出来ないのかどうか。毎日20回しているなら、その1回上の21回はやろうと思えば簡単に出来ると思う。
    では、19回するなら、どうだろうか。毎日20回しているから、19回は20回に対し少ない為、簡単、なのかどうか。それは、20回するのと、あまり変わらない様に感じると思う。
    つまり、毎日20回腕立て伏せをしている人が、腕立て伏せを、21回する。19回する。も、実感として、それほど変わらない。
    普通に考えると、毎日している回数よりも多いなら、辛い。毎日している回数よりも少ないなら、楽。なはず。でも、多いも少ないも、同じ一回差なら、辛い、楽は、あまり感じない。
    では、これを、10回、差を付ければどうか。
    毎日20回腕立て伏せをしている人が、30回する。または、10回する。
    30回する方は、辛いと思う。逆に、10回の方は、楽だと思う。つまり、辛いと楽に分かれる。
    では、これを、5回差にすればどうなるか。
    毎日腕立て伏せを20回している人が、25回した。または、15回した。
    25回の方は、ちょっと辛い。15回の方は、ちょっと楽。
    つまり、腕立て伏せを毎日20回している人を基準に考えると、30回は辛い。25回はちょっと辛い。21回はいつもとさほど変わらない。20回はいつもと同じ。19回はいつもとさほど変わらない。15回はちょっと楽。10回は楽。となる。

    この事から、自分のいる位置が基準となり、上下どちらも同じ推移になっているのが分かる。
    では、底が一階なのかどうか。物事には、頭側の方向が一つの物と、身体側の方向が二つの物がある。
    1階から20階しかないなら、底は1階になる。逆に天井は20階になる。
    でも、一階よりも下があり、20階よりも上があるなら、1階は底では無いし、20階は天井でも無い。
    これは、一番と言って良い程、難しい。
    自分のいる位置が基準となり、上下どちらも同じ推移。というのは、二つ方向がある物ならば、全て同じ構造。
    例えば、坂。一番下と一番上の高低差が、20メートルある。一番上から一番下を見る。また、一番下から一番上を見る。どちらを覗いても、さほど怖さは感じない。
    では、ビルで、20メートル差があれば、どう感じるか。1階を3メートル弱とし、20メートル差を7階差とする。
    一番下は、地下6階。一番上は、地上7階。そこから、一階を覗くと、怖さを感じるのかどうか。
    地下は、真っ直ぐに伸びた穴から、上を見られる事にする。地上は、非常階段などで、真っ直ぐ下を見下ろす。
    大抵の人は、地下6階、地上7階、どちらも坂から見た20メートル差よりも、怖さを感じると思う。それは、直で高さを感じているからだ。
    では、1階から、地下6階を、穴から見下ろしたどうか。また、1階から、地下のときの様に穴から七階を見たらどう感じるのか。
    大抵の人が、下から上から、どちらも、坂のときより、怖さを感じると思う。
    つまり、怖さを感じる以上、1階が底とは言えない。
    恐怖で言うと、底は、怖さを一切感じない所。天井は、一番恐怖を感じる所。になる。
    つまり、上下ともに、天井が存在してしまう。その真ん中が、底になる。
    要は、身体側は、限界が分かり難い。それは、体を鍛える。また、体を弱らすときも、底、天井は分からないと思う。それと同じ。

    精神力の付き方も、この構造と同じ。自分のいる位置が基準となり、そこから、上下同じ推移になっている。
    つまり、高所に対し、10階が普通の人なら、2階だと精神は弱くなり、20階だと精神は強くなる。
    では、これが10階ならどうか。
    それは、普段、この人が、一階にいる事が多いなら、それで精神は弱くなる為、精神は強くしている。
    この人が普段から、10階にしかいないなら、全くと言って良い程、変わらない。
    この人が、普段は、20階にいるなら、精神は弱くしている。
    ただし、これは、1階を弱い。20階を強い。とした場合。普通は、1階を基準というか、底にしてに考えると思うので、その場合なら、これが当てはまる。

    ここでは、精神など、方向が二つのものは、基準となる位置から、上下が同じ推移となる。この二つの方向の構造を身体側の法則とする。
    身体側の方向が二つのものは、真ん中が底で、上下はどちらも天井になる。
    精神など、身体側の物事は、底、天井など、限界が分からない。

    精神力の上げ下げなど、身体側の事で、何となくは感じていただろうが、自分のいる位置から、上下が全く同じ推移とは思わなかった人もいると思う。それは、一階が一番下など、頭側の基準があるから、そう思わせるが、基準は自分のいる位置。
    ただ、自分がどの位置にいるのか、気持ちの操作6で言った様に、確実な値は分からないと思う。身体側は、実際に合わせれば良いので、自分がどの位置に行きたいかで、自分の位置を移動させ、合わせれば良い。

    気持ちの操作9 身体側の法則の推移の仕方・頭側の法則の基本の辛さ

    更新9月11日
    気持ちの操作8で、自分のいる位置から、上下同じ推移になっている。というのは分かったと思う。
    では、その推移の仕方はどうなっているのか。

    例えば、腕立て伏せを10回する。
    普通に考えると、始めの1回よりも、10回目にする1回の方が、疲れる、と感じる。なので、1回目を1の辛さとするならば、10回目の1回は、単純に10の辛さ、の様に思える。これで行くと、腕立て伏せを10回やるのに、55の辛さを感じる事になる。
    では、実際はどうか。
    腕立て伏せを10回が限界の人が、10回するのと、腕立て伏せを100回が限界の人が90回した後の、10回をするのとでは、同じ辛さの10回なのかどうか。
    腕立て伏せを10回が限界の人は、1回は、1の辛さ。5回した時点では、5の辛さ。終わりの10回し終わったときは、限界の10の辛さ。とする。
    これで言うと、腕立て伏せ100回が限界の人は、90回した時点で、9の辛さを感じている事になる。なので、91回目は、9.1の辛さになる。95回目は9.5の辛さ。終わりの100回は、限界の10の辛さ。となる。
    限界が10回。または、限界が100回。どちらも、終ったときの辛さは同じ限界の、10を感じている。
    つまり、辛さの1から10に行くまで、同じ1の辛さずつ加算して行った事になる。
    9の辛さからしたからと言って、1の辛さが、2や3の辛さになる訳では無く、それは、9の辛さからしているから、10に行く、1の辛さが辛いだけ。
    要は、辛く感じるのは、0の辛さのところから1の辛さの事をやるのか、9の辛さのところから1の辛さの事をやるのかの違い。なので、1の辛さは、どの辛さのときにやっても、1の辛さのまま。
    これは、精神も同じ。
    事柄で見ると、1の辛さが、腕立て伏せ1回の人もいれば、腕立て伏せ10回の人もいる事になる。
    限界値が、事柄で多い数の人の方が、1の辛さがどれだけの数なのか、分かり難い。それは、限界が分かり難いからだ。限界が10回だと分かり易いが、限界が100回の人だと、本当に限界が100回なのかも分かり難い。

    ちなみに、陸上や水泳など、スピード競技なら、どうなるのか。
    100mを泳ぐのに、1分(60秒)かかる人。と、2分(120秒)かかる人。
    60秒の人は、10段階で言うと、1は、6秒になる。
    120秒の人の方は、1は、12秒になる。
    なので、60秒の人が6秒縮めるのと、120秒の人が12秒縮めるのとで、同じ頑張りになる。

    これで言うと、60秒の人が1秒縮めるのと、120秒の人が2秒縮めるのが同じ頑張りになる。
    でも、60秒から1秒縮めるのと、120秒から2秒縮めるのとでは、次元が違う。と思う人もいると思う。
    それは、10段階の、0を120秒にし、10を0秒にする。
    120秒の人は0のスタートから。60秒の人は、5のスタートからになる。なので、次元が違うのは、当たり前。
    これは、60秒の人が1秒縮めるのと、120秒の人が2秒縮めるのが同じ頑張りになる。というのとは、また、別の話になる。

    腕立て伏せで言うと、1回から、100回。1000回と、回を増すごとに辛くなる。という方向が一つのもの。これが一つ。今後は、これを頭側の法則と表記する。

    それと、気持ちの操作8で言った、方向が2つのときの構造が一つ。今後は、これを身体側の法則と表記する。

    100m泳ぐのに、60秒の人が1秒縮めるのと、120秒の人が2秒縮めるのが同じ頑張りになる。というのは、気持ちの操作8で言った、身体側の法則のみの話。
    回を増すごとに辛くなる。は、水泳などスピード競技で言うと、秒数を縮める程辛くなる、になる。

    この二つを合わせるのは、精神も同じ。なので、耐えられるからと言って、一つの事柄を耐え続けていると、回を増すごとに辛くなる。という頭側の法則に引っ掛かり、うつ病など、心の病に繋がってしまうので、気を付けて欲しい。

    ここでは、気持ちの操作8で言った身体側の法則、の推移の仕方は、一律である。ただし、10段階にしたときの1の回数や秒数は、人によって変わる。
    腕立て伏せで言うと、回を増すごとに辛くなる。これは、方向が一つなので、頭側の法則とする。
    耐えるレベルが上がれば、それは、耐えれても、辛い事に変わりはない。

    精神の場合、耐えられる事に頼りがちになる人が多く、それが原因でうつ病などの精神病になってしまう人も多い。
    普通に考えて辛い事は、辛い。なので、大脳で辛い事かどうか考える事もしないといけない。大脳で考えて辛過ぎる事なら、それを抑える事もした方が良い。

  • このページのトップ
  • 気持ちの操作10 身体側の法則と頭側の法則

    更新9月14日
    気持ちの操作4に、正常な状態とは、今の精神で耐えられる分が、全て正常な状態。異常状態とは、前兆。壊れた状態とは、精神的痛みに対抗する為に耐えている状態。とある。
    これが、頭側の一つの方向なら、壊れた状態。異常な状態。正常な状態。と、このままの通り並べ、自分の位置を左右にスライドする様に動かす感じになる。今は、正常でも、ちょっと悪いかなと思えば、異常状態よりになるし、異常な状態だとは思うけど壊れた状態とは全く言えないなら、異常の正常よりになる。
    でも、これは、間違い。脳の三層構造仮説で、二層目は快、不快の刺激。三層目にこの記述はない。要は、快、不快の刺激を与え、人間本体を動かすのは二層目の身体側だけ。なので、頭側の場合、左右には動かさない。
    どういう事かと言うと、頭側と身体側の違いのページのどこかに、頭側は確定。身体側は不確定。また、頭側に出来る事は似た様な事なら身体側でも出来る。身体側に出来る事は似た様な事なら頭側でも出来る。とある。要は、身体側は、不確定な為、確定をしていかない。一方、頭側は不確定でなく、一つずつ確定をして行く。なので、頭側の場合、左右に動かすのではなく、確定していった一つずつに移行して行く形になる。さっき言った、正常だけどちょっと異常より。とか、異常だけど正常より。という感じ。正常だけど異常より。この文章の位置は、正常だけど異常より、一つのみで、それ以外の位置には絶対に行かなく、確定しているのが分かると思う。一方、身体側の方は、常に動いている為、確定した位置には、通り過ぎるのみで、その位置に定着はしない。だから、身体側のみ、本体の位置をスライドする様に動かす形を取る。

    では、これを身体側の法則に当てはめるとどうなるか。
    気持ちの操作8に、身体側の方向が二つのものは、真ん中が底で、上下はどちらも天井になる。とある。そこに、1階を基準にすると、高層ビルの地下6階と地上7階は、どちらも安心できなく、その真ん中の1階が一番安心できる。とある。
    つまり、真ん中の底が、正常な状態で、上下の天井は、どちらも壊れた状態になる。異常は、正常な状態と壊れた状態の間で、壊れた状態。異常な状態。正常な状態。異常な状態。壊れた状態。と5段階になる。

    では、気持ちが浮かれている。気持ちが沈んでいる。これを、身体側の法則に当てはめるとどうなるか。
    普通に考えると、気持ちが浮かれているのは、正常な状態。気持ちが沈んでいるなら、異常か、壊れた状態と考える、と思う。
    正常な状態は、耐えられる分が全て正常な状態、とある。つまり、気持ちが沈んでいても、耐えられるなら、それは正常な状態である。
    では、気持ちが浮かれているときはどうなのか。
    浮かれていると、地に足が着いていない状態になる。つまり、浮かれれば浮かれる程、現実の事が分からず、空想を描く方向に行ってしまう。これは、浮かれ過ぎて調子に乗った後、地に落ち、現実を見た事がある人なら、すぐに理解できると思う。この、浮かれ過ぎて空想を描いている状態は、壊れた状態になる。
    気持ちの操作8に、精神など、方向が二つのものは、基準となる位置から、上下が同じ推移となる、とある。つまり、気持ちが沈んでいても、空想を描いてしまう。
    身体側の法則は、上下二つの方向があり、同じ推移になっている。
    つまり、五段階に当てはめると、気持ちが沈んで空想を描いている状態。気持ちが沈み正常に考えられない状態。気持ちが沈んでいるがまだ正常に考えられる状態、また、沈んでも浮かれてもいない状態、また、気持ちが浮かれているがまだ正常に考えられる状態。気持ちが浮かれていて正常に考えられない状態。気持ちが浮かれ過ぎていて空想を描いている状態。となる。
    正常な状態は、異常、壊れた状態でないならば、浮かれていても沈んでいても正常になるので、三つで一つになる。
    それと、壊れた状態が、空想を描く。とあるが、何事でも、頭側と身体側の二つがある。一つは、壊れた状態だから空想を描く。もう一つは、これと似た様な事。それは、精神が弱い状態。精神が極端に弱いと壊れた状態と似た感じになるのは、簡単に想像が付くと思う。実際に見比べてみると、殆ど同じ感じなのが分かる。これについては、空想を描いてしまう人が、全て壊れた状態の人。と勘違いしない様に書いただけで、ここでは、詳しくは書かない。ちなみに、壊れた状態が頭側で、精神が弱いが身体側。精神が弱いの方は、精神が強い弱い方向が二つあるの為、身体側。壊れた状態は、精神が壊れた。異常。正常。と方向が一つなので、頭側。

    頭側の法則については、動きが一定では無い為、推移の仕方など、値としては書けない。
    気持ちの操作9で、身体側の法則を、10段階にしたときの1の回数や秒数は、人によって変わる。とある。
    人により、腕立て伏せが1回で1の辛さになる人もいれば、腕立て伏せ10回で1の辛さになる人もいる。
    これを、頭側の法則を基準に考えると、腕立て伏せ1回から10回の10回の辛さと、100回から110回の10回の辛さは、同じ値では無い。となる。
    基本、頭側と身体側は繋がっていないので、組み合わせない。脳の三層構造仮説でも、二層目と三層目に別れている様に、別々で考える。なので、身体側の法則で言った、同じ10回でも、100回からしている方は100回分の辛さがすでにある為に辛いだけ。というのを、頭側の法則に当てはめてはいけない。これは、頭側と身体側の違いのページのどこかに書いてある、頭側にある事、または、出来る事は、身体側にも似た様な事はあるし出来る。という奴。

    身体側の法則と頭側の法則で混乱する人もいると思うが、身体側の法則と頭側の法則は根本が違う。
    身体側の法則は、自分を基準にした法則。で、方向が二つのときの法則。
    頭側の法則は、環境に沿った法則。で、方向が一つの法則。ちなみに、環境に沿った思考自体は身体側の物になるが、頭側と身体側の違いのページのどこかに書いてあるが、頭側の次は身体側。身体側の次は頭側。になる。なので、一番が頭側なら二番目は身体側の物が来る。一番目が身体側なら二番目は頭側の物が来る。
    腕立て伏せ1回よりも、腕立て伏せ10回の方が辛い。これは、方向が一つで環境に沿っているので、頭側の法則。
    基準を腕立て伏せ100回とした場合、99回も101回もあまり変わらない。これは、方向が二つあり、基準を設けているので、身体側の法則。

    値として書けないのは、腕立て伏せ1回から10回の10回がどれだけの辛さで、腕立て伏せ100から110回の10回の辛さがどれだけの辛さか計れず分からないから。

    段落更新9月17日
    身体側の法則では、腕たて伏せ1回から10回の10回と、100回から110回の10回は、同じ辛さで、100回した後という辛さがあるから、100回から110回の10回の方が辛い。とある。つまり、100回やった分を覗いたら、同じ10回分の辛さだという事。それは、110回のどの部分の10回を抜き取っても同じ10回分の辛さ。
    頭側の法則では、腕立て伏せ1回から10回の10回の辛さと、100回から110回の10回の辛さは、同じ値では無い。とある。これは、100回した分の辛さを引いていない値になる。なので、同じ10回でも、辛さが変わってくる。頭側の方の値は、体で感じる感覚の値になる。まず、身体側の法則の様に10回で1の辛さ。そこから、10回ずつ1の辛さを足して行く。グラフにすると、右肩上がりの斜め線になる。それに波を打たせたのが、頭側の法則の値になる。この波は、始めは軽い波だが、どんどん辛くなり、重い辛さが来て、行き切ると、また、軽い波がやってくる。その繰り返しの波。その波は、色々な要素が混ざりあった波になるので、人により全く違う。なので、値として書くのは無理に近い。
    頭側の法則は、身体側の法則に波を打たせただけなので、ある一定で区切りを付けると、身体側の法則と全く同じ値になる。
    身体側は物理的。頭側は科学的。または、身体側の次は頭側。頭側の次は身体側。その違いで、計算の仕方が変わってくる。
    身体側と頭側を照らし合わせたとき、矛盾が起きれば間違い。でも、矛盾が起きなければ正解となる。これに関しては、トップページのお題、ここに書いてある事の使い方。の部分を読んで欲しい。頭側と身体側の他の似た様な事の例については、頭側と身体側の違いのページのどこかに書いてある、それを読んで欲しい。

    頭側の法則を言葉にした場合、気持ちの操作4の例で、正常。異常。壊れた状態。頭側の場合、浮かれていても沈んでいても壊れた状態なら、同じ壊れた状態になる。ただし、言葉を付け足せば、身体側の法則と似た様な事になる。浮かれた方の壊れた状態。とか、沈んだ方の壊れた状態。という風。
    おさらいになるが、頭側の法則の場合、壊れた状態。異常な状態。正常な状態。また、少し壊れた状態。少し異常。少し正常など、そういう確定した言葉に当てはめていく。

    では、身体側の法則、頭側の法則、をどう使えば良いのか。
    A・いつも怒られているから、平気。
    身体側の法則で言えば、限界から考え、その怒られた値を出す。それが、10段階の2なら、簡単に耐えられる。
    でも、頭側の法則で言えば、その2の怒られ方は、酷過ぎる。

    B・仕事がきつい。
    身体側の法則で、自分の考えから、10段階の10である。
    でも、頭側の法則で言えば、誰でも出来る仕事である。

    Aの方は、自分の基準からは余裕かも知れないが、頭側の法則に引っ掛かる為、それは、怒られない様にする方が良い。
    Bの方は、自分の基準だと辛いが、頭側の法則では、誰でも出来る事なので、自分の基準を変えなければいけない。

    基準は飽く迄、頭側の法則の方を基準にする。これは、脳の三層構造仮説の二層目と三層目の使い方になる。
    簡単に言うと、自分がどれを選ぶかは、頭側の基準で選ぶ。その選んだ事を成したいなら、身体側で人間本体を左右する。

    なので、怒られてでも成したい事があるなら、Aの様に自分の基準を上げる。
    逆に、出来損ないでも怒られたくないなら、頭側の基準を下げて貰う。ただし、殆どの人に相手にされなくなる。それは、使いものにならないからだ。クズは要らない。厳しいが世の中は、共存という戦場。ちなみに、頭側は、利用できない人をクズと呼び、身体側は、実力のない人をクズと呼ぶ。なので、実力があっても利用できないなら、クズ扱い。利用できても実力がないなら、クズ扱い。つまり、誰でもクズにはなる。

    問題を解くなら、身体側の法則で一つ。頭側の法則で一つ。つまり、一つの事柄につき、二つ解決しないといけない。

    ここでは、正常。異常。壊れた状態を身体側の法則に当てはめると、下の壊れた状態。下の異常。正常。上の異常。上の壊れた状態の5段階となり、人間本体の位置をスライド式のボタンの様に動かす。
    正常。異常。壊れた状態を頭側の法則に当てはめると、上でも下でも、正常。異常。壊れた状態の三つのみ。頭側の法則では、人間本体の位置を動かすのではなく、今の症状の名称を、人間本体に当てはめるだけ。
    頭側の法則では、腕立て伏せで言うと、1回から10回の10回と、100回から110回の10回は、同じ10回の辛さでは無い。これは、身体側の法則と違い、100回から110回の10回の10回は、100回分を引いていないときの辛さの事。推移としては、身体側の法則の推移に曲線の様な波を打たせたもの。その為、身体側の法則と頭側の法則の値は、ある一定の区切りで必ず同じ値になる。
    身体側の法則と頭側の法則は、繋がっていない為、組み合わせない。別々に考える。
    身体側の法則は、自分を基準にした法則で、方向が二つあるときの法則。
    頭側の法則は、環境に沿った法則で、方向が一つの法則。
    身体側の法則、頭側の法則は、一つの事柄に、それぞれを当てはめて使う。そのときの基準は頭側になり、その基準から選んだ位置に、自分の本体を身体側で左右して持って行く。
    問題は一つの事柄から、身体側の法則と頭側の法則の二つを解く。

    身体側の法則と頭側の法則を組み合わせて考えてしまい、何かおかしい、または、何か間違っている。と思った人もいると思う。基本、頭側と身体側は、繋がらせずに別々で考える。
    これをごっちゃにして考えてしまうと、良く分からない事になる。精神が壊れた。と、精神が弱い。どちらのせいで、空想を考え喋っているのか見極めないと、どちらを治せば良いのか分からなくなり、その二つの治し方が違うなら、治し難いと思う。ちなみにこの二つは、治し方が違う。

    11 速効性と遅効性

    更新9月17日
    気持ちの操作6で、精神は、耐えたと同時に強くなっている。精神は、吐き出したと同時に弱くなっている。とある。
    気持ちの操作10の中で、何事でも、頭側と身体側の二つが存在する。とある。
    この、強くなり方。弱くなり方も、もちろん、二つある。

    例えば、10q走る。
    10q走っている間は、辛い。でも、走り終わった直後、急に違う大きな辛さが襲って来る。その急に来た大きな辛さが終わると、ちょっとした辛さはまだ残っているが徐々に回復傾向に向かう。その何時間後かには、走る前と同じくらいには治っている。
    始めに、走り終わった直後、急に大きな辛さがやって来る。これが、速効性で、身体側。
    その後の、急に襲って来た辛さが終わった後、ちょっとした辛さはまだ残っているが徐々に回復傾向に向かう。これが、遅効性で、頭側。
    この二つを比べて見ると、速効性の方は、辛さが極端で、辛さが襲ってくるのも治るのも速い。遅効性の方は、辛さはそれ程なく平均的だが、辛さが長い。その為、治るのが遅い。

    では、この後はどうか。
    暫く時間が経つと、筋肉痛になる。その後、徐々に治る。
    そのときの辛さはどうなっているか。
    筋肉痛になった始めは痛い。でも、少し動くとその痛さは、ほぐされ、始め程痛くない。
    つまり、ここでも、速効性と遅効性の二つがある。
    大きく言うと、走った直後に襲って来た辛さが速効性。後で筋肉痛として襲って来た辛さは遅効性になる。

    ちなみに、筋肉痛が襲って来た後、少し動くと痛さが解される。とある。これは、気持ちの操作1の始めに言った、悪い事が悪い事で無いとき。
    普通に考えると、痛いなら、治まるまで待つのが良い。でも、待たずに動く方が良いときがある。それは、速効性のときでは無く、遅効性のときである。
    気持ちの操作10で言った、精神が壊れた状態。と精神が弱い状態。どちらが速効性で遅効性か分かれば、待つのか動かすのかが分かる。
    精神が弱いというのは、一時か、それとも、長い期間か。壊れた状態は、一時か長い期間か。
    精神が弱いのは、強くしない限り永遠である。つまり、長い期間。壊れた状態は、少しややこしく、頭側と身体側の違いのページ5の、お題の頭側は方向が一つ、身体側は方向が二つ。の所を読んで欲しいが、死んだ状態では無い。なので、必ず回復に向かう。つまり、一時のものである。
    精神が壊れていて、おかしいのか。壊れた状態は治っているが、吐き出し続けた為に、精神が弱くなったからおかしいのか、分かり難い人もいると思う。
    これは、体と同じ感覚。身体が疲れた。でも、治っているのか、体が弱くなっているのか、どう自分で判断しているのか。それを考えると、壊れた状態から治っているのかどうかすぐに分かる。
    そして、速効性の後は、遅効性だから、動かせば、痛みは解れる。つまり、壊れた状態から治れば、体を動かし、精神的に耐える事をした方が治る。ただし、やり方はある。でも、ここでは書かない。が、筋肉痛のときと同じやり方。
    耐えると、当然、辛さはやって来る。そのとき、壊れた状態の辛さと勘違いしてしまいがちになる。それは、なぜか。
    体と並行して考えると分かり易い。筋肉痛で痛い。体を動かし解そうとしたときは、激痛が走っている。精神も同じ、始めに耐えるときは激痛が精神を襲う。
    でも、身体が解れれば、体の痛みはそれ程なく平均的で、痛みは長い。精神も、耐え始めに感じた激痛はすぐに去るが、ある程度の辛さが平均的に長い期間続く。
    それが終われば、元に戻る。筋肉痛、体の様に分かっていれば、すぐに対処ができ、体が弱り過ぎる。という所までは行かないと思う。精神も同じ、壊れた状態の速効性の方が治ったかどうか分かれば、あとは体、筋肉痛のときと同じ様にすれば、元に戻る。
    辛さや痛みは感覚で感じる為、似た様な辛さが、どの辛さか分かり辛い。というのもある。それに、身体側は、頭側と違い確定をしていない。要は、100の辛さなのか、90の辛さなのか、徐々に辛さが抜けているなら、分かり難い。だから、本当は、90の辛さでも、100の辛さと勘違いしてしまう事もある。それは、感覚だけで判断しているからだ。それに、身体側は、一番に感じている辛さが一番上の辛さになる。なので、身体側で言うと、100の辛さだろうが、90の辛さだろうが、一番上が、90の辛さなら、90の辛さが100段階の100の辛さになる。これは、気持ちの操作10で言った、頭側の法則を基準に考えないとおかしい事になる。常に、身体側の法則、頭側の法則、それぞれで考える様にしておくと良い。それと、実際の事は、実際でないと分からない。身体側は後でないと分からないので、行動した後、または、待った後、にどの値の辛さなのかある程度分かる事は出来る。なので、実際で試す事も忘れない様にしておくと良い。
    身体側の法則、体の感覚は、速効性のときに使う。頭側の法則は、遅効性のときに使う。
    速効性のときは、身体側で判断する。急に大きな辛さが襲って来たら、それは身体を休めるしかない。時々、スポーツ競技でインタビューの為に、競技を終えた直後の選手を無理やり立たす人がいるが、それは危険なので止めた方が良い。遅効性の方は、平均した辛さが長い期間滞在しているので、身体側で判断すると、ずっと動けなくなる。それでは都合が悪い為、頭での判断が必要になる。筋肉痛だからと言って、治るまでずっと動かない人はいないと思う。その対応と同じ。

    これを見て分かる様に、速効性の方は、後に残らない辛さ。遅効性の方は後に残る辛さになる。つまり、別々の辛さに別れている。
    これが別れておらず、速効性だけの場合、、急に来る辛さの度合いが大き過ぎる事になり、激しい運動自体が出来なくなる。遅効性だけの場合にしても、後に残る辛さが、辛くて長いなら、長い期間動き辛くなる。
    人間自体は本当に上手く創られている。
    仕事など、人間の外側で、この速効性と遅効性を上手く扱えれば、自分の気持ちを操作し易い。

    ここでは、何かを成した直後、急な辛さなどが襲って来る。それが治れば、あとは平均したある程度の辛さが長い時間回復傾向に流れながらやって来る。これが速効性。
    速効性が終われば、身体に残った辛さが急に襲って来る。それが治れば、あとは平均したある程度の辛さが長い期間回復傾向に流れながらやって来る。
    細かく言うと、急な辛さは、速効性。平均したある程度の長い時間、期間の辛さは、遅効性。
    速効性と遅効性は、別のもの。速効性で一つ。遅効性で一つ。になっている。
    速効性の方は治るまで待つ。
    遅効性の方は、身体を解すと動き易くなる。ただし、治りきるまでは、極端に激しい運動は避ける。激しい運動くらいなら、大体はいける。これはやり方があるが、いつか書く。
    速効性のときは、身体の法則など、身体側で判断すると良い。
    遅効性のときは、頭側の法則など、頭側で判断すると良い。
    壊れた状態の辛さと、残った辛さの速効性の方の辛さを解すときの辛さを、一緒にしない。
    精神での治し方が分からなければ、分かる体の治し方を手本にする。ここでは、走った辛さを手本にしているが、体に傷を受けたときも流れは同じになっている。
    身体側の感覚だけで辛さを判断しない。頭側で判断する事も必要になる。

    速効性と遅効性がある事を知らないと、速効性が終わったから普通に動けると勘違いしてしまったり、まだ疲れが残っているから動けないんだ。と勘違いしてしまう事になる。そこを知っていれば、効率良く身体を使える。
    トップページのお題、概要。で、僕がうつ病は自力で簡単に治した。と書いてあるが、それは、筋肉痛を治すのと同じ要領なら、納得できると思う。筋肉痛と同じで、二日くらいはきつかった。完全なる完治までに一年かかったが、まあ、余裕。

  • このページのトップ
  • 12 自分の位置と範囲 ・ 速効性と遅効性の特性

    更新9月22日
    気持ちの操作8で、身体側の方向が二つのものは、基準となる位置から、上下が同じ推移となる。また、真ん中が底で、上下はどちらも天井になる。精神など、身体側の物事は、底、天井など、限界が分からない。とある。
    気持ちの操作10では、正常。異常。壊れた状態を身体側の法則に当てはめると、下の壊れた状態。下の異常。正常。上の異常。上の壊れた状態の5段階となり、人間本体の位置をスライド式のボタンの様に動かす。とある。
    この二つを組み合わせると、自分の一番良い場所があり、そこを正常の基準とし、上下に同じ推移で異常、壊れた状態が存在する事になる。

    例えば、野球選手が、スローボールを投げられると打ち難い。とか、100mを1分で泳いでいる人が、自分の感覚で2分で泳ぐとなると、泳ぎ難い。という事が起こる。
    普通に考えて見れば、速いボールの球を打てるなら、遅いボールの球は簡単に打てないとおかしい。100mを1分で泳げるなら、100mを2分かけて泳げないとおかしい。
    でも、これらが、なぜか、難しい。

    簡単に言うと、時速140qの球に慣れている人は、その前後なら、打ち易い。でも、その範囲を超えると、途端に打ち難くなる。
    水泳で言うと、練習時、100mを1分で泳いでいるなら、その前後は、泳ぎ易い。でも、その範囲を超えると、泳ぎ難くなる。
    普通に考えて、時速140qの球に慣れている人が、時速240qの球がきたなら、打てなくてもおかしく感じない。実際に、打ち難いとも思う。でも、時速40キロの球がきたなら、素人でも打てる為に、素人目から見てもおかしく感じてしまう。
    水泳にしても、100mを泳ぐのに2分かかる子供がいたとする。100mを1分で泳ぐ人が、その子供と同じ様に泳ぐ事が難しいとは、その子供から見て、とても思えない。

    時速240qの球を打つ。これが出来難い理由は、頭側の法則。ゆっくりとした球よりも、速い球の方が打ち難い。なので、時速240qの球は打ち難い。
    では、時速40キロメートルの球はどうか。
    時速240qだと、未知なので打ち難い。でも、時速40qの球は、自分が生きてきた中で打った事があるのかどうか。子供の頃を思い出すと、打った事がある。という人の方が多いと思う。
    つまり、頭側の法則の簡単な方は、経験積みな事が多い。
    経験があるなら、あとは、慣れ、である程度は対応できる。
    気持ちの操作10で、身体側の法則と頭側の法則は別々で考えるとある。
    頭側の法則では、ゆっくりとした球の方は打ち易いが、速い球は打ち難い。
    身体側の法則では、経験がある球の方は打ち易いが、経験の無い球は打ち難い。
    この二つを消すとどうか。
    時速240qの球でも、時速40qの球でも、慣れれば全く打てない事はない。でも、対応できるとは言え、それは、集中すれば対応できるだけであって、自分の慣れている球に比べると、全くもって打ち難いと思う。
    この事から、自分の一番良い基準の位置があり、その上下は打ち難い事が証明できる。だから、自分の一番良い場所があり、そこを正常の基準とし、上下に同じ推移で異常、壊れた状態が存在する。というのは、正解になる。この場合の異常は空振り等で、壊れた状態は打つ仕草も出来ず構えたままの状態。ただし、このやり方では、消した部分が実際には消せないので、証明し辛いが、気持ちの操作8の説明と、実際に試した感じがあればある程度は理解できると思う。
    気持ちの操作4で、正常とは、今の精神で耐えられる分が全て正常な状態。とある。
    つまり、上でも下でも正常である。楽でも辛くても耐えられる分は全て正常な状態である。という事。

    では、時速240qや時速40qに慣れてから、時速140qの方を打つとどうか。
    それは、始めは打ち難くなっている。それは、時速240qや時速40qの方に慣れてしまっているからである。
    では、時速240qや時速40qに慣れる時間と、元々慣れていた時速140qの方に慣れる時間は、同じなのかどうか。
    それは、元々慣れていた時速140qの方が早く慣れられる。
    これは、お題の11速効性と遅効性の影響。
    時速240qの球や時速40qの球でも、慣れれば対応できるとは言え、自分の慣れている球に比べると全くもって打ち難い。
    慣れて対応できているのは、速効性の方。遅効性の方は、時速140q前後から、時速240qや時速40qの方に流れているとは言え、動き切るには時間が掛かる。その為、自分の慣れている球に比べ打ち難いままである。
    時速240qや時速40qに慣れ、時速140qの球が打ち難くなっているのは、速効性の自分の基準の位置が変わっている為。
    でも、遅効性の方では、時速140qからそれほど変わっていないので、時速240qや時速40qに比べ、早く慣れられる。
    つまり、速効性の方は対応できる幅が大きい。逆に遅効性の方は対応できる幅が小さい。逆を言えば、速効性の方はコロコロと対応幅が変わるが、遅効性の方は対応幅が変わり難い。

    お題の11の筋肉痛の例で分かる通り、遅効性の方は、身体に残っている。逆に速効性の方は、身体に滞在している期間が短い。
    つまり、速効性の方は、その場対応の力。遅効性の方は身体本体の力になる。もちろん、精神も同じ。

    ここでは、自分の一番良い基準の位置があり、そこから上でも下でも異常、壊れた状態が存在する。
    辛くても楽でも、今の精神で耐えられる分は、全て正常な状態である。
    経験がある事は、時が経っても、未知よりは対応でき易い。
    速効性は、対応が早く、対応できる幅が大きい。が、その場対応の力である。
    遅効性の方は、対応が遅く、対応できる幅は小さい。が、身体本体の力になる。

    精神病やうつ病の人は、辛い事が異常や壊れた状態と思いがちになる人が多い。が、耐えられる分は全て正常で、異常や壊れた状態と勘違いしない様にすると良い。
    速効性と遅効性は、身体を扱う上で、かなり重要になってくる。なので、特性を知り、使い方を考えて見るのも良い。

    13 身体の横並び構造

    更新9月24日
    身体は全て横並びになっている。
    普通に考えると、身体があり、そこから体と精神に別けられ、そこからも手や足など個々に別けられる。だから、縦構造の様に思ってしまう。
    でも、身体も、体や精神も、個々の手や足も、同じ地位である。

    例えば、脱力感。やる気が無くなると、動きたくなくなる。やる気自体は気持ちの全体。動かないのは体全体だが、個々の手足も動かさない。
    では、足を強くぶつけてしまい、うずくまる。このときは、足に負傷した訳だから、動けないのは足になる。でも、うずくまっているので、体全体も動かせない。そのときは、気持ちも動きたくない気持ちになっている。足が痛くうずくまっているときに、気持ちで動け、と思っている人はいないと思う。痛いのを我慢するので精一杯。イメージ的には、声に出せない程の、芯に染みる様な痛さ。
    では、気持ちの方はどうか。例えば、お化け屋敷。お化けが苦手な人は、恐怖で固まる。固まると当然、体は動かない。気持ち全体も当然、動きたくなくなっている。
    体全体を大きく負傷したときは、体はもちろん動かせない。のと、気持ちも体を動かしたいとは思わないと思う。
    これらの事から、体や精神の、全体のときも個のときも、身体は同じ動きになっているのが分かると思う。例として挙げたものは、速効性のときに症状として表れ易い。
    お題の11のときに、速効性は治るまで待つ。と言ったが、それの事で、体を動かさない方が良い、と身体が指示を出している。だから、身体を動かす事が出来ない。

    では、遅効性の方はどうか。
    全くやる気がなく寝転んでいたが、それは長くは続かず、体をいつの間にか動かしている。でも、やる気がある訳ではないので、体を動かしたり、休めたりするが、休む方が多い。
    足を負傷し、足は動かせないが、手は動く。でも、手を動かすも、足の痛みで気持ちは沈んでいる為、手を動かすのは長く続かず、休む。これも休む方が多い。
    お化け屋敷を出てからも、体が硬直して動けなかったとしても、暫く時間が経つと、少しは動けるようになっている。でも、恐さが取れ切っている訳ではないので、気持ちは、上を向いたり下を向いたりする。その中でも、恐かったと思っている時間の方が長い。その為、吐き出す為に、怖かった。と何回も口に出す。
    体全体を負傷したが、気持ちでは負けずに頑張ろうと思える。でも、頑張ろうと思ったり気持ちが沈んだりを繰り返す日々が続く。その中でも沈むときの方が長い。
    お題の11のときに、遅効性はある程度、身体を動かした方が治りは速い。と言ったが、気持ちが上向くのは、身体が動いても良い方向に向かった、と合図を出してくれている。なので、体的にも精神的にも動かした方が良い。

    問題は、身体側の法則と頭側の法則だと思う。身体の感覚で身体を左右するとき。頭側で考えて身体を左右するときが分からないと、それは、どうにか出来難いと思う。
    身体の感覚で左右するときの一つは、絶対指示。体が強制的に動けないのであれば、それは動かせない。例だと足をぶつけ、うずくまる。このときに体を動かそうにも動けないと思う。その絶対指示のときは、身体の言う事を聞く。逆に言えば、身体をほんのちょっとでも動かせるなら、身体を動かせる絶対指示が下っている。
    もう一つは、速効性。お題の11で、速効性を二つ挙げたと思う。一つは、走り終わった後の大きな辛さとその治り。もう一つは、個別の走り終わった後の大きな辛さ、と、筋肉痛で体を動かそうとしたときの始めの激痛。この個別の方の速効性のときは、身体の言う事をちゃんと聞き、無理をしない。
    その二つのとき以外は、頭側の考えを使うと良い。例えば、足を負傷し、手を動かしていたが、やる気が無くなり、休む事にした。これは、よくない。手を動かせる絶対指示を身体から出されているのに、身体の感覚で左右すると、動かせる手を無理やり休ます事になる。すると、成果が出ないまま終える事になり、使った手は、使い損になる。それでは、気は下向くに決まっている。手は疲れるは、気分も下がるはで、良い事は一つも無い。お題の12を思い出して欲しい。正常は、楽でも辛くても、今の精神で耐えられる分が全て正常である。つまり、気分が下がっていても手を動かせるなら、それは正常。普通に考えて欲しい。仕事でも気が遠くなるときはあるが、やらないといけないなら、やるしかない。これは環境による助けもあるが、成果が出れば、気分は上向く。これと同じ。気分が下がっていても成果が出るまで手は動かした方が良い。ただし、動かしている手に速効性の大きな辛さが襲って来たなら、手は休めた方が良い。

    流れとしては、個から全体へ。全体から個へ。と影響を与えている。ちなみに、全体は頭側で、個が身体側になる。
    全体は、身体や、体力、精神力などで、個は、身体の一部分や、精神の一部分。
    例えば、走る。
    走ったときは、主に足が鍛えられるが、他の箇所も使われた分は鍛えられる。全体の体力も、個々の箇所同様、使われた分は鍛えられる。
    体力を鍛えたときも、主には体力が鍛えられるが、個々も使った分は鍛えられる。
    つまり、全体でも個々でも、身体の鍛えられ方が、同じである。これは、精神も同じ。
    要は、全体でも個々でも同じ一部分になっている。
    これと、始めにした例を合わすと、全体でも個々でも、身体一つを左右しているので、一つ一つが身体一つの様にもなっている。

    ここでは、身体から絶対指示が出たら、それに従う。
    身体から、速効性の合図がきたら、注意して身体を動かす。決して無理をしない。
    遅効性の方は、頭側の法則で判断する。なので、身体を動かせるなら動かした方が良いが、その動きで速効性の大きな辛さが来たら、休むと良い。
    身体全体も、個々の手や足も、同じ個々であると同時に、身体一つでもある。

    体が痛んでいると気持ちも出ない。とか、気持ちが沈むと、なぜか、体も痛くなってくる。など経験した人もいると思う。それは、身体のどこを抜き取っても、同じ一つの身体だからだ。
    身体が痛んだり、心が痛むと、頭側で考え、その指示に従う人がいる。これは間違い。気持ちが沈んでいる、だから、やらない。これが間違い。お題の12で言っている様に、気持ちが上向いていても沈んでいても、耐えられるなら全て正常。もちろん、気持ちの上向き過ぎはよくない。そのときは沈み過ぎと同様に休んだ方が良い。

  • このページのトップ
  • 14 波

    更新9月26日
    脳の三層構造仮説の二層目、快、不快の刺激。要は、浮き沈みの事。疲れが出たり回復したり、筋力が上がったり下がったり、という感じの上がり下がりがあるものの事。
    浮き沈みも、頭側と身体側がある。
    一つは、自分で動かすもので、動かさないと0。動かせば1以上になるので、頭側。もう一つは勝手に動く、波で、自分の位置を基準に、常に波が起こっている。これは身体側。
    その波にも、頭側と身体側がある。もちろん、人によって、波の大きさ、速さ等は違う。
    頭側の波は、大きな波で、上と下が深いのが特徴。その為に年に数回、調子の良いとき、悪いときがある。ただし、上下に激しい波では無く、ゆったりとした波なので、感じようと思うと難しい。昨日の調子と今日の調子で言えば、殆ど変らない。
    身体側の波は、小さな波で、大体、一日くらいで上下する。上下の幅が小さい為、普段、感じようと思うと、これも難しい。

    偶に、今日は調子が良いと感じたり、今日は調子が悪いと感じるときがあると思う。これは、頭側の方の波。なので、よくよく考えて見ると、今日は調子が良いと思うとき、または、今日は調子が悪いと思うときが、年に数回程度しかないと思う。
    身体側の方の波は、この様には、感じ難い。それは、普段、自分で動かしている浮き沈みにまぎれるくらいの小さな波だからだ。
    でも、正常、異常な状態ではなく、一番良い正常な状態、または、壊れた状態なら、いつもより、感度が上がっている為、波を感じる事が出来る。

    例えば、重い物を運ぶ。
    力を使っていると、そのうち、重い物が重く感じる。そのとき、ちょっとの違いの重さが分かる様になっている。
    試すなら、0.1s差とか、ちょっとの差の物を何個か用意し、始めと、疲れ切った後で、どちらが重いか比べて見ると良い。始めより疲れ切ったときの方が、格段に分かるのが、分かると思う。
    始めは、自分の力の器に合わせ力がある。でも、疲れてくると、その力は減ってくる。
    例えば、100の力がある人が10の物を持つと軽く感じるが、10の力の人が、10の物を持つと、それは重く感じる。これは、疲れて力が10になった場合も同じ。
    100の力の人は、力がある為、10と11など、ちょっとの違いが分かり難いが、10の力の人は、力が無い為、10と11などのちょっとの違いでも分かり易い。
    これは、始めが身体側で、疲れた後が頭側。
    身体側は、やる事に合わせる為、計算をしない。なので、感覚がものを言う。でも、余力があるので、大抵は要る力よりも多く使ってしまっていると思う。
    頭側は、計算してから物事を行う。だから、無駄な力を使わずに済む。疲れている訳だから、始めのときの様な余力がなく、物に合わせて力を使えるが、自分の力を越えていると、思い切り。を使い、多めに力を入れてしまう事もあると思う。
    どちらのときも効率よく力を扱えた方が良い。

    では、この波を起たせない様に、自分で操る事は出来るのか。
    それは出来る。
    気分が沈んでいるときは、身体は動かし難い。なので、身体を動かさなければ、沈んだ状態と同じ状態に出来る。
    気分が浮いているときは、身体は動かし易い。なので、身体を動かせば、浮いているときと同じ状態に出来る。
    要は、自分で動かす浮き沈みを使って操る。

    では、なぜ、波を操らないといけないのか。
    まず、お題の12に、自分の一番良い基準の位置があり、そこから上でも下でも異常、壊れた状態が存在する。とある。
    これは、壊れた状態から正常な状態の流れに対しても言える。つまり、一番良い正常な状態も悪い事になる。
    この波は、壊れた状態、一番良い正常な状態など、調子の悪いときに使う物であって、正常な状態など、調子の良いときには、邪魔になる。要は、波を感じられるときに、この波を利用して、自分を正常な状態へと導く。

    例えば、力を使えば、疲れる。力を使わなければ、回復する。
    これは、頭側の法則になる為、回復に限界がある。でも、疲れに限界は無い。
    それと、頭側の法則なので、身体の使い過ぎをしてしまうと、1の辛さの1と、10の辛さの1では、回復する時間が変わる為、疲れれば疲れる程、回復に手間取る。これは、精神も同じ。
    お題の13の中で、足を負傷し手を動かすも気分は沈んでいる為に休んだ。とある。このときも、速効性と遅効性があり、始めに疲れて手を休めるときは速効性なので、休める。その後、何か思ったり考えたりすると思う。そのときは、遅効性の方になる為、手は動かした方が良い。その遅効性のときに波が邪魔になる為、波を自分で操作する必要がある。気持ちのまま行くと手は動かさない。でも、手を動かした方が治り易いなら、気持ちを自分で変える必要がある、という事。
    もちろん、成果が出ないと、疲れるだけなので気分は上向かないどころか沈む。波を操る場合で、沈ませたいなら、これを使う。すると、やる気が無くなるので、身体も動かしたくなくなる。だから、普通に休める。
    逆に、成果が出ると、気持ちは浮く。気分が沈み過ぎているなら、成果を上げて気分を上げる。

    気分が沈んでいるときはやれる事が少なくなり、気分が浮いているときはやれる事が多くなる。
    これを、とんとんにする為に、波を操る。
    お題の13で言った様に、全体を鍛えなくても、個々だけを鍛える事が出来る。
    中には、この波通りに身体を使ってしまい、浮くときは大きく浮かせ、沈んでいるときは大きく沈ませている人がいる。それは、全体の器を大きくしていないと、個々の大きくなってしまった波に振り回される事になる。
    要は、気分が上がっているときに、身体を動かし過ぎて、上向く波を鍛えてしまった。また、気分が下がっているときに、身体を全く使わず、沈む波を鍛えてしまった。
    気分が上向き過ぎるとやれる事が多くなる為、やり過ぎてしまう。気分が下がり過ぎると、やる気が極端に無くなるので、お題の13で言った様に、連動する様に身体も動かさない。
    気持ちに従って、この流れで身体を動かしていると、流れが強くなる為、そのうち、自分で操作でき難くなる。
    何度でも言うが、身体側の法則と頭側の法則をちゃんと使わないと、身体だけでなく、人間は上手く使いこなせない。

    ここでは、人間には、浮き沈みがあり、頭側の自分で動かすものと、身体側の常に動いている波がある。
    波には、頭側の大きな波と、身体側の小さな波がある。
    頭側の大きな波は、浮き沈みが深くなるが、流れはゆったりとしている為、昨日今日で比べると、殆ど感じない波である。
    身体側の小さな波は、浮き沈みが小さく、流れが速い。普段、自分で動かしている浮き沈みにまぎれるくらいの波の深さなので、殆ど分からない。
    人によって、それぞれの波の深さや速さは違う。
    身体は、体力的にも精神力的にも、疲れたときの方が感度が増す。感度が増すと波を感じとれる様になる。
    波は、普段、自分で動かす浮き沈みを使い、波立たせない様にする。
    身体側の法則の悪い状態のときは、この波を使い、自分を正常な状態へと導く。
    気分が沈んでいるとやれる事は少なくなる。気分が浮いているとやれる事が多くなる。この波を操らないと、上下、個々の波を鍛えてしまい、気分が沈んでいるときは何も出来なく、気分が浮いているときはやり過ぎてしまい疲れ過ぎる、といった感じで、波に振り回される。
    身体側の法則と頭側の法則をちゃんと使わないと、身体だけでなく、人間は上手く使いこなせない。

    波が大きく振れると、全体の器が小さい人は、心身共に調子を狂わせてしまう。そういう症状の病気があるみたいだが、それは、病気ではなく、身体を扱えていないだけ。

    15 気力

    更新10月01日
    お題の14で言った、浮き沈みの自分で動かす方が、気力。
    簡単に言うと、気合い。とか、病は気から。などの気力。
    もちろん、気力にも、頭側と身体側がある。
    一つは、気合いなどの、自分で頑張って出す、気力。気合いは入れるか入れないか、入れないが0になるので、頭側。
    もう一つは、嬉しいときや、何かを成し遂げたときに出る、気力。こちらは、嬉しいとき等に出る気力もあるが、幻滅したとき等に気持ちがへし折れる気力も出るので、身体側の法則に当てはめる。これが、身体側。

    気合いなどの気力は、頭側なので、常に身体に定着している。要は、皆が精神力と言っているのが、これ。
    でも、精神力は、お題の14の波と合わせて精神力である。もちろん、体力なども波と合わせて体力になる。

    波は、身体自体にあるものなので、体、精神、個々の手足にもある。脳の三層構造仮説で言うと、一層目が身体本体。二層目が浮き沈み。トップページのお題、第三の人間。で言っている様に、身体側は、一層目の裏と二層目の裏までで成り立っている。お題の13の中の始めに、身体を二つに別けると、体と精神になる。と言ったが、もう一つは身体側の、身体本体と波になる。だから、身体本体に波は絶対に付いてくる。

    頭側の気力が、気合いなどの気力。と言っているが、気合いは、速効性のものなので、定着させる気力ではない。要は、立ち向かうときに、遅効性の気力では、立ち向かえない為、その場しのぎの気力で、立ち向かえる様にするもの。
    例えば、100m走の選手とマラソン選手。逃げるときに優位なのはどっち?
    敵が近くにいるなら、100m走の選手の様に瞬発力がある人の方が優位だが、敵が見える位置にはいるが、まだ遠くにいるなら、遠くに逃げられるマラソン選手の方が優位である。
    要は、遅効性の方の気力だと、量はあるが強さがない。速効性の方の気力は、量はないが強さがある。
    お題の11で言っている様に、速効性は速効性の気力で一つ。遅効性は遅効性の気力で一つ。
    速効性の方は、量や持続力も鍛えるが、主に、強さと瞬発力を鍛える。
    遅効性の方は、強さと瞬発力も鍛えはするが、主に、量や持続力を鍛える。
    なので、強さ、だけを見ると、速効性と遅効性とでは、鍛える部分に違いがある為、断然、速効性の方が強い。
    だから、普段の遅効性では立ち向かえ難くても、速効性の強さを使えば立ち向かえ易くなる。
    なぜ、速効性と遅効性に別れているのかは、お題の11の中の最後の方に書いてあるので、それを読んで欲しい。

    遅効性の方は、分かり易く言うと、滝修行。これは、気力を持続させるもので、体力で言うと、ランニングをする様な感じ。
    普段、気力を使っているのか、使っていないのか、分かり難い人もいると思う。
    例えば、パソコンの文字入力。
    普通に打つのと、急いでいるときや焦っているときに、真剣に打つのとでは、疲れ方が違うと思う。急いでいるときや焦っているときは気力を使うので、その分疲れる。これは、誰でも分かると思う。
    でも、その様に、真剣に打てば、気力は必ず、使う。
    ただ、普通に打つときでも、気力は使っているが、その使っている量が違う。これは、歩くと走るとで考えると簡単に分かると思う。歩くと走る、どちらも体力を使い疲れはするが、疲れ方が違う。それに、鍛えるときは、走る、を使うと思う。それと、鍛えている人だと、走るを歩くに変えると、体力など弱くなる。気力も同じ。

    では、人に遣う、気は、どの気力になるのか。お偉いさんなどと会って気を遣うときだ。
    これは、身体の気力というよりは、大脳の気力になる。脳の三層構造仮説で、三層目は、この脳だけでは高度な情報処理を行う事は出来ず、一層目や二層目の脳と相補的に強調し連動しながら高次な精神機能を実現している、と考えられている。とある。要は、二層目と一層目のエンジンを借りて動かしている。それと、トップページのお題、第三の人間。そこに、三層目は、一層目の表。二層目の表。三層目の表で出来ている。とある。要は、二層目は、頭側の使い方も出来る、という事。頭側と身体側の違いのページ4のお題、感情の受け取り方。この違いと同じ感じ。
    なので、先に言ったパソコンの文字入力とは、違う疲れ方をすると思う。

    身体側の気力。プレゼントを貰い、喜んだりガッカリしたり、成果が出たり出なかったり、と言った、気力。
    成果が出ると、疲れもマシになる。とか、成果が出なかったら、余計に疲れる。といった事があると思う。要は、正の気力と負の気力がある。
    病は気から。の気は、負の気力。安心が正の気力で、不安が負の気力。ややこしくなるが、これは、身体側の気力の遅効性の気力。プレゼントや成果の方は身体側の速効性の気力。

    お題の14の波のところで、波立たせない様に、自分で動かす浮き沈みを使う。と言ったのが、この身体側の気力。
    身体側の法則の悪い状態のときは、頭側の気力を使う。波と合わせて使う事で、勢いを増させる。
    頭側の気力の遅効性の方は、気力の器になるので、身体側の法則の下の悪い状態に耐えるのに使う。遅効性で耐えられないなら、頭側の速効性の方で対応する。
    身体側の法則の上の悪い状態は、頭側の気力を使わない、を使う。お題の6の中で、動くと強くなっている。止まると弱くなっている。とある。それと同じで、頭側の気力は使わなければ、波は上がらない為に下がる。
    波立たせない様にするとき、身体側の法則の悪い状態のとき、のそれぞれ使う方を挙げたが、それは、始めに使う方で、別に両方は使わない。と言っている訳では無く、もちろん、両方を上手く組み合わせる方が、良い。

    ここでは、浮き沈みの自分で動かす方は、気力。
    自分が頑張って出す気力、気合いや鍛えた気力が、頭側の気力。
    プレゼントなど喜びやガッカリ。の、正の気力と負の気力が、身体側の気力。
    波は、身体本体とセットになっていて、浮き沈みがなければ、力は強くなったり弱くなったりしない為、波も含め、精神力、体力などと呼ぶ。
    頭側の気力の速効性は、立ち向かう為に、その場しのぎで使う。
    頭側の遅効性の気力は、精神力の器。
    身体側の正の気力、負の気力にも、速効性と遅効性があり、一時の喜びガッカリが、速効性。安心不安等の定着するものが遅効性。
    人に遣う気は、大脳の気力。
    波立たせない様に使う気力は、主には、身体側の気力。
    身体側の法則の悪い状態のときに使う気力は、主には、頭側の気力。

    気力には、種類があり、それぞれで使い様が違う。精神力と一つで言ってしまうと、精神病など、どう対処すれば良いのか分かり難いと思う。ちゃんと分けると、どれをどのときに使えば良いのか分かるので、それを鍛えたり使ったりすれば、対処できる。
    それと、身体側の思考自体に言葉が無い為、言葉を付けるとしたら、大脳の思考の言葉を当てはめるだけになる。身体側は、一つの物を、二つに細かく別けて行く為、同じ言葉が飛び交ってしまう。そこは、身体側では、どうしようもないので、良く読んで欲しい。