もう一つの思考

仕事など徐々にやる事が増え、いっぱいいっぱいになる - 精神 ・ 気持ちの操作2

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16 やる事が徐々に増え、いっぱいいっぱいになるのは、なぜ? ・ 頭側の成長と身体側の成長

更新10月06日
独自のワードが入っているので、意味が分からない人は、気持ちの操作1から、または、ワードと同じ言葉のお題と並行して読んで欲しい。
ここからは、実際に行動できる様に一つを詳しく説明します。
それと、一つを細かく、お題と内容で書いて行くので、詳しく書いていない部分は、後に書きます。

なぜ、やる事が、徐々に、増えているにも拘らず、いっぱいいっぱいになるのか。イメージとしては、仕事や家事など、全体のやる事。
普通に考えると、やる事が一気に増えたなら、手に負えなくて潰れるのは分かると思う。要は、自分の出来る器の範囲を越えたから、潰れる。
でも、徐々になら、慣れがある為、いけるのではないか。と思ってしまう。要は、小学生、中学生など、成長するにつれ、出来る物事は増える。小学生なら、一つや二つくらいしか出来なくても、中学生なら、小学生よりも難しいレベルの物事を三つ、四つと出来る、という感じ。
なので、仕事が徐々に増えても、人間は成長する為、出来ると思い込んでいる人が多いと思う。

一つは、成長により、出来る事が増える。
これは、小学生、中学生など、元からある人間の成長により、出来る物事が増える。
小学生なら、小学生レベル。大人なら大人レベル。という感じ。
でも、人間は衰える為、出来る物事が減る事もある。これは、体力で考えると簡単に分かると思う。
これは、元からある環境に沿っている為、身体側。

もう一つは、自分による成長。
小学生でも中学生並みに出来たり、大人でも小学生並みにしか出来ない人がいるのが、これ。
これは、元からある環境は関係ない為、頭側。

身体側の成長により、自分はここまでしか出来ない。頑張ってやるとストレスが溜まり、病気になる。という人もいると思う。
でも、頭側の成長がある為、頭で考えて、出来損ないレベルの事しか出来ない訳は無い。

身体側は限界が無い。例えば、身体を鍛えるとき、自分の限界が分からないと思う。その事。
頭側は限界がある。普通に考えて、やる事が一つ二つなら、出来る。でも、千も一万も、一億もやれ、と言われればそれは出来ない。

では、物事のレベルが高いのに多くの事が出来る人と、物事のレベルが低いにも拘わらず出来る事が少ない人がいるのは、どうしてか。
それは、自分の成長が出来ているか出来ていないかの差。
では、頑張ってやると、ストレスが溜まり病気になる人と、ストレスは溜まるが上手く吐き出し病気にならない人がいるのはなぜか。
それは、人間の使い方を知っているか知っていないかの違い。身体側の物事は二択なので、単純に半分の人は、偶々でも上手く行く。

徐々にやる事が増えているにも拘わらず、いっぱいいっぱいになる理由。
一つは、慣れる前に、やる事が増えている状態。
自分の器が100とする。そこに、20ずつやる事が増える。20の事が5つ増えても100なので、いける。でも、これが、6つになれば120になるので、自分の器を超え、いっぱいいっぱいになる。
例えば、腕立て伏せ。毎日20回している人が、30回やった場合、別に問題なく出来ると思う。
でも、今日だけ、自分の限界の20回をした人が、明日、30回やろうとすると、おそらく出来ない。それは、自分の限界値が30回まで上がっていないから。それなのに、無理して30回もしていたら、それは、潰れる。ただし、潰れるときも速効性と遅効性があり、遅効性の場合、潰れる前に限界値が30回まで上がれば、異常の方向に流れていた物が、正常な方向に流れる為、潰れない事もある。

もう一つは、疲れ。
徐々に疲れが溜まり、それを吐き出さずに、どんどん溜めてしまったが為に、いっぱいいっぱいになり、潰れる。
特に遅効性の疲れは、感じ難い為、疲れを吐き出さずに溜め込む人が多い。

これは、お題の1を読めば、どうすれば良いか書いてある。

ただ、一気に物事が増えると、出来るか出来ないか、はっきりする為、潰れる前に、やらないを選択するとは思う。
徐々にの方は、少しずつ増える為、出来るか出来ないかがはっきりせず、そのままやっていたら、潰れた。という感じだとは思う。

ここでは、環境に沿った身体側の成長と自分で左右できる頭側の成長がある。
感覚で言えば、限界はない為、出来る事に限界はない。でも、頭側の法則により、出来る事には限界がある。感覚では平気でも、頭側の法則により、限界を超えている事がある。
身体側の物事は二択なので、やり方を知らなくても単純に半分の人は正しいやり方で出来る。
やる事が徐々に増えていても、自分の限界値が増える前にやる事が増えれば、それは、自分の限界を超える事になる為、潰れる。
やる事は、限界値が途中で上がった為に、一応こなせて行けているのに、いっぱいいっぱいになる事がある。それは、遅効性の疲れが抜けていないからである。

成長には、成長する事もあれば、衰える事もある。それは、自分で左右できる成長も同じ。一度、成長したからと言って、ずっとそのままという訳では無い。いつの間にか衰えている事があるので、そのときは、また、鍛え直すしかない。
目の前の物事は、こなせて行けているのに、なぜか、きつい。という事があると思う。大抵の人は、そのまま頑張ってしまい、潰れてしまう。そのときは、遅効性の方を考えて欲しい。目の前の事はこなせて行けているからと自分に無理はさせていないと思い込んでいると思う。きついなら、自分に無理はさせている。そのときは、回復するまで、やる事を減らす等した方が良い。

17 器

更新10月08日
良く精神の器とか書いてあるが、器とは何なのか。
例えば、お題の16の中では、自分の器が100で、その100を超えると、潰れる。とある。
それを考えると、器は、自分の精神力と受け捕らえられる。要は、中身が詰まった精神力が、器。という感じ。でも、それは間違いである。
器は、茶碗などと同じで、中身は空っぽ。
でも、茶碗の大きさにより、入る中身の量は変わる。

伸びしろ。
例えば、腕立て伏せの限界を伸ばすとき、一気に伸びるときと、徐々にしか伸びないときがあると思う。
一つは、限界値が10回とか、数が少ないときは、頭側の法則により、一気に、20回、30回と出来る様になれる。
もう一つは、身体側の法則で、毎日20回していた為に、自分の基準がその20回になっている為、30回、40回は、すぐに出来る様になれる。これは、一時でなく、毎日できる数の事。例えば、フルマラソン。今日は走れるが、明日は、今日のフルマラソンの疲れが残るだろうから、走れない。これでは、限界値は、上がり切っていない。
一気に伸びてきた中、突然、伸び悩む時期が来る。これは、スポーツ等、例えば、陸上選手で、突然、スピードが縮まなくなった等で、停滞期、という奴。
停滞期が起こる原因は、器が伸びていないから。

器というのは、先程も言った様に、空っぽの器。その器を大きくしないと、出来る事は限られる。
一つは、お題の16で言った、身体側の成長。これにより、出来る事は限られているが、限界まで行くのは無理に近い。それくらい人間には、大きな大きな大きな器が与えられている。なので、身体側の成長は、余程の高齢にならない限り、心配しなくても良い。
問題は、自分で左右できる頭側の成長だと思う。

先程、腕立て伏せの例を挙げたが、限界値が10回だったのが、20回、30回と楽に上がる。
これは、空っぽの器が、元々30回分まであったからだ。
では、なぜ、限界値は10回だったのか。器が30回分あるなら、30回できないとおかしい。
これは、速効性と遅効性。速効性は今、出来る限界値の器。遅効性の方も今、出来る限界値の器。
でも、始めは速効性が限界を左右している。
お題の12で、速効性はその場限りの力。遅効性は身体本体の力。とある。
その場限りの力は、その場で出来る力の事で、身体本体の力があっても、その場で出せる力が無いなら、それは、その場限りの力に沿ってしか、力は出せない。
だから、身体本体の力、器までは、すいすいと限界値を伸ばす事が出来る。
停滞期に入るのは、この、身体本体の器を大きくしていなから。

お題の12で、速効性は、対応が早い。遅効性の方は、対応が遅い。とある。
つまり、速効性はすぐに伸ばせるが、遅効性はすぐには伸び難い。
だから、身体本体の器のところで、停滞期に入る。

お題の12で、速効性は、対応できる幅が大きい。遅効性の方は、対応できる幅は小さい。とある。
先程は、速効性の対応幅の最低の位置になっていて、そこが基準となってしまっている為、身体本体の器の限界値より出来なかった。
でも、速効性の対応幅が大きいなら、身体本体の器以上に出来ないとおかしい。
でも、速効性の方は、その場対応である。つまり、身体本体の限界までやるなら、それはその場対応では無い。だから、身体本体の器が基準になる。

では、身体本体の器を伸ばすにはどうすれば良いのか。
一つは、腕立て伏せの例で、毎日20回していたから、30回、40回できる。とある。この様に、自分の基準の位置を20回近くに持って来る事で、限界値を上げる事が出来る。
自分の身体本体の限界値が30回として、自分の基準は10回とする。その間のちょっときつい20回を毎日やる。すると、無理なく身体本体の限界値は上がるが、時間が掛かるのと、上がる限界値は少ない。
これを限界の30回、毎日した場合、当然、身体本体の限界値は、20回のときより、時間は掛からず、大きく上がる。でも、20回のときよりも、身体に負担はかかる。
でも、身体本体の器内なら、感覚できつくても、身体に無理はさせていないので、身体が壊れる事は、通常は無い。それは、出来る範囲内だから。
これは、遅効性を基準にして、身体本体の器の限界値を上げる方法。

もう一つは、身体本体の器の限界値を、速効性を基準に上げる方法。
お題の15の中で、速効性の方は、量や持続力も鍛えるが、主に、強さと瞬発力を鍛える。遅効性の方は、強さと瞬発力も鍛えはするが、主に、量や持続力を鍛える。とある。
さらに、お題の11では、速効性と遅効性は、別のもの。速効性で一つ。遅効性で一つ。になっている。とある。
つまり、身体本体の限界値が30回としても、速効性の方を鍛える事で、30回以上できる事を意味している。
なので、速効性で40回、50回とする。すると、身体本体の限界の30回をするより格段に上げられる。でも、これは、身体本体の器を上げているというよりは、速効性の器を上げている。それに、速効性の回数に身体が慣れるまで、遅効性が追い付くまでは、身体がきつい。なので、大抵の人は、このきつさに負け、遅効性を基準に限界を伸ばす方に切り替えていると思う。
先程、身体本体の限界までやるなら、それは、その場対応では無い。と言ったが、身体本体の限界が30回として、その30回のときに、その場対応の力を使えば、身体本体の限界を超えて出来る。
ただし、これは、身体に無理をさせる方法なので、身体を壊すおそれがある。

この二つは、純粋に一つを上げるやり方で、自分の基準の位置があるので、身体側の伸ばし方。


もちろん、もう一つ、頭側の伸ばし方、平均的に伸ばすやり方、がある。
お題の13の中で、身体には、全体と個々があり、個々一つを鍛えても、全体も同じ様に鍛えられている訳では無い。全体を鍛えても、個々一つ一つが、同じ様に鍛えられている訳では無い。ただし、全体も個々も、使った箇所は、使った分鍛えられている。とある。これは、物理的なので身体側の法則の値分、使った箇所の使った分、鍛えられる。詳しくは、お題の13を読んで欲しい。
要は、全体を鍛えれば、それに沿って、個々も鍛えられる。個々を鍛えれば、それに沿って全体も鍛えられる。
お題の13の中で、流れとしては、個から全体へ。全体から個へ。とある。
個を鍛えれば、その分、全体も鍛えられる。全体が鍛えられれば、他の個も鍛えられる。
数字で言うと、一つの個を8鍛えた。すると、全体は4鍛えられる。全体が4鍛えられたので、他の個も2鍛えられる。という感じ。この数字が二分の一になるのは、頭側と身体側の違いのページの始めに書いてある、自分側は1から100の100。相手側は25から75の50。という奴。ただし、この値は、頭側の法則になる為、本当の数値は分からない。頭側の法則の値。身体側の法則の値に関しては、お題の10を読んで欲しい。
この様に、個、もしくは、全体を鍛え伸ばす事で、身体本体の器を伸ばす事が出来る。
数字はデタラメだが、簡単に言うと、Aの個が10。Bの個が20。Cの個が1なら、身体本体の器は31。これをAを10。Bを20。Cを鍛え、1から10にしたら、身体本体の器が40になる。という感じ。

ここでは、器とは、中身の入っていない器の事。
伸びしろは、一気に伸びるときと停滞期があり、それは、器の影響である。
身体本体の器である遅効性の方が大きくても、速効性の器が小さければ、限界は、その場限りの速効性に左右される。ただし、これは、遅効性の器よりも速効性の器が小さいときに限る。
速効性の器は、遅効性の器の限界を超える事が出来るが、それは、身体本体の限界を超えている為、身体を壊すおそれがある。
器を上げるには、純粋に一つの器を上げる身体側のやり方と、他の個の器を上げる事で自分の上げたい器も一緒に上がる頭側のやり方がある。
身体側の純粋に一つを上げる方は、速効性と遅効性、それぞれを基準に上げる二つのやり方があり、遅効性は無理が少ないが、速効性は無理が大きく、身体を壊すおそれがある。
頭側の方は、個を鍛え、それに沿って全体も鍛えられる方法と、全体を鍛え、それに沿って個も鍛えられる方法の二つがある。

器を中身の入った器と勘違いしていた人もいたと思う。でも、器は中身が入っていない器で、その器分は、中身を鍛える必要はあるが、正常に鍛えられ、使える。身体本体の器を超えてしまうと、身体に様々な悪い影響が出る。

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  • 18 身体の使い方 ・ 普段、身体を動かしているのに、力が付く、衰える

    更新10月15日
    そもそも身体はどういう風に使うものなのか。

    結論を言えば、身体は鍛えてから、使う。
    なので、鍛えずに使うのが間違い。

    普通に考えると、仕事など、1から100に向かって上って行く訳だから、手ぶらで良いんじゃないの?と思ってしまう。
    でも、身体側は100からである。つまり、100から下に向かって行く。
    例えば、疲れ。
    溜まるのは1から数える。でも、普通、身体は、回復時は100で、使って行くと、だんだん数字が下がって行くと思う。
    だから、疲れ切ったとき、もう力が残っていない。という表現になる。

    例えば、1から100でなく、1から無限に限界があるとする。
    自分の力はその内の200しかない。これを全部使用したら、200から0になる。0になったら、当然、自分の力は使えない。
    だから、それ以上の事が出来なくなる。
    つまり、今の自分の力を超えて、する事、したい事があるなら、初めに鍛えて自分の力を200以上にする必要がある。これは、体も精神も同じ。


    普段、仕事など、身体を動かしていて、鍛えられるときと、衰えるときがあると思う。

    身体は実際に合わして行くのが普通。これは、勝手に合わせている。
    例えば、初めての物を持つなら、過剰に力を入れてしまい、持ち上げたとき、うわっ、軽い。と持ち上げ過ぎてしまったり、逆に重いと一旦下ろし、持ち方を変えたりすると思う。
    でも、この重さを知っているなら、先に挙げた二つの行為は殆どしないと思う。普通にいつもの様に持つ。
    このとき、一回一回、頭でこれくらいの力。とか、持ち方はこう、など考えて持たないと思う。普通に前の記憶通りに行動すると思う。これが、勝手に実際に合わすという奴。
    つまり、初めは、力を使い過ぎる。後は、実際に合った力しか使わない。
    なので、初めは、知らぬうちに、力を使い過ぎていて、鍛えられる。後は、実際に合わせた力しか使わないので、衰える。
    これは、力具合の計算になるので、頭側。
    もちろん、精神も同じで、あるお化け屋敷に初めて入る。このときは、ドキドキしっぱなしだと思う。でも、同じお化け屋敷に、もう一回入った。すると、一回目の様には、ドキドキしない。それは、すでに知っているからだ。だから、ドキドキも実際に合わせる形で、驚かされる等、吃驚してもおかしくないところしか、ドキドキしない。その為、初めてなら、精神力を多く使い、鍛えられるが、二回目以降は、初めてに比べ、精神力を殆ど使わない。その為、精神力は衰える傾向にある。

    もう一つの身体側の方は、身体側の成長。これにより、自分の標準がある。
    お題の10で、正常。異常。壊れた状態を身体側の法則に当てはめると、下の壊れた状態。下の異常。正常。上の異常。上の壊れた状態の5段階となる。とある。
    分かり易く言うと、身体にとって、運動しないのは悪い。運動し過ぎるのも悪い。その間の適度な運動が良い。となる。
    つまり、適度な運動が、身体にとって、一番正常な状態。これは、身体側の成長により、自分の適度な運動の標準が勝手に決められている。
    精神も同じ。適度に精神を使うのが良く。これも、身体側の成長により、標準が勝手に決められている。

    疲れるまで身体を動かしているが、だんだん体力が衰える。また、疲れるまで身体を動かしているから、だんだん体力が付く。
    なぜ、同じ疲れるまで身体を動かしているにも拘わらず、体力が衰えたり、付いたりするのか。
    それは、疲れの溜まり方にあり、疲れの溜まり方は、お題の5のストレスの溜まり方と同じ。
    身体を強くしてから使うのと、何もせず、そのまま使うのとでは、疲れの溜まり方が違う。
    同じ働きでも、体力が弱い人の方が疲れる。
    お題の6で言っている様に、力はすぐに付く。だから、体力を強くしてから体を使えば、疲れはその分溜まり難くなる。
    逆に、体力を強くしないまま、体を使うと、疲れるだけになり、鍛えられる事はない。
    なので、疲れ、を基準に、鍛えられる程の体力を使ったかどうか、考えるのは間違いである。
    もちろん、精神も同じで、精神力が弱い人の方が、精神的疲れは感じる。
    なので、精神力を強くしないまま使えば、それは、精神的に疲れるだけで、精神力は鍛えられていない。
    これも、疲れ、を基準に、鍛えられる程の精神力を使ったかどうか、考えるのは間違いである。
    鍛えられる程の体力、精神力を使ったかどうかは、そのままの、使った力で計算する。

    先に言った、適度な運動。これを基準に、それ以上の力を使ったなら、体力、精神力は鍛えられる。逆に、基準より力を使わなかったら、体力、精神力は衰える。
    体力、精神力が、鍛えられたり衰えたりせず、変わらないなら、身体側の成長の一番適した運動になっている。でも、体力、精神力が変わらない。というのは、常に動いている身体では、殆どない。

    頭側と身体側には優先順位がある。これについては、頭側と身体側の違い3のページのお題、頭側と身体側の優先順位。のところを読んで欲しい。
    この、普段、身体を動かしているのに、力が付く、衰える。に関して、頭側の成長は、身体側の成長を上回らないと、関係ない。
    身体側の成長を上回る。というのは、お題の10の正常、異常、壊れた状態の五段階に当てはめて言うと、下と上の壊れた状態の事。
    身体側の成長を上回れば、頭側の成長により、鍛えられたり、衰えたりする。これは、普通に今の体力、精神力を基準にして、それより力を使えば、鍛えられる。逆に力を使わなければ、衰える。
    これは、身体側の成長の標準より下に上回っているなら、頭で鍛えた方が良いと分かる為、頭側。上に上回っているなら、限界が分からず感覚で左右する為、身体側。

    これらの事から、身体は疲れさせても、鍛えられず、身体側の成長の自分の標準値より力を使わないと鍛えられない、のは分かったと思う。
    つまり、普通に身体を使うくらいでは、身体は鍛えられない。
    自分の使える精神力、体力を増やしたいなら、普段の精神力、体力の運動ではなく、鍛えるしかない。もちろん、普段の精神力、体力の運動を鍛えられるくらいしているなら、精神力、体力は鍛えられる。

    ここでは、身体が知らない初めての事では、身体の力を使い過ぎる為、いつも以上に力を使う事もあり、力が鍛えられる事がある。
    身体が知っている事では、身体が勝手に使う力を実際に合わせる為、使う力が少なくなり、力が衰える事がある。
    身体が知っている知らないでの、力が付く、衰えるは、頭側。
    疲れは、ストレスの溜まり方と同じで、体力、精神力がある方が疲れ難く、力は鍛えたらすぐに強くなる為、そのまま身体を使うより、その場で鍛えてから身体を使う方が、疲れ難い。
    よって、鍛えられるほどの力を使っているかどうかは、疲れ、では、判断できない。
    身体は、適度な運動が一番正常であり、これは、身体側の成長により、自分の適度な運動の標準が勝手に決められている。
    この標準を基準に、力を使い過ぎていると、力は鍛えられる。
    この標準を基準に、力を使っていないと、力は衰える。
    身体側の成長の基準で、力が付く、衰えるは、身体側。
    頭側の成長は、身体側の成長の影響を上回らないと、普段、身体を動かしているのに、力が付く、衰える。に関しては関係はない。
    頭側の成長の影響下なら、今の体力、精神力に沿って、力を使わなければ衰える。力を使えば鍛えられる。これは、身体側の成長の標準より下に上回っているなら、頭側。上に上回っているなら、身体側。

    疲れているのに、なぜ、体力や精神力、個々の力が衰えるんだ?と疑問に思った人もいると思う。
    適度な運動は、身体側の成長により決まっているので、その分は運動しないと、体力や精神力など力は衰える。

    19 身体を平均的に使うと、鍛えた体力、精神力が衰える理由 ・ 大脳を使っている人は、身体での事を考えられない

    更新10月17日
    普段の、仕事などの運動で、身体が鍛えられないのは、身体の使い方にあり、普段、身体を使うとき、身体を平均的に使うと思う。要は、身体を使い過ぎたり休み過ぎたりの波を起こさない使い方。その平均的な身体の使い方は、本来の身体の使い方ではない。なので、身体は、疲れるだけで、鍛えられないどころか衰える方へと行ってしまう。
    お題の18の中の、身体側の成長により、標準が決まっている。というのは、簡単に言うと、若い時と歳がいってからでは、身体の回復時間であったり、身体の使える力が異なってくるのは皆知っていると思う。この両者が、同じ動きをすると、歳がいっている人の方が疲れ易く回復し難い。その上、その動きに使う力も、歳がいっている人の方が使っている。この例を、一言で言うと、歳により、体力が違う。これは、年齢で決まっている。これと同じで、体力が鍛えられるか衰えるかの境界線も年齢により決まっている。ただし、皆が同じ個体ではない為、個人差がある。

    では、なぜ、身体を平均的に使うと、鍛えられず衰え易いのか。
    それは、身体側の成長の標準に届き難いからだ。
    例えば、身体を使った力を、腕立て伏せで考えてみる。



    回数
    40
    30
    20
    10
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    赤い線が境界線で、この境界線を上回れば鍛えられる。この境界線を下回れば衰える。
    分かり易く、腕立て伏せ10回の所と、40回の所。を一回ずつで、プラスマイナス0。腕立て伏せ20回の所と、30回の所。を一回ずつで、プラスマイナス0。とする。
    では、身体を平均的に使った場合を、この表に当てはめてみる。

    回数
    40
    30    ・        ・
    20  ・    ・    ・   ・
    10・        ・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    1時間目は、仕事に入り始めたときなので、腕立て伏せ10回分くらい。二時間目は、身体が少し慣れてきたので、20回分くらい。三時間目は、身体もほぐれ使い易くなったので、30回分くらい。四時間目は、ちょっと疲れてきたので、20回分くらい。
    そして、お昼休憩を挟み、5時間目は休んだ後なので、10回分くらい。6時間目は20回分くらい。7時間目は30回分くらいで、最後の8時間目は疲れて20回分くらい。
    すると、鍛えられる標準の線を超えたのは、3時間目と7時間目の腕立て伏せ30回分の二回だけ。
    衰える回数は、腕立て伏せ20回分が、4回。腕立て伏せ10回分が2回。
    腕立て伏せ20回分の2回は、30回分の2回と相殺できるので、残りは、腕立て伏せ20回分の2回と10回分の2回になり、この分、身体は衰えてしまう。

    つまり、身体を平均的に使うと、身体を鍛えられる境界線を超えられないときが多い為、身体は衰えがちになる。
    もちろん、精神も同じで、精神力を使っていても、自分の精神力が衰えれば、それは、だんだん、着いて行けなくなる。これを、精神的疲れと勘違いして、休むと、当然、精神力はより衰える。すると、余計に仕事に着いて行けなくなり、仕事を辞める。となる人が出てくる。これが、仕事でいっぱいいっぱいになり、うつ病になる。という人の大きな原因の一つである。
    要は、精神的疲れが溜まっているのか、自分の精神力が衰えた為に、仕事に着いて行けなくなったのか。そこを見極めないと、仕事すら、こなせなくなる。

    でも、身体を平均的に使ったとしても、身体側の成長の標準の境界線を超えている時間が多ければ、当然、身体は鍛えられる。
    でも、8時間労働をするなら、普通の人は、表に書いた様な動き方が一般的だと思う。
    なぜ、そういう動き方になるかと言うと、8時間労働だと、身体を使うには、時間が長過ぎる。その為、身体を鍛えられる境界線を超えられずに、身体を使う事になる。
    身体を鍛えられる境界線を超えれば、当然、疲れも多く溜まる。これを8時間続けろ。と言われると、普通の人では、厳しい。だから、8時間労働だと、身体が衰える、境界線を下回り平均的に身体を使う。と言った、身体本来の使い方に反した使い方になってしまう。

    では、なぜ、今の8時間労働体制が身体に合っていないのか。
    それは、今の労働体制の、8時間労働が、大脳を基準に考えた労働時間だからだ。
    大脳を使うなら、大脳は元々、平均的に使う為、8時間労働が合っている。それを、身体も同じだろうと大脳で考えてしまったが為に、身体を使う労働者にとっては、不利な働き方になっている。
    身体を疲れるまで使わされるも、身体は衰える為、別で鍛えないといけない。これをすると、当然、身体は疲れさせ過ぎてしまう。つまり、今の労働体制は、身体を使って働く人には、合っていない体制と言える。
    ただ、大脳を使っている人が、この事に気付くのは、難し過ぎる。

    厄介なのは、大脳を使い過ぎた。と、身体を使い過ぎた。が違う事。
    これは、成果で考えると分かり易く、身体を使って成果をあげようとすると、身体を酷使した使い方になる。
    大脳で、成果をあげようとすると、大脳の考えを高める使い方になる。

    大脳での考えを、簡単にする。高める。例えば、足し算引き算を大脳で計算するか。因数分解を大脳でするか。
    因数分解の方が難しいが、大脳を使う体力で考えると、足しさん引き算も因数分解も、ほぼ同じ体力になる。
    要は、簡単。難しい。と別れはするが、それが出来る事なら、使う頭の力はほぼ同じ。
    でも、身体だと、20kgの物を運ぶか、40kgの物を運ぶかの違いになり、20kgずつ運び8時間労働するのと、40kgずつ運び4時間労働するのとで、同じ労働になる。が、この、40kgずつ運ぶ、を8時間するのは身体的にきつい。
    でも、大脳で足し算引き算を8時間するのと、因数分解を8時間するのとでは、大脳を使う体力で言うと、殆ど変わらない。これは、一回、試して欲しい。同じ問題数を、一時間にどれだけ解くか決める。足し算引き算、因数分解でも、簡単、難しいはあり、それも同じ様に振り分ける。それを8時間労働の様に、途中で休憩を挟みつつ行った場合、どちらが疲れるか。きっと、同じ疲れになる。ただし、足し算引き算、因数分解が出来る人でないと、これは試せない。足し算引き算は出来るが、因数分解を解くには時間がかかる。なら、それは、始めに、出来る出来ないの差が出ている為、試せない。身体で言うと、20kgは持てるが40kgは持てない。なら、40kgずつ運ぶのは、きつ過ぎるに決まっている。それと同じ。同時に、20kgも40kgも持てる人が、今の労働体制でそれぞれを8時間同じ様に運ぶ、のも試して見て欲しい。すると、試した大脳の疲れ方と身体の疲れ方の違いが実感できると思う。

    段落更新10月17日
    試すときは、身体を使う方は、先に20kgの物を運ぶ、をする。それは、お題の18の中で言っている様に、身体が実際に合わせる。という奴で、先に40kgの物を運ぶと、身体がそれに慣れてしまい、次に20kgの物を運ぶのに慣れるまでの間、力を余分に使ってしまう。20kgの物の方を先に運ぶと、次に40kgの物を運ぶとき、重くは感じるが、余分に力を使うという事は少ない。それは、お題の14波で、身体は、体力的にも精神力的にも、疲れたときの方が感度が増す。とある様に、20kgに慣れてから、次に40kgを運ぶときも、同じ様に、辛い、を感じる為、感動が増し、力は余分に使い難くなる。
    大脳の方は、逆に、因数分解の方を先にする。すると、足し算引き算は簡単な為、本当に疲れが似た様なものなのか分かり易い。これを、足し算引き算を先にした場合、簡単、難しい。という差に錯覚を起こし易い。この、簡単、難しいの差を感じなくした方が、疲れ、を計り易い為、先に因数分解の方をする。
    簡単から、難しい事をすると、より難しいという事を感じる。が、力は余分に使い難い。逆に、難しい事をしてから、簡単な事をすると、より簡単に感じる。が、力は余分に使い易い。身体を使う方では、20kgを運ぶが簡単で、40kgを運ぶが難しいになる。
    僕が言った順番を逆にしても、大脳の疲れ方、身体の疲れ方、の違いは必ず分かる。それほどの差が、頭と身体とである。

    つまり、今の8時間労働体制は、大脳を使って働く人には合った働き方だが、身体を使って働く人には合っていない働き方となる。
    まあ、トップページの初めに書いてあるが、頭と身体は反対になっている為、大脳に合った労働体制なら、身体に合っていない労働体制となるのは、当たり前である。

    さらに、仕事場で、身体を使って働く作業員が、何もしていない時間があると、その時間も給料を払っているのだから、働け。と言われると思う。要は、労働時間内なら、何かは動け。という事。
    これも、大脳で考えているから、その考えが出てくる。大脳だと、どんな使い方をしても、疲れに差は無い為、身体を使って働いている人も、それと同じだと錯覚している。
    要は、大脳だと、足し算引き算も、因数分解も同じ疲れ方をするので、回復は休憩時間以外要らない。でも、身体は、20kgの物を運ぶのと、40kgの物を運ぶのとでは、使う体力が違う為、体力を多く使った方が多めに回復時間が要る。この事が大脳では、考えられ難い。だから、疲れている人にも、回復せず、ちょっとでも力を使え。と言えるのだ。これを言っている時点で、身体は体力を使えば使うほど回復時間が要る。という事を、大脳で考えられ難いと証明できている。これを読んで、確かに上司がこの事を理解しているとは考え難い。と思った人もいると思う。
    お題の6で、精神は、ほんのちょっと耐えただけでも、耐えたと同時に強くなっている。とある。つまり、ほんのちょっとでも動けば、新たに疲れが溜まる事を意味している。体力を回復させるのに、ほんのちょっとでも動けば、それは、回復できているとは言えない。だから、疲れている人にほんのちょっとでも動け。は、おかしい。
    機械。これは、大脳から生み出される。
    つまり、大脳で考えている人は、人間を機械と同じ様な感覚で見てくる。
    機械は使い過ぎると壊れるが、新しい部品と交換すれば、また、使える。でも、人間はそうはいかない。これを知っていても、身体を酷使した使い方を経営者側は要求する。
    つまり、身体に合っていない労働を強いられるのは、大脳を基準に考えられているから。

    ここでは、身体を平均的に使うやり方は、身体に合った使い方ではない。
    身体を平均的に使うと、身体が鍛えられる境界線、身体側の成長の標準を超えられない事が多くなる為、身体を疲れるまで使っても、体力、精神力など、衰えてしまう。
    8時間労働は、身体ではなく、頭を使う人に合った労働時間である。
    今の時代では、頭を使う人が優先される為、身体に合った労働はさせて貰えない。
    頭と身体は反対になっている為、身体を使う仕事をしている人には、不利になっている。
    大脳を使っている人に、身体を使ったときの疲れ方など、感じは、分からない。

    身体には、身体の使い方があり、その使い方をしないと、当然、身体は機械と同じ様に、壊れる。ただ、身体に換えはない。これが、大脳の思考ではどうしても分かる事が出来ない壁である。
    昔で言うと、仕事中に水分を取る事は、許されなかった。なぜ、許される様になったかと言うと、熱中症など、それが原因で、職場で倒れる人が出たからだ。そういう自体が起きないと大脳では気付けない。それは、この事を知っている人なら、簡単に理解できると思う。
    大脳で気付けているのなら、職場で倒れる人が出る前に対処している。でも、その対処が出来ていなかった。これが、大きな証拠である。
    詳しくは、頭側と身体側の違い1のページのお題、頭側は文章。身体側は絵。を読んで欲しいが、そこに、頭側に分かり易い事は、身体側には、気に出来ない程、難しい事であり、身体側に分かり易い事は、頭側には、気に出来ない程、難しい事である。とある。ただし、全く分からない訳ではなく、どちらも、体験する事で覚える事が出来る。
    まず、頭と身体は使い方が違う。という事を大脳に気付かさないといけない。これが、かなりの難易度である。
    頭が良ければ、良い。という今の時代で、大脳を使え優越感に浸っている人が、この欠点を認めるには時間がかかる。なぜなら、欠陥になり得る事だからだ。誰でも非は認め難い。
    しかも、頭と身体は繋がっていない。つまり、大脳を使い優越感に浸っている人にとって、普通の人より馬鹿である。という様な、屈辱は認められない。ただ、この壁を乗り越えない限り、人間は一生、進歩できない。
    一言、言うなら、世の中は厳しい。

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  • 20 身体に合っていない8時間労働体制でも、上手く身体を使う方法

    更新10月19日
    お題の19で、8時間労働は、身体ではなく、頭を使う人に合った労働時間である。とある。
    とは言え、身体に合ったやり方に自分で変えれば、問題はない。ただし、似た様な事は出来る。というだけであり、身体に完璧に合ったやり方。という風には出来ない事も多い。

    お題の19で使った表。

    表1

    回数
    40
    30    ・        ・
    20  ・    ・    ・   ・
    10・        ・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    お題の19の平均的に身体を使った場合の力の使い方を、そのまま持ってきたが、これが、一般的な人の使い方だと思う。これは、主に工場、飲食店など、力を使う所が、決まっている仕事で、これは、体力を使う人。また、それらの場所で現場で動きながら指示を出す人。等で、体力と精神力は、隣合わせの様な物なので、力を使う分量はほぼ一緒。指示を出す人なら、焦ったりする事も多いと思うので、体力を使う人と、精神力の使い方は、ほぼ同じな事が多い。
    これを、精神的にいっぱいいっぱいになる人に置き換えると。

    表2

    回数
    50             ・
    40      ・    ・    ・
    30  ・  ・    ・
    20・
    10
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    一時間目は、仕事始めなので、ちょっと緩めになり、腕立て伏せ20回分。二時間目は、身体がほぐれたので、その頑張りで、30回分。三時間目もその流れで頑張り、30回分。四時間目は、お昼前なので、詰めてやる為、40回分。
    お昼休憩を挟み、五時間目は休んだ後なので、少し緩めの30回分。六時間目は、休んだ分の身体はほぐれた為、40回分。七時間目は、早く帰りたく詰めるので50回分。八時間目は、仕事を詰めてやるも少し疲れ40回分。
    正社員で頑張っている人だと、こんな感じだと思う。グラフでは、少し分かり難いとは思うが、精神的にいっぱいいっぱいになりながらやっている人だと、なんとなく分かると思う。
    これだと、20回分、一回と、30回分、一回で相殺。残りは、30回分、二回と、40回分、三回。50回分一回となり、この分、精神的にきつくなる。
    最初の1から4までの四時間は波が無いが、後の4から8の五時間は波があるのが分かると思う。
    波を起こせば、身体は正常に動けている為、疲れが溜まったり、抜けたりしている。
    最初の四時間は、回復分がある為、多少の無理が利く。
    この2つの要素がある為、実際の精神的疲れで言うと、各時間、10回分ずつ下げた感じになっている。

    表3

    回数
    40             ・
    30      ・    ・    ・
    20  ・  ・    ・
    10・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    すると、腕立て伏せ10回分と40回分、一つずつで相殺。20回分、30回分が三つずつで相殺。で、プラスマイナス0になる。
    だから、いっぱいいっぱいでも、仕事をなんとか続ける事が出来る。
    でも、仕事の疲れが明日に残り回復が完全でなかったり、仕事内容によっては、上手く波を作れない場合もあり、徐々にきつくなって来る。

    では、この仕事内容で、いっぱいいっぱいにならない様にするには、どうすれば良いのか。
    出来る事は、始めに全てやる。後は、仕事内容、突然な対応などに合わせる。

    表4

    回数
    50  ・
    40・
    30
    20             ・ ・
    10    ・  ・  ・ ・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    仕事始めは、どうしてもエンジンがかかりに難いので、腕立て伏せ40回分くらい。二時間目は、エンジンも快調で、50回分。始めの二時間である程度の事はしたので、三時間目は、一気に手を抜き、10回分。四時間目以降は、適当に印を付けたが、これは、仕事内容に合わせるだけで良い。
    すると、始めの二時間で精神力が鍛えられる。ただ、疲れも大きい。でも、残りの時間で休める為、この疲れは無くなる。グラフでは、10回分と20回分が多いが、精神を強くしてから、なので、実際は、10回分上げた位置になる。
    このグラフは、実際に感じる感覚で印を付けているので、この表4だけで言うと、疲れ、のグラフと思って貰って良い。回復は限界がある為、どれだけ休んでも問題はない。
    ただ、実際にこの様にする事は出来るが、他の人に見付かれば別である。
    それは、お題の19の中でも言った様に、他人から見ていると、三時間目以降がサボっている様に見える。その為、仕事をいつもより多く渡される。これが、正直、かなりきつい。仕事を多く渡される。と言っても、一つ一つで考えると大した事はないが、全体で考えると多い。しかも、毎日、始めの二時間である程度片付けると、仕事は、いつでも増える。やり方が上手いだけに、それが災いになる。
    そこは、仕事をしている様に見せる、技も必要になる。でも、本当は要らない。が、他人のしている仕事量は分かり辛い為、仕様がない。同じ内容なら、どこまでしてるか見れば一目瞭然だが、違う内容で違う実力なら、楽をしている姿が、目立ってしまう。
    これは、一度、試して欲しい。仕事をしている様に見せないと、面白いほど、仕事が増える。でも、周りは普通に仕事をしている様にしか見えない。この原因は、考える。にある。が、ここでは書かない。

    このポイントは、仕事を詰めてやる。という所。これで、お題の17で言った、身体側の伸ばし方の、速効性から器を上げる方法が出来ている。だから、仕事量が増えても普通に出来る。
    仕事始めに仕事を詰めてする理由。お題の18で、疲れ、を基準に、鍛えられる程の体力、精神力を使ったかどうか、考えるのは間違いである。また、鍛えられる程の体力、精神力を使ったかどうかは、そのままの、使った力で計算する。とある。
    それと、疲れていると、仕事量は多く出来ない。でも、疲れていないと、仕事量は多く出来る。これは、分かると思う。
    つまり、回復している時間帯だと、体力、精神力は、多く使える為、体力、精神力は、鍛えられ易い。
    そして、精神を始めに強くしている為、後は気楽に、と言っても、精神を強くした状態での気楽な為、そこまで仕事をしていない訳ではない。これは、お題の19の段落更新で言っている、簡単から、難しい事をすると、より難しいという事を感じる。が、力は余分に使い難い。逆に、難しい事をしてから、簡単な事をすると、より簡単に感じる。が、力は余分に使い易い。この、力を余分に使い易い、が影響していて、実は、それなりに仕事をしている。
    それに、三時間目が上手く休まれば、後は、急な対応も出来易い。
    急な対応が、一時間目に入れば、このグラフの通りには出来ないが、1つずつずらせば良い。急な対応が始めの四時間だった場合は、波を作って、作業をすると良い。要は五時間目は気楽に仕事をして、六、七時間目に仕事を詰め、八時間目は、また、気楽にする。といった感じ。

    ここでは、仕事始めは、回復分がある為、多少の無茶は利く。
    波を作れば、疲れたり休めたり出来る為、上手く循環できる。
    仕事を詰めてやると、器の身体側の伸ばし方の速効性から大きくするやり方になる為、精神的器を大きく出来る。
    仕事を詰めてするのは、回復分がある、仕事始めが良い。
    始めに仕事を詰め、精神を強くすると、その影響で後に気楽に仕事をしても、ある程度できている。

    身体側の事なら、身体側に合ったやり方をしないと、それは、うつ病など、体力的、精神的に、おかしな事になる。特に身体と反対の頭(大脳)で考え、それを行動に移すと、身体は上手く機能しない。
    何か異変を感じたら、身体にとって、で考えると原因が特定し易く、対処も出来易い。
    ただ、職場の他の人が、この事を知っている訳ではない為、そこは、教えるか、上手く見せる必要がある。

    21 考え

    更新8月22日
    人は考えるとき、自分を中心に考える。
    要は、大脳を主にした様な、定義、で考えない。

    例えば、テレビのリモコン。
    テレビのリモコンで、何をしますか?と聞かれれば、大抵の人は、テレビを付けたり、チャンネルをいじる。リモコンを修理する、などと答えると思う。要は、テレビのリモコンを使って出来る事、する事の定義が答えになると思う。

    例えば、掃除をしていて、足でリモコンを踏み、テレビの電源が入り、いきなり、テレビが起動した為、驚いた。
    それを、気にしていて、友達などに、掃除途中でテレビが起動して、吃驚した。と言われれば、自分と同じ内容だと勝手に思ってしまう。これは、自分が気にしていれば気にしているほど、そう思う。
    でも、話を聞いてみると、子供が、テレビを付けただけだった。と、自分のときと内容が違った。など、こういう、自分の思っていた内容と違い、話が噛み合わなかった。という事は誰にでもあると思う。
    ポイントは、気にしていれば気にしているほど、自分の内容と同じと思い込んでしまう。という点。
    これは、疲れれば疲れる程、感度が増す。というのと同じ。感度が増すのは、気にしているから、感度が増す。気にしていなかったら、感度は増さない。朝の仕事始めなどは、体力が回復している為、体力の分量を考えて作業する人は殆どいないと思う。でも、疲れてくると、余計な体力を使いたくない等あり、体力の事も考え作業する、という人も多いと思う。
    つまり、考え、は、身体と同じ仕組である。

    始めの質問の、テレビのリモコンで何をしますか?
    自分がテレビのリモコンでおかしな事になった事があるなら、テレビを付けるなどの定義の答えよりも、そのおかしな事になった事が先に頭に浮かぶと思う。
    例えば、テレビのリモコンを洗濯機に入れてしまった。とか、筆箱と間違って学校に持ってきた。など、自分の気持ちが大きく出ていたほど、定義で一番に思い付きそうな事よりも、その事が先に頭に浮かぶ。それが、答えにならない事であってもだ。
    これは、例えのテレビのリモコンを違う物に変えたら、誰でも、定義の考えより、自分が気になった事の方が先に頭に浮かぶ、という物事が必ずあると思う。
    その、先に頭に浮かぶ物事には、必ず、感情が大きく関係していると思う。
    つまり、感情が考えを左右している。
    それに、突拍子という観点から見ると、感情が絡まった考えは、大脳の定義の考えより、幅が広い。

    人は自分基準で物事を考える。
    例えば、コップを洗う。
    面倒な人は、纏めて洗おうと、水に付けて置き、溜まってから洗う。
    気になる人は、一回一回、コップを洗う。
    人は自分基準で考える為、他人の洗い方を聞いて、驚く。そんな事、考えもしなかった。という奴だ。
    では、一回一回、コップを洗う人は、纏めてコップを洗える事を知らなかったのか。当然、知っている。夕食などが終わると、皆の食器を一気に洗うのだから。
    つまり、知っていても、自分がしない事は、考えない。
    知っている。は、大脳の知識。
    自分がしない事。というのは、身体での行動。
    考えない。のは、自分がしない事。なので、身体での行動になる。
    つまり、考える。は、頭と身体側の違い1のページのお題、頭側の人は知識を豊富にし、そこから考える事で、物事に強くなる。身体側の人は考えを豊富にし、得た事柄に考えを使って、物事に強くなる。でも言っている様に、身体側の物である。

    だから、大脳を使って8時間労働体制でいけると思った人は、身体を使って働く人にも、そのまま使用できると、思ってしまったのだ。
    会社は、縦社会な為、上には逆らえない。それに、頭側、身体側はお互い似た様な事は出来る。(この、頭側と身体側はお互い似た様な事が出来る、について詳しくは、頭側と身体側の違いのページのどこかに書いてあるのでそれを読んで欲しい。)その為、大脳を使っている人に合わせた労働時間体制が、全体に使われたままになってしまっている。
    つまり、人は、考えるとき、感覚で考えている。


    もちろん、考えも、身体側の法則に当てはめる事が出来る。
    例えば、自分の考えの、下も上も悪い状態がある。
    仕事をするとき、ここからここまではするが、それ以外はしない。簡単過ぎるのは、大脳で悪いと分かる為、それ以上の事をする。でも、きつ過ぎたり、無理難題なら、身体的にきつくなる為、しない。
    お題の18で言っている、頭側の成長の影響下なら、今の体力、精神力に沿って、力を使わなければ衰える。力を使えば鍛えられる。これは、身体側の成長の標準より下に上回っているなら、頭側。上に上回っているなら、身体側。
    この、下に上回っているなら頭側。上に上回っているなら身体側。が、簡単なら大脳で悪いと分かる。きつ過ぎる、無理難題は、身体的にきつい。と、頭側と身体側も同じになっているのが分かると思う。

    この、仕事をどこからどこまでする。という基準は、皆平等という意味で、本当は、大脳で考えないといけないが、皆、自分を基準に考えていると思う。
    例えば、遅刻をしたら、悪いと思い頑張る。でも、人によっては、遅刻をしたのは悪いが、頑張れる勇気が無い為、そのまま辞める。という人もいる。
    つまり、罪悪感を感じていて、遅刻に対し、何かはしないといけないが、その基準が定まっておらず、自分で考えてやらないといけない為、頑張る人もいれば、罪悪感に負け辞める人も出ていて、その幅は大きい。
    それが、遅刻をしたときは、こうしたら、済む。と決まっていたらどうか。要は、ルールを作る。
    例えば、遅刻をしたら、遅刻をした事を謝り、面倒な仕事をやる。それで、遅刻をした事は、免除される。
    それなら、遅刻をした分は、謝り面倒な事をやる。で相殺される為、遅刻した事を気にする必要はない。要は、罪悪感を感じる必要がない。
    すると、罪悪感を感じ、気を遣うなら、辞めよう。という人は少なくなると思う。
    勘違いしないで欲しいのは、遅刻をしたのが悪いと分かっているから、面倒な事でもするのだ。それで、遅刻した分は、帳消しで良い。
    それで平気な顔をされ、許せないのは、大脳で考えているからだ。これは、謝る。という事で、解決している。遅刻という行動は、謝らなくても、面倒な仕事という行動で返せば済む。
    何度も遅刻をする。遅刻時間が長い。なら、面倒事を増やしたりすれば良いだけ。
    要は、頭側と、身体側を、別で考えないといけない。行動が悪いなら、行動で返す。悪口を言うなど、頭側が悪いなら、頭側の謝るなどして返す。これをごっちゃにすると、当然、おかしな事になる。これは、身体側の教育のページのお題、ご褒美。と同じ事。ただし、悪い事をしたのは行動だが、どうしても行動だけで返せないなら、必死に謝るなど、頭側の反省分を上乗せする必要はある。これは、悪い原因が頭側のときも同じで、このときは、身体で返す。
    要は、悪い事が身体側の事一つなのに、頭側で必死に謝り、身体側で面倒な仕事も引き受ける。となると、二倍している事になる。それだと、遅刻した人が、遅刻二回分返している事になる為、それは、仕事を辞めよう。となってもおかしくはない。
    分かり易く言うと、示談金20万で決着しているのに、それをもう20万払わせられる様なもの。それは、こちらが悪いと言っても、やってられないに決まっている。
    例えば、車で事故を起こした。示談金はルールになる。他にマナーがある。これが、後で謝りに行ったりする事になる。ルールが頭側で、マナーは身体側。マナーを実行する事で、示談金が減る事もある。でも、事故が酷いなら、示談金が減るどころか、謝っても許されない事もある。僕が言っている事が、そのまま、当てはまっているのが分かると思う。
    ルールは、一人の基準で決められると困るが、皆の平均なら納得できる。マナーは、その人次第なので、自分基準で良い。つまり、身体側で考えると、自分基準で考えてしまう為、それを他人に押し付けるのは、間違い。考えは元々、身体側の物なので、人に自分の考えをルールとして押し付ける場合、自分が、平均的に考えられる大脳で考えているかどうかを慎重に探り、発言する必要がある。


    人の気持が分からない。という事があると思う。
    事柄では分かり得ても、本当のその人の気持ちを分かる事が出来ない。という奴だ。
    知らない事は、知らない。のと同じで、考えられない事は、考えられない。
    自分が裕福なら、貧乏な人の考えは分からない。それは、体感をしていないからだ。
    では、体感していたら、絶対に分かるのか。
    体感は、知識になる為、頭側。
    身体側は、身体側の法則の自分基準。
    今の自分の基準が、裕福になっているなら、貧乏は、今の自分の範囲内に入っていない為、分からない。なので、裕福を感じている今だと、貧乏は分からない。となる。ただ、貧乏が、今、に近いなら、まだ、考えられる。それは、自分基準の範囲内にあるからだ。
    昔の人がしていた、その人の事が知りたいなら、その人と同じ体験をしてみる。こらなら、体感していて、今、その人と同じ体験をしているのだから、自分基準の自分の範囲内にも入る為、その人の事が分かり易い。

    ここでは、考える。は、身体側の物事であり、仕組みは身体と同じ。
    大脳で考える場合は、定義の考えになる。
    感情が考えを左右している。
    突拍子という観点から見ると、感情が絡まった考えは、大脳の定義の考えより、幅が広い。
    人は考えるとき、自分の感覚で考えている。
    考えも、身体側の法則に当てはまる。
    感覚で物事を考えないといけないときもあれば、大脳で物事を考えないといけないときもある。
    頭側と身体側は別々にして考える。ただし、合わせる事も出来るが、お金と物の関係の様に、値として絶対的に決まっていない為、合わせるのは、難しい。その為、どちらかがが足りない場合にだけ合わせるのが、合わせ易い。
    自分基準だと、身体側で考えている為、それを他人に押し付けるのは、間違い。
    他人の気持ちが分からないのは、自分が考えられない事は考えられないからで、体感した事があるかどうかの知識と、身体側の法則の今の自分の基準が影響している。

    考えは、大脳の物だと思っている人が多いと思う。でも、大脳で考えられる事は、定義として決まった物で、突拍子という観点から言うと、考えられる範囲は狭い。
    逆に感情が絡まった考えは、幅が広い。要は、多種多様な考えには、必ず、感情など、体感が入り混じっている。

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  • 22 身体側の伸ばし方の速効性から精神力を伸ばすやり方

    更新10月27日
    お題の20で、身体に合っていない8時間労働体制でも上手く身体を使う方法として、精神の器を、身体側の伸ばし方の速効性から伸ばす方法を使用し、精神を強くしながら、仕事などをこなす方法を紹介したが、もうちょっと詳しく説明する。

    回数
    50  ・
    40・
    30              ・
    20         ・    ・
    10    ・  ・   ・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    これは、お題の20にある表4に、ちょっと手を加えたもの。
    速効性を使うのは、1時間目と2時間目と最後の8時間目。最後の8時間目を鍛えられる境界線の上に持ってきたのは、次の日に速効性を使い易くする為。身体はどうしても慣れが出てしまうので、3時間目から8時間目までずっとダラダラしていると、次の日に、そのダラダラが影響してしまう。なので、最後にキュッと引き締めておく。
    身体側は、今、を重視するので、最後に引き締めておくだけで、3時間目から7時間目までのダラダラは、忘れられる。
    それと、身体は一度休むと、なかなか動き難い。普段でも一回座ると、なかなか立ち難い。という事があると思う。なので、3時間目から7時間目をダラダラすると言っても、動いている事に変わりはないので、その動いている流れを利用する事で、最後のひと踏ん張りもし易くはなっている。

    速効性を、実際に使用しているときの例を出すと、遅刻しそうなとき、いつもよりも早く準備ができると思う。他にも、急ぐとき等は、速効性を使って行動している事が多い。このとき、焦っていたりと、気力を使っているのが分かると思う。
    この気力は、自分で出している為、お題の15の中の、頭側の速効性の気力になる。この気力を、気合いなど。と言っている様に、例えば、朝起きて、遅刻しそうだ。とハッとなったとき、バッと起きて、すぐ準備に取り掛かれるときがあると思う。このハッとなり、バッと起きるときに気合いが出ている。なので、そこから、家を飛び出すまで、ずっと早く行動が出来ていると思う。
    これが、速効性の動きになる。
    頭側の遅効性の気力は、そのまま遅効性の動きになる。
    この頭側の速効性の気力か、頭側の遅効性の気力か、どちらを出しているのか分かり難い人もいると思う。その場対応なら、頭側の速効性の気力。それ以外は、頭側の遅効性の気力と思っていて良いと思う。
    例えを挙げると、歩く、これは、気力なしの状態。早歩き、これは、頭側の遅効性の気力。ジョギング、マラソンなど走る、これも、頭側の遅効性の気力。ジョギング、マラソンなどで最後ひと踏ん張りする、100m走、これは、頭側の速効性の気力になる。

    速効性の動きをしているときは、焦っているけど、確実に事を成す為に、頭も働かしていると思う。この動きをすれば、精神力は鍛えられる。
    ただし、主に鍛えられるのは、頭側の速効性の気力になる。
    お題の17の中で、数字で言うと、一つの個を8鍛えた。すると、全体も4鍛えられる。この数字が二分の一になるのは、頭側と身体側の違いのページの始めに書いてある、自分側は1から100の100。相手側は25から75の50。という奴。ただし、この値は、頭側の法則になる為、本当の数値は分からない。頭側の法則の値。身体側の法則の値に関しては、お題の10を読んで欲しい。とある。
    つまり、頭側の速効性の気力を鍛えれば、その頭側の速効性の気力の2分の1は、頭側の遅効性の気力も鍛えられる事になる。ただし、この2分の1という数字は大体である。

    速効性の動きをして、頭側の速効性の精神力(気力)を強くしたとき、自分の精神の速効性の器を上回る精神力を身に付けたなら、上回った分、精神の速効性の器を大きく出来る。
    これは、精神を強くして、器を無理やり大きくするやり方で、風船を水でふくらませる感じ。風船が器で、水が精神力。で、風船に水を入れれば入れる程、風船はふくらむ。そんな感じ。

    ただ、速効性の動きは、頭側の速効性の気力を鍛えていないと時間が持たない。それに、その気がないと使え難い。
    お題の20の中で、始めの2時間に仕事を詰めてやる。とあるが、これは、速効性の動きでする。だから、単にずっと仕事を詰めてしているのとは違う。これは、先に例に挙げた、歩く。早歩き。ジョギング、マラソン。ジョギング、マラソンの最後のひと踏ん張り、100m走。を参考にして欲しい。
    とは言え、このお題にある表の印の動きが、速効性の動きにだけ当てはまる、という訳ではない。これは、8時間労働体制で身体を使うのに合った動き。
    身体は、一つ一つの組み合わせが一つになる。
    これは、お題の13で言った、個も全体も、一つの個であり、個々一つ一つが身体一つでもある。という奴。
    例えば、足を鍛える。そのとき、足に負荷を掛けて鍛えると思う。
    では、手を鍛えるときはどうか。
    足と同じく、手に負荷を掛けて鍛えると思う。この様に、鍛え方は、足も手も、負荷を掛けて鍛える、である。この、負荷を掛けて鍛える、を、身体側の全部の個に当てはめられる。これと同じ原理。

    この速効性の動きだけを使い、8時間、または、12時間くらい持たせる事は出来る。一日くらいなら、早く帰りたい。とか、急ぎの仕事。等で、ずっと速効性の動きのみで仕事をこなした人も多くいると思う。
    ただ、疲れは溜まる。マラソンを8時間するでも疲れるのに、100m走を8時間も続けたら、それは、かなり疲れる。だから、始めの2時間だけ速効性の動きを使い、あとは、仕事内容に合わせるだけにする。
    若いうちなら、休みの日に家でごろごろする等、ちゃんと週二日休めば、速効性の動きだけで仕事を週五日してもいける。ただ。人によるかも知れない。

    速効性の動きを使う利点としては、焦っていても、いつもと同じ様に出来る。それは、いつも焦る様に急いで仕事をしているので、急な事で焦って急いでいても同じ事である。なので、急な対応に強くなる。
    ただ、速効性の動きだけしていても、遅効性の身体本体の力が全然、鍛えられないのは、欠点である。
    例えば、速効性の動きを使い、仕事を一日で覚える。これが、速効性を鍛えたら遅効性は速効性の2分の1鍛えられるので、数字上は、二倍の、遅効性の動きで、仕事を二日で覚える。になるが、実際には、そうはいかない。
    それは、動きの幅にある。
    先に挙げた例で言うと、速効性の動きは、ジョギング、マラソンの最後のひと踏ん張り、100m走。と、言葉で表すと、物凄い早い動きのみ。
    それに対し、遅効性の動きは、早歩き。ジョギング、マラソン。と、言葉で表すと、普通に早い動き。速い動き。凄く速い動き。と幅が広い。
    なので、普通に速い動きだと、仕事を二日で覚えるのは困難になる事が多い。
    それに、頭側の遅効性の気力を殆ど使っていない、歩く状態なら、仕事を覚えるのに、もっと日にちが掛かる。
    なので、普段、一日中ずっと速効性を使い仕事をこなしていて、自分は仕事が出来る。と思い込んでいても、身体本体の力だけで仕事をすると、あれ?全然、出来ない。となる。ただ、速効性を使えば、いつもの様に仕事は出来る。が、あまりにも差があるので、自分は仕事が出来ないのではないか。と思ってしまう。速効性の動きにだけ頼っていると、それ程の差が、身体本体とで出る。
    速効性の動きを使えば、仕事が出来る訳だから、仕事をする上では、速効性だけに頼っても、全く問題はない。ただ、疲れが溜まり過ぎるのが問題である。この疲れをどうにかしないと、速効性の動きだけで仕事をやり切るのは難しい。

    それと、気力を使っているなら、精神的攻撃を受け取り難くなる。
    例えば、体に力を入れていたら、パンチを食らっても、耐えられる。でも、体に力を入れていなく、パンチを食らったら、痛い。イメージとしては、腹筋にパンチをするイメージ。
    これと同じで、頭側の速効性の気力を使っていたら、殆ど精神的攻撃は、跳ね除けられる。簡単に言うと、バリアを張っている感じ。
    なので、体の疲れはあっても、精神的な疲れは殆ど無い。ただ、体は感覚で感じる為、体の疲れが酷かったら、精神的疲れもある様に思える。これは、個々一つ一つも身体一つ。という奴。このときに、いつもと同じ様に、体と精神を休ませてしまうと、精神的な疲れはないので、精神は弱めてしまうだけになる。これには注意して欲しい。せっかく強くした精神を弱めたら、強めた意味が無くなる。

    ただ、速効性の動きを使うには、意思が要る。
    身体自体、意思に沿って勝手に動くもので、頭からの指示でも動かせるが、その場合は、一時だけの動きになる。
    例えば、次の日曜日はなにがなんでも買い物に行く。と、心に誓ったら、多少の山があろうと、飛び越え、買い物に行こうとすると思う。
    これが、日曜日に買い物に行けたら、行こうかな。なら、多少の山に突っ掛かったら、また、次の休みの日に行けば良いか。となると思う。
    この意思の違いが、身体を動かす上で重要になる。
    その為、頭で指示を出し、速効性の動きを使っていても、気が付いたら、遅効性の動きに変わっている。という事がある。これは、動きが遅くなっているので、すぐに分かると思う。

    それと、くどい様だが、このお題の表で言うと、始めの2時間と最後の1時間だけ速効性を使い、あとは仕事内容に合わせる。とすると、あとの5時間がサボっている様に見える。
    この5時間は、ダラダラするとこのお題の始めに言ったが、それは、速効性と比較すると、ダラダラになる。実際は遅効性の動きをする。遅効性の動きは、気力を使う使わないは、仕事内容に合わせる。最後の1時間は、速効性の動きを使いはするが、これは、ジョギングやマラソンの最後のひと踏ん張りの様な感じ。
    遅効性の動きをする5時間は、普段、遅効性だけの動きをしている人から見れば、手を抜いている様に見える。それは、遅効性の動きの幅を考えれば分かり易く、マラソンをしている人が、歩いている、または、早歩きをしている人を見て、頑張っている様には到底、見えない。
    ただ、全体としては、速効性の動きと遅効性の動きでバランスを取っているので、遅効性の動きだけをしている人と、変わりはない。
    でも、考えは、自分を中心に考える。それに、実力は個人差もある。なので、他人の速効性の動きと、自分のマラソンの動きが、同じ動きだ。と思っている人に、速効性の動きは、速効性の動きに見えない。マラソンの動きに見える。だから、遅効性の動きの5時間、特に歩いているときがサボっている様に思える。
    身体に合った動きを知識として知っている人なら、話せば分かって貰えるが、身体に合った動きを知らない人なら、当然、文句を言われる。上司に愚痴られる。等ある。なので、見せる動きもした方が良い。見せる動きは頭側の物なので、大脳を使っている人に効果がある。

    この速効性を使うやり方は、テクを必要としないので、経験が足りない人。臨機応変に出来ない人。不器用な人に合っている。他には、社会人一年目や初めてする仕事など、慣れていない事をする人に最適である。
    このお題の表の動き自体は、身体に合った動きなので、身体を使った仕事をする人なら、誰でも適応する。

    ここでは、最後に体を引き締めておくと、次の日など、その引き締めておいた慣れが、身体に付いている状態で、一日を始められる。
    速効性の動きは、頭側の速効性の気力を使い、自分をバージョンアップさせている。
    頭側の速効性の気力を使っているのか、頭側の遅効性の気力を使っているのか、分からないなら、その場対応の力を使っているかどうかで考えると分かり易い。その場対応の力は速効性の動きになる。
    速効性の動きをすると、頭側の速効性の気力が鍛えられる。その影響で、頭側の遅効性の気力も、頭側の速効性の気力の2分の1は鍛えられる。この2分1は、大体の値。
    速効性の動きをして、速効性の精神力を鍛え、自分の精神力の速効性の器を押し上げられると、自分の精神力の速効性の器を大きく出来る。
    速効性の動きは鍛えておかないと、時間が持たない。
    身体は、一つ一つの組み合わせが一つとなる。なので、身体に合った動き自体は、どんな場合でも、身体に合った動き、である。
    速効性の動きだけで、ずっと仕事をする事は出来るが、疲れが溜まり過ぎるのが難点。ただし、頭側の速効性の気力を使っている場合、精神的なバリアを張っている様なものなので、精神的攻撃を跳ね返せる。なので、疲れは体の疲れしか溜まらない。ただ、感覚では、精神、体、両方疲れている様に感じるので、休む場合、精神も休ませると精神を弱らせる事になり、精神を強くした意味が無くるので、その点だけ注意して欲しい。
    速効性の動きをしていると、焦って急いだ動きになる為、急な事で焦り急ぐ事があっても、同じ事なので、急な事で焦り急ぐ事に強くなる。
    速効性の動きだけに頼っていると、遅効性の動きをしたとき、自分は出来ない人。と思うほど、速効性の動きと遅効性の動きに差が出来ている。
    身体を動かすには、元々意思が必要である。なので、速効性の動きを使うときは、意思が必要になる。意思がないと、始めは速効性の動きが出来ていても、いつの間にか、遅効性の動きに変わっている。
    身体に合った動き方は、速効性と遅効性のバランスを取っているので、遅効性の動きだけで動く人と、実質は変わらない。ただ、実力は個人差があったりするので、身体に合った動きを知る人でないと身体に合った動きをしていても理解はして貰えない為、歩く様な動きをするときは、走っている様に見せる動きをする必要がある。
    速効性を使うやり方は、頭側の速効性の気力を使うだけなので、経験が足りない人など、不器用な人に合ったやり方である。もちろん、身体を使う人にも合ったやり方である。
    身体に合った動き方は、身体に合った動き方なので、身体を使う人なら、誰でも適応する。

    発達障害者が不器用。というのは、聞いた事がある人もいると思う。なので、身体側の伸ばし方の速効性から精神を伸ばすやり方は、身体側の人間に合ったやり方になる。もちろん、身体を使う人にも合ったやり方である。
    でも、デスクワークなど、大脳を使い仕事する人には合っていないやり方になる。

    23 身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばすやり方 ・ 身体に合った動き方と平均的に身体を使った動き方での、疲れの溜まり具合の違い

    更新8月31日
    お題の17の中で、身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばす例として、腕立て伏せを毎日20回していると、身体側の法則の自分の基準の位置の丁度真ん中が腕立て伏せ20回になる為、その上の腕立て伏せ30回、40回を毎日しても問題なく出来る。とある。
    要は、毎日腕立て伏せを20回する事で、身体側の法則の自分の基準の位置を、腕立て伏せ20回の所に持ってきた。そして、腕立て伏せ30回、40回と出来るのは、腕立て伏せ30回、40回が、身体側の法則の正常内の位置にあるから。
    つまり、身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばすやり方は、毎日、ある程度耐える事で、身体側の法則の自分の基準の位置を、そのある程度耐えた場所まで、時間を掛けて持っていく方法。
    お題の22で、身体は、一つ一つの組み合わせが一つとなる。なので、身体に合った動き自体は、どんな場合でも、身体に合った動き、である。とある。

    表1

    回数
    50  ・
    40・
    30              ・
    20         ・    ・
    10    ・  ・   ・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    なので、この、お題の22の表は、遅効性の動きでも使える。
    腕立て伏せの回数が少しややこしいが、この、一時間目と二時間目が、お題の17で言っている腕立て伏せを毎日20回する。に相当する。
    なので、身体側の法則の自分の基準の位置を、時間は掛かるが、この、一時間目と二時間目に耐えた精神力まで持ってくる事が出来る。

    この表を鍛える衰えるで計算すると、40回と10回を一つずつで相殺。30回と20回を一つずつで相殺。50回と10回20回がそれぞれ一つずつで相殺。残りは、10回一つになり、この分、衰える。となるはずだが、鍛えるとき始めは、0から。つまり、マイナスが無い為、この表1で言うと、衰えるのは、腕立て伏せ10回と20回の二つしか無い。というのと、頭側の法則により、腕立て伏せ0から10回の10回と、10回から20回の10回では、10回から20回の10回の方のが鍛えられる数値が高い。これは、回数が増える程、鍛えられる数値が高くなる。だから、一気に40回、50回とした方が、鍛えられる。しかも、下の衰える値は、10回と20回のみで、それ以上衰える値の回数が出来ない為、この表1通りで実質は、鍛えられている。この観点からも、身体に合った動きである。と言える。
    これが身体に合っていない動き方、お題の19の表の平均的に身体を使った場合だと。

    表2

    回数
    40
    30    ・       ・
    20  ・   ・   ・    ・
    10・       ・
     1 2 3 4 5 6 7 8時間

    やっても、腕立て伏せ30回程度なので、それほど鍛えられず、衰える値の10回、20回の方が多い為、精神力は鍛えられるどころか、衰えてしまう。

    表1の身体に合った動き、と、表2の平均的に身体を使った動きの、大きな違いの一つとして、精神的疲れ、体の疲れの身体本体への溜まり具合がある。
    表1だと、身体側の法則の自分の基準の位置は、大体腕立て伏せ40回の位置。だから、腕立て伏せ30回、40回、50回の所は疲れが溜まっても、10回、20回の所は、身体側の法則に当てはめると、下の壊れた状態の位置になる為、休める時間帯になる。だから、このときは、精神的疲れがとれる。
    それに比べ、表2の場合だと、身体側の法則の自分の基準の位置が、腕立て伏せ20回の位置となり、腕立て伏せ10回、20回、30回全てで、疲れが溜まってしまうだけで、休める時間帯は一つもない。
    精神的疲れは、腕立て伏せ10回よりも50回の方が溜まるが、休める時間帯があるのと、無いのとでは、違いが出てくる。休める時間帯が無いなら、精神的疲れは溜まる一方になる。ただし、これは、その場対応なので、速効性の精神的疲れのみの話になる。速効性の疲れに関しては、お題の11を読んで欲しい。

    その上、精神的ダメージは、疲れが溜まっている方が、値として大きく受ける。
    例えば、子供が部屋を散らかした。
    疲れていないときは、子供を叱り、部屋を片付けると思うが、疲れているときは、子供を叱る事さえ面倒になり、何も言わず部屋を片付けるか、何も言わず部屋を散らかされたままにしておくと思う。
    例えを変えると、こういうのは、誰でもあると思う。精神的疲れが、今の一つで、溜まり切り、何かしよう、という気になれないときだ。
    こういうのも、速効性と遅効性はある。その場で、煩く、もう嫌。と口に出し動きたくなくなるが、暫くしたらやっぱり動くのが速効性。もう嫌、と静かに思い、暫くの間ずっと動けないのが遅効性になる。
    もちろん、このページのサブのお題、仕事などやる事が徐々に増え、いっぱいいっぱいになる。というのも、速効性と遅効性がある。速効性は、その場で、やってもやっても、何かと仕事が増え、終わらない状況。このときも、煩く、もう嫌、と口に出すと思う。遅効性は、このページに書いてきたもので、数ヶ月、数年と、徐々に仕事などが辛くなっていく状況。
    つまり、精神的疲れが溜まれば溜まるほど、小さな事でも、大きな精神的ダメージを受け、身体は動き辛くなる。
    だから、精神的疲れ、体力的な疲れは、表1の様に、溜まったら、すぐに休め無くす方が良い。ただし、先程も言った様に、表1の動き方では、速効性の疲れしか癒えない。
    遅効性の疲れは、完全に止まった状態でないと休ませる事は出来ない。ただし、マッサージという方法で、身体を早く回復させる事は出来る。マッサージは、お題の1の始めに言った、悪い事が悪い事で無くなる行為になる。もちろん、精神的なマッサージもある。
    疲れだけでなく、身体は、何も溜まっていない情況が一番良い。これは、身体側の法則の自分の基準の位置の0と、頭側の法則の何も溜まっていない0がある。

    身体側の法則の値。

    表3
    −5 −4 −3 −2 −1 0 +1 +2 +3 +4 +5

    身体側の法則では、0が一番良い位置になり、基準の位置になる。
    腕立て伏せの例で言うと、自分の基準の位置が腕立て伏せ20回なら、この表3の、0の所に20回を持ってきて、10回を−1の所に、30回を+1の所に持ってくる。

    頭側の法則の値は、普通に0から1、2と増える感じ。

    身体側の法則の自分の基準の位置を表1の腕立て伏せ40回の所に持ってきたら、表1通りに動いたのでは、衰えるのではないか。
    それは、無い。
    これは、身体側の法則で、腕立て伏せ40回したら、その分は絶対に鍛えられる。他の回数も同じ。つまり、自分の基準の位置が40回で維持。となっても、衰える事は無い。
    ちなみに、身体を鍛える、と、身体の疲れ、は別の動き方になる。これは、お題の5を読んで欲しい。

    ここでは、身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばすやり方は、身体側の法則の自分の基準の位置を上げる方法。
    お題の20の身体に合った動き方。このお題の表1の動き方を遅効性の動きですれば、身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばすやり方が出来る。
    頭側の法則により、腕立て伏せを0から10回した10回と、10回から20回した10回とでは、10回から20回の10回の方が、鍛えられる数値が高く、これは、回数が伸びる程、鍛えられる数値も高くなる。それに加え、腕立て伏せが出来る回数に限界は無い。ところが、腕立て伏せは、0回はあっても、マイナスの回数は無い為、衰えさす回数に限界がある。
    身体に合った動きと平均的に身体を使った動きでは、疲れの溜まり具合が大きく違う。身体側の法則の自分の基準の位置を上げておくと、その基準より下過ぎる動きだと、身体は速効性の疲れが休められる。でも、身体側の法則の正常内なら、基準より下でも、疲れが休まる事はない。
    遅効性の疲れだと、完全に身体を休ませるしか、休ませる方法はない。ただし、マッサージという方法で、身体を早く回復させる事は出来る。
    精神的疲れが溜まっていれば溜まっている程、精神的ダメージは、通常のダメージの値より大きく受ける。
    身体は、何も溜まっていない0が好ましい。この0は、身体側の法則の自分の基準の値と、頭側の法則の0、二つの事。
    身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方で、身体側の法則の自分の基準の位置を上げても、鍛える為にやっている事が、自分の基準の位置を伸ばしたときと同じなら、現状維持になるだけで、衰える、または、鍛えられる事は無い。

    簡単に言うと、鍛えるときは、一気に鍛える方が鍛えられる。鍛えたら、疲れを無くす為に、身体を休める。これは、精神でも体でも同じ。
    鍛える為にやっている事は、それを止めない限り、現状維持が出来る。もちろん、鍛える事を少なくすれば身体は衰える。逆に、鍛える事を増やせば身体は鍛えられる。

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  • 24 身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、なかなか、精神力が上がらない理由 ・ 遅効性の動きでも精神力を上げられるやり方

    更新11月02日
    この文章の下に書いてあるものは、お題の23の始めの部分を持ってきただけなので、お題の23を読んで貰った方は、3行分間隔が開いている表2までは、飛ばして下さい。
    お題の17の中で、身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばす例として、腕立て伏せを毎日20回していると、身体側の法則の自分の基準の位置の丁度真ん中が腕立て伏せ20回になる為、その上の腕立て伏せ30回、40回を毎日しても問題なく出来る。とある。
    要は、毎日腕立て伏せを20回する事で、身体側の法則の自分の基準の位置を、腕立て伏せ20回の所に持ってきた。そして、腕立て伏せ30回、40回と出来るのは、腕立て伏せ30回、40回が、身体側の法則の正常内の位置にあるから。
    つまり、身体側の伸ばし方の遅効性から精神力を伸ばすやり方は、毎日、ある程度耐える事で、身体側の法則の自分の基準の位置を、そのある程度耐えた場所まで、時間を掛けて持っていく方法。
    お題の22で、身体は、一つ一つの組み合わせが一つとなる。なので、身体に合った動き自体は、どんな場合でも、身体に合った動き、である。とある。

    表1

    回数
    50  ・
    40・
    30              ・
    20         ・    ・
    10    ・  ・   ・
      1 2 3 4 5 6 7 8時間

    なので、この、お題の22の表は、遅効性の動きでも使える。
    腕立て伏せの回数が少しややこしいが、この、一時間目と二時間目が、お題の17で言っている腕立て伏せを毎日20回する。に相当する。
    なので、身体側の法則の自分の基準の位置を、時間は掛かるが、この、一時間目と二時間目に耐えた精神力まで持ってくる事が出来る。

    身体に合っていない動き方、お題の19の表の平均的に身体を使った場合の表。

    表2

    回数
    40
    30    ・       ・
    20  ・   ・    ・   ・
    10・       ・
     1 2 3 4 5 6 7 8時間



    体を鍛えた事がある人なら分かると思うが、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、身体に無理をさせないが、身体側の法則の自分の基準の位置を上げ辛い。要は、精神力を上げ難い。
    身体に無理をさせない理由は、お題の22の中の、遅効性の動きは、早歩き。ジョギング、マラソン。と、言葉で表すと、普通に早い動き。速い動き。凄く速い動き。と幅が広い。にあり、身体はどうしても辛い事を避ける。なので、やっても早歩き程度である事が多い。
    初めてする事など、一回目の自分の身体が知らない事なら、身体は頑張ってくれるが、二回目以降は、実際に合わせる様に、極力、力を使わない様に、ある程度で力を使うのを止めてしまう。
    これは、身体側の法則の自分の基準の位置の、身体の使用、に合わせている。要は、身体を使う際、自分の基準の位置から、正常内でも少しでも上下に位置している力を使っていると、自然と身体に違和感を持たせ、使う力を自分の基準の位置の正常な所に持ってきてしまう。これは、お題の23で言った、身体は、何も溜まっていない情況が一番良い。という奴。
    でも、これは、お題の14の波と同じで、身体側の法則の自分の基準の位置を基準に身体を使用する、に合わせているだけなので、そのまま身体に従ってしまうと、おかしな事になる。
    これは、身体を鍛える、に合わせているのではなく、身体を使う、で合わせている。その為、身体を鍛えるに関しては、全くデタラメな身体の使い方になる。
    身体を鍛えるときは、自分の基準の位置は関係ない。これは、お題の10の中のAとBの例の所に書いてある。もしくは、 お題の16を読んで欲しいが、身体が鍛えられる境界線は、身体側の成長になるが、身体側の法則の自分の基準の位置は、頭側の成長による。要は、鍛えられる境界線は身体側の成長で決められている。でも、自分を強くするかどうかは、頭側の成長の自分で決めて行わないといけない。その為、身体側の法則の自分の基準の位置の身体の使用に合わせて勝手に動く身体に任せていると、頭側の成長は出来ない。
    身体を使用するときは、身体側の次は頭側になる為、自分の基準の位置を基準に、頭側で考える為、表2の動きをする。要は、自分の基準の位置を全体に平均的に広げ、それに合わせる様に動く。
    表1の、一時間目と二時間目が、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方の腕立て伏せの例で言う20回に相当する。これは、鍛えるとき。
    身体を使用するときは、この、一時間目と二時間目と、他の時間とを合わせ、それを平均的に振り分け、身体を使用する。

    なぜ、鍛える。と、使用する。で、身体の使い方が変わるのか。
    要は、身体に合わせるだけで、最低でも、現状維持に、なぜ、してくれないのか。お題の14の波でも、自分で操作しなくても、丁度良い波にしてくれれば、頭側の人に難しく面倒な身体にある波などの操作をする必要は無い。
    それは、身体を強くする弱くする仕組みにあり、お題の1と2を読んで欲しいが、身体を強くするときは、耐えたり吐き出したりする事で、身体を強く出来る。一方、身体を弱くするときは、吐き出すだけで良い。
    要は、身体を強くするときは、上下の波を起こして強くする。身体を弱くするときは、上下の波を起こさず弱くする。
    つまり、身体を強くするやり方と弱くするやり方が同じでない。
    波は、身体を強くするやり方と同じで、上下の波を起こし動く。その為、波が強くなり過ぎる。でも、身体本体は、身体を弱くするやり方と同じで、上下の波を起こさず動く。だから、大きな波の上下に身体本体は着いて行けなくなる。ちなみに、気持ちも波と同じ、上下の波を起こす動き方のみの動き方をする。
    身体を使用するときは、身体を弱くするやり方と同じで、波を起こさず使用する。だから、身体に任せておくと、身体が鍛えられず、弱くなる、または、衰える事が多くなる。
    遅効性の動きだと、鍛えようとしても、頭側が勝ってしまう為、先程も言った様に、無理をしないよう早歩き程度になってしまう。これは、身体が、身体で思う感覚、気持ちなどを勝手に操作してくる。要は、ちょっとの事でも辛く感じさせる様にしてくる。
    腕立て伏せを20回にするか、30回、または、50回にするか、決めるのも精神力が必要となる。なので、大抵の人だと、身体が出してくる感覚に負け、この三択なら、20回にしておこう。と思う人が多いと思う。
    だから、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、なかなか、精神力が上がらない。これは、身体側の理由。

    もう一つは、速効性と遅効性の気力の性質。
    お題の12で、速効性は、対応が早く、対応できる幅が大きい。が、その場対応の力である。遅効性の方は、対応が遅く、対応できる幅は小さい。が、身体本体の力になる。とある。
    さらに、お題の15では、速効性の方は、量や持続力も鍛えるが、主に、強さと瞬発力を鍛える。遅効性の方は、強さと瞬発力も鍛えはするが、主に、量や持続力を鍛える。とある。
    要は、速効性は、強さや瞬発力の対応幅は広いが、量や持続力の対応幅は狭い。遅効性は、量や持続力の対応幅は広いが、強さや瞬発力の対応幅は狭い。これは大体、対応幅が広い2対1対応幅が狭い、と考えて良い。
    だから、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、なかなか精神力が上がらない。これは、頭側の理由。

    精神力を上げる前に、仕事が徐々にでも増え、自分の全体の精神力を上回る仕事量になったら、それは、精神的に潰れてしまう。
    だけど、一日の仕事量の半分を、表1の一時間目と二時間目で半分以上終わらせられるなら、精神的に参る事は、殆ど無い。これは、仕事が増えても、一時間目と二時間目で、一日の仕事量の半分を終わらせる事が必須になる。
    この、動き方をしていると分かるが、表1の一時間目と二時間目の様に、極端に動いているときは、極力、力を使わない動きにならない。逆に、力は出せる。
    なぜ、同じ遅効性の動きでも、極端に動くときと、平均的に動くときとで、身体の使用の仕方が変わるのか。
    それは、お題の11を読んで欲しいが、遅効性の動きの中にも、速効性と遅効性は存在する。

    よく、立っている人は、親でも使え。と言うと思う。
    身体の動きは、二つに分けられる。
    速効性、と、遅効性。
    立つ、と、座る。
    動く、と、止まる。
    極端に動く、と、普通に動く。
    左が速効性で右が遅効性。
    お題の19の段落更新の所に、簡単から、難しい事をすると、より難しいという事を感じる。が、力は余分に使い難い。逆に、難しい事をしてから、簡単な事をすると、より簡単に感じる。が、力は余分に使い易い。とある。
    つまり、簡単から難しいに行くときは、力を使う動きになる。逆に、難しいから簡単に行くときは、力を使わない動きになる。
    これがピッタリ、極端な動きと平均的な動きに当てはまる。
    要は、極端な動きをするときは、力を使う動き方をする為に、遅効性の動きでも、それなりに身体を鍛える事が出来る。
    頭側と身体側の違いのページで何回も言っているが、頭側と身体側は組み合わせるのが普通。身体を使うときも、頭を使うときも、頭側、身体側、両方使わないとおかしな事になる。身体側の物事の場合は、身体側から入り、次に頭側、次は身体側と組み合わせて行く。頭側の物事の場合は、頭側から入り、次に身体側、次は頭側と組み合わせて行く。
    なので、遅効性の動きでも、速効性の極端な動きと、遅効性の平均的な動きを組み合わせて動かないと、身体はいつもちゃんと動ける身体にならない。
    これは、ややこしいが、遅効性の速効性の動き。と、遅効性の遅効性の動き。になる。

    ここでは、遅効性の動きをするときは、極力、力を使わない動き方を、身体が気持ちなどを操作し、強要する。
    身体を使用するときは、普通、平均的な動きで身体を使用する。
    身体を鍛える。身体を使用する。では、身体の使い方が違う。
    身体を動かすとき、身体に任せていても、身体は、身体を使用する動きをする為、身体が鍛えられる事はない。
    身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすときは、極力、力を使わない鍛え方をする為、それほど精神は鍛えられない。これは、身体側の理由。
    頭側の理由として、遅効性は、量や持続力の対応幅は広いが、強さや瞬発力の対応幅は狭い。だから、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、なかなか精神力が上がらない。
    精神力を上げる前に、仕事が徐々にでも増え、自分の全体の精神力を上回る仕事量になったら、それは、精神的に潰れてしまう。
    遅効性の動きでも身体を極端に使うと、力を使わない動きではなく、力を使う動きになる。
    頭側と身体側は、組み合わせて使うのが普通なので、遅効性の動きだけでも、遅効性の速効性の動き。と、遅効性の遅効性の動き。を組み合わせ使用しないと、身体はちゃんと動ける身体にならない。

    自分の気持ち次第で身体を使っている人も多いと思う。でも、それでは、身体をちゃんとは扱えない。なぜなら、気持ち任せでは、波と同じで上下の波を起こし動くのみなので、身体本体を鍛える行為はしてくれない。
    だから、気持ちは自分で操作する。

    25 身体が壊れない様に、身体側のやり過ごし方、精神、体を効率よく使う。または、頭側のやり過ごし方、受け流す、無視をする

    更新11月06日
    仕事を無理して頑張り、ストレスで、精神や体を悪くした人もいると思う。
    それは、遅効性の身体本体の力だけのときに、無理をしたからである。要は、頭側の遅効性の気力で耐える事が出来なくなると、精神的に潰れる。
    お題の22で言った様に、頭側の速効性の気力を使っているときは、精神的なバリアを張っている様なものなので、精神的攻撃は跳ね返せる。
    例えば、急いでいるときや、何かに夢中になっているときは、人の話を聞かない。という事があると思う。そういう風に自分の中に閉じこもっていると、外の事に気はとらわれ難くなる。だから、精神的攻撃が受け取り難くなる。ただし、精神的攻撃を受けてから、頭側の速効性の気力を使っても、精神的攻撃は跳ね返せない。
    でも、頭側の遅効性の気力の代わりに、その場しのぎで、頭側の速効性の気力で対抗する、または、耐える事は出来る。
    どういう事かと言うと、精神力が100あるとする。精神的攻撃を受ける前に、頭側の速効性の気力を使っていると、精神的攻撃を受けても、精神的攻撃は殆ど受け付けない為、精神力は100に近いままで終える事が出来る。でも、精神的攻撃を受けた後で、頭側の速効性の気力を使っても、精神的攻撃力が50なら、その50分は受け取ってしまっている。だけど、頭側の速効性の気力で、その50を抑え、小さくする事が出来る。例を挙げると、足などぶつけた後、力を入れる事で、痛みを紛らわせられる。でも、力を抜くとやっぱり痛い。この、力を抜いて痛い状態は、頭側の遅効性で耐えている状態になる。

    気力は、自分で使う事の他に、他からの攻撃で使わされる事もある。他からの攻撃は、例えば、自分の思い通りに行かない。とか、叱られる。驚かされる、など。
    ただ、頭側の速効性、遅効性の気力でも、身体側の正、負の気力でも、気力を使っている事に変わりはない。
    気力を使い過ぎ、精神的に疲れているときに、精神的攻撃をまともに受けたら、それは、精神的に身体を悪くしてしまう。

    精神的攻撃を受けても、やり過ごす方法はある。一つは、身体側の気力を使う。
    例えば、負の気力。遅刻しそうなとき、仕事、学校などに行く気が無くなり、急いで準備をするどころか、いつもより遅く準備する。という事をした人も多いと思う。つまり、負の気力を使い、体に楽をさせ、精神を休ませる。これは、力が空回りしているときに使う。
    力が空回りしている。というのは、精神的に追い詰められている状況。また、逆に、精神的に全く追い詰められない状況。で、精神的にいっぱいいっぱいになっているとき。また、精神的にだらけてしまっているとき。
    普通は、精神的攻撃を受けたら、対抗しようと、頭側の気力を使う。耐え切れるなら、それで良いが、耐え切れないなら、頭側の気力を使っても空回り状態になるので、無駄になる。なので、もう諦める。諦めて、いつもよりダラダラして、精神を休ませる。
    これは、一時、やり過ごす方法で、力を余分に使わない様に、その場を済ませる。これは、そのまま受け流す事も出来るし、精神力が回復してから、再度受け取る事も出来る。
    遅刻の例で言うと、受け流すなら、準備はしたけど、やっぱり休むなど、遅刻した事を、遅刻より上の事を実行する事で無かったかの様に扱う。再度受け取る場合は、始めはゆったり準備していたけど、準備をしていくうちに、やる気が出て来て、やっぱり早く準備をし、早々と出掛ける。といった感じ。

    力が空回りしている状況を事柄で言うといっぱいあるが、大まかに言うと、お題の19の段落更新で言っている、簡単から、難しい事をすると、より難しいという事を感じる。が、力は余分に使い難い。逆に、難しい事をしてから、簡単な事をすると、より簡単に感じる。が、力は余分に使い易い。の事になる。このときに、身体側の気力を使うと効率良く、精神力を使える。ちなみに、お題の12の中の、野球や水泳の例の自分の位置から、遠い範囲の位置に慣らすときにも身体側の気力は使える。
    これは、波で言うと、大きな波を打ったときに使う。
    お題の19の表を使う。
    精神力で考えると分かり難いと思うので、忙しさで考えて見て欲しい。表の腕立て伏せ50のときは、物凄く忙しく、40は凄く忙しい。30は忙しい。20は普通。10はちょっと楽。という感じ。

    回数
    50 物凄く忙しい   ・         ・
    40 凄く忙しい  ・
    30 忙しい             ・
    20 普通          ・
    10 ちょっと楽         ・   ・    ・
                1 2 3 4 5 6 7 8時間

    印は適当に振ったが、この表で言うと、1時間目の40のとき、3時間目の20のとき、7時間目の50のとき、8時間目の10のとき。に身体側の気力を使う。
    身体側の気力を使う事で、身体を実際により合わせ易くする。
    5時間目と6時間目も、少し波を打っているが、この程度なら、身体側の気力は使わなくても、良い。

    波を打つ。と言っても、辛い波が来るとき、1時間目の40と7時間目の50。と、楽な波が来るとき、3時間目の20と8時間目の10。がある。
    楽な波は、例えば、7時間目で50を使っていて、急に8時間目で10まで下げている。すると、先程までの50に身体は合わせている訳だから、急に10までは、使う精神力が下がらない。その為、余分な精神力を使ってしまう。
    なので、負の気力を使い、50に合わせていたものを、10近くまで一気に下げる。そうする事で、余分な精神力を使わなくて済む。

    辛い波のときは、例えば、1時間目の40の所。仕事始めは0からの出発な為、急に40に合わせるとなると、簡単から難しいの移動になる為、難しさを補う精神力を使わされる。
    これは、正の気力。もしくは、頭側の速効性の気力を使い、40より上の位置に、精神力を余分に使い、持ってくる。ただ、持ってきた。というだけでは、力は合わせ辛い。だから、負の気力を使い、調整する。

    身体側は、身体側の法則を見ても分かる様に、基準から、上も下も正常な状態がある。なので、上に行き過ぎたら、下げれば良く。下に行き過ぎたら、上げれば良い。
    頭側だと、そうはいかない。例えば、疲れ。回復には限界がある。その為、疲れを回復させ過ぎる。という事が出来ない。だから、基準に沿って調整する事はしない。疲れたら、回復させる、のみ。
    でも、身体側だと、上にも下にも限界はない為、いつでも調整が出来る。逆に言うと、いつでも調整しないといけない。その為、身体側の気力には、正の気力と負の気力の、対になった気力が存在する。

    この身体側の正、負の気力を使う方法は、余分な精神力を長々と使わない。という事の他に、精神力を使い体力を温存するやり方でもある。逆に体力を使い、精神力を温存させる事も出来る。
    余分な精神力を長々と使わない。というのは、お題の1の一つ目の例。20階建ての高層ビルを一階から上って行く。これは、徐々に上って行った為に、達成感より、嫌々感、要は、正の気力ではなく、負の気力を強く出す方法だった為に、負の気力の疲れと負の気力が強くなった事に負け、途中で高層ビルを上るのを止めた。この様に、変に精神的疲れを溜めてしまうと、行動すら出来なくなる。そうならない為にも、身体側の正、負の気力は、気持ち任せではなく、自分で左右して使うと良い。もちろん、正の気力でも気持ち任せで使うと、嬉し過ぎて力をコントロール出来ない等あり、力を余分に使うはめになる。
    体力で精神力をカバーするやり方は、辛い波が来たら、とにかく力を使えば良い。楽な波が来ても、力を余分に使えば良い。ただ、読んで分かる様に、これでは、効率が悪い。効率良く身体を使う為には、体と精神、両方、要所要所で使う必要がある。
    ちなみに、気力を使い体力をカバーする方が身体側。体力を使い精神力をカバーする方は、辛い波、楽な波、両方、力を余分に使う、一つの方向なので頭側。となる。
    この、気力でカバーする。体力でカバーする。自体は、精神と体で、身体を左右する為、身体側。

    先程の、5時間目と6時間目も、少し波を打っているが、この程度なら、気力を使わなくても、良い。というのは、行動するなら、気力か体力、どちらかは絶対的に使う。
    気力は自分で出さないといけないが、体力は常に出せている。なので、0から出す気力に比べ、元々出している体力を使う方がこの場合は、効率が良い。
    精神と体で言うと、精神が身体側になり、体が頭側になる。なので、体力は平均的に使える。精神は0から出しているが、これは、身体側の次は頭側という奴。
    精神だけで言うと、0から出す気力が頭側の速効性の気力。元々出している体力の部分が、頭側の遅効性の気力となる。

    それと、楽な波のときは、負の気力だけに対し、辛い波のときは、正の気力と負の気力で調整している。これは、楽な波の方は、楽な為、調整は体力を使う。例えば、10の位置。体力は10使うだけで済む。これが、辛い波の場合だと、例えば50の位置。体力で調整する場合、50の力を必要とする。でも、身体側だと、自分の基準の位置がある為、体力のそのまま50よりも、楽な力で調整する事が出来る。その為、正の気力と負の気力で調整を行う。
    簡単に言うと、定位置に物を置く。楽な波、軽い物だと簡単に定位置の枠内に置ける。これが、辛い波、タンスなど重い物だと気を使いながら、力も使い、枠内に置くと思う。これと同じ要領になる。ただ、この例の様に、体の力を使う場合、精神と体は反対になっている為、気力を調整するのではなく、力を調整して、枠内に重い物を置く方が効率が良い。
    精神的な例を挙げると、例えば、作業を早くしないといけない。始めは、焦って作業を早くすると思う。これだけだと、動きは焦りで散漫になる。その為、ある程度スピードが付けば、今度は焦らずゆっくりと作業をする。そうする事で、元は速いスピード。上辺は今した、焦らない。それと、ゆっくりとした作業で散漫になっている手元の動きを良くする。という事が身体に付き、速いスピードでも、焦っていない、動きは散漫にならない、良い動きが出来る。先の、ある程度スピードが付いたら、の、ある程度は、自分がしたい作業スピードより上になっている状態。自分がしたいスピードだと、焦っている、動きが散漫になっている。が取れていないので、それを取る為に一旦、スピードを緩めないといけない為、自分のしたいスピードから緩めると、当然、調整後は、自分のしたいスピードより遅くなった動きになる。そうなると、また、正の気力から調整しないといけない。そうなると、余計な精神力を使うはめになる。だから、一回で確実に調整出来るよう、正の気力を使うときは、余分に力を使って、自分のしたい位置よりも確実に上にする。

    やり過ごす方法のもう一つは、受け流す、無視をする。先程も言った様に、正の気力も負の気力も、気力を使う事に変わりはない。その為、使える気力、体力が無いなら、この方法を取る。これは、方向が一つなので、頭側。
    疲れ切っているなら、もう無視をするしかない。それ以上、受け取ると、身体を壊すので、受け取る必要があっても、受け取りを拒否する。
    どうしても受け取る必要がある事なら、受け流し、回復する明日の仕事始めに回す。この受け流すは、先に言った身体側のやり過ごし方の受け流しと違い、何もせず、完全に右から左に受け流すやり方。
    身体側の事は、何事でも、鍛錬が必要で、受け流す。無視をする。のも、鍛錬が要る。だから、受け取りを拒否できない人が出てくる。これは、身体側の理由。
    もう一つは、頭で考えて、上司の言う事だから、拒否できない。など、頭側の理由もある。
    だけど、精神が潰れてまで、上司の言う事を聞くべきかどうか、それは、自分で考えて欲しい。
    ただ、お題の1の答えの様に、上下に動く動き方をしていれば、大抵はいける。これは、気を使うときと気を休ませるときを作り、交互に持って来る。ただし、全体の精神力が弱い。または、お題の23で言っている、疲れが溜まった状態。だと、気を使うとき、大きく気を使うはめになり、回復に時間が掛かってしまう。なので、精神を強くする。または、お題の23で言っている様に、疲れが溜まっていない状態を作る、という事を忘れない様にして欲しい。

    ここでは、遅効性の身体本体だけの力のときに、無理をすると、精神的に身体を壊す。
    頭側の速効性の気力は、精神的攻撃を受ける前に使うなら跳ね返せるが、精神的攻撃を受けてから使うなら、精神的攻撃を受け取った痛みに耐える、使い方になる。
    気力は、お題の15で言った気力全て、気力を使う事に変わりはない。気力が使えず、精神的に耐えられなくなれば、当然、精神的に潰れる事になる。
    精神的攻撃を受けても、やり過ごす方法は、気力を使わされるのではなく、自ら気力を使い、精神力を使う効率を良くする身体側のやり方と、右から左に受け流す、または、完全に無視する、頭側のやり方がある。
    身体側のやり過ごす方法は、力が空回りしているときに使う為、主に大きな波が来たときに使う。いっぱいいっぱいのときや、ダラダラしてしまう様な楽し過ぎるとき。他にも、精神力を効率良く使う為にも使える。
    精神と体は、お互いをカバー出来る。なので、精神的にきついなら、体の力任せで事をなすのも良い。ただ、精神と体を効率良く使う方法もあるので、それも覚えると良い。
    頭側のやり過ごす方法は、完全に受け取らない方法で、無視するか、どうしても受け取らないといけないなら、回復したときに受け取るのが良く、右から左に受け流す方法を使う。要は、物事を自分を素通りして、横に置く感じ。
    身体側の物事は、何事も鍛錬が必要な為、頭側のやり過ごす方法でも、無視をする。受け流す。鍛錬をする必要がある。

    頭側のやり過ごす方法の、受け流す。無視をする。と言っても、実際には、難しい。それは、受けた攻撃を割り切れない精神にある。これは、頭側の理由、身体側の理由、どちらでもで、精神が弱い人ほど、精神的攻撃はまともに受けてしまう。
    気力と体力を効率よく使うのは、気持ち任せにしておいたら、効率良く身体を使ってくれるものではない。ただ、自分で身体に教え込めば、その動きが出来ない事はない。要は、身体を使う効率に良い気持ちの出し方を自分の癖にする。もしくは、身体側の脳を鍛える。身体側の脳を鍛えておくと、頭側で動いているときは、大脳に今、どうするか教えてくれる。それを大脳で考え、実行する。または、身体に完全に任せておく、すると勝手にやってくれる。
    ただ、大脳の方に才能がある人は、身体側に才能は無い。その場合、頭で計算し組み立てないと、身体を効率よく使え難いと思う。正の気力、負の気力は、生きていたら多く使うと思うので、その要領を、頭で計算して身体に使えば良い。ただ、身体側が優先されていると、頭側は使え難くなるので、その点だけ注意して欲しい。要は、気持ちに大きく振り回されているときは、大脳が使え難い。周りに聞けば分かるが、大脳を使い易い人ほど、頻度は少ないかも知れないが、大きく気持ちに振り回される人が多い。それに、すぐに感情が収まらない人も多いと思う。
    身体側は実際に合わせれば良いので、正の気力、負の気力を使わなくても、正の気力を使ったときと同じ動き、負の気力を使ったときと同じ動きでも、同じ事は出来る。これは、頭側のやり方になる。
    要は、正の気力が張り切る動きなら、張り切って動けば良い。負の気力がやる気の出ない動きなら、やる気のない動きをすれば良い。

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  • 26 頭側の伸ばし方 ・ 気持ち的疲れと精神的疲れ

    更新11月14日
    お題の24で、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすときは、極力、力を使わない鍛え方をする為、それほど精神は鍛えられない。これは、身体側の理由。頭側の理由として、遅効性は、量や持続力の対応幅は広いが、強さや瞬発力の対応幅は狭い。だから、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、なかなか精神力が上がらない。とある。
    身体側の伸ばし方の速効性の伸ばし方だと、力任せに伸ばすやり方になる為、小手先の器用さは要らない。でも、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方だと、精神はそれほど鍛えられないので、小手先の器用さが要る。それが、頭側の伸ばし方になる。
    これは、食べ物と同じで、好き嫌いなく、まんべんなく、色んな事に耐えて、全体の強度を強くするやり方になる。
    体で言うと、上腕二頭筋など、筋肉の種類がいっぱいあると思う。そういう種類が精神にもある。
    でも、体を鍛えるときで考えると分かると思うが、上腕二頭筋だけを鍛える。という事はしないし、出来難いと思う。例えば、手にダンベルを持ち、上腕二頭筋を鍛える。この動きをしてしまうと、ダンベルを握っている手など、他の筋肉も樹類で言えば、いっぱい鍛えてしまう。
    この様に、行動に起こすと、主で鍛えられる部分と、従で鍛えられる複数の部分が出てくる。
    なので、行動の事柄で鍛える種類を言うなら、主に鍛えられる所になる。これは、気持ちの操作の3と4のページに書いていくので、それを参考にして欲しい。

    お題の19身体を平均的に使うと、鍛えた体力、精神力が衰える。
    つまり、身体を頭側の平均的に使った場合、疲れるだけで身体は鍛えられない事が多い為、身体を鍛えるなら、別で鍛えないといけない。
    これが、頭側の伸ばし方にも言える。
    遅効性の動きをする場合、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方と同じで、極力、力を使わない動きをする。つまり、精神的に疲れない動き方をする為、自分が苦手な精神の種類は、避けてしまう。
    例えば、やる事が二つあるとする。自分はどちらか一つだけする場合、大抵の人は、自分が得意な方を選ぶ。すると、選ばなかったもう一つは、得意な方と比べると、余計に出来なくなる。
    出来なくなればなるほど、もう一つの方は、したくなくなる。それは、苦手、になるからだ。つまり、出来る事と出来ない事を作ってしまうと、得意と苦手が出来てしまう。
    得意な方をするときは、精神力はさほど使わないが、苦手な事をするときは、精神力を多く使う事となる。だから、選べるなら、大抵は、苦手な事は避ける選択を普通はする。
    これが仕事など、強制的に少しでもしないといけないなら、得意と苦手の差は、それほど大きくはならない。でも、プライベートな事なら、皆、好き勝手すると思う。そこで、精神的に、得意な事、苦手な事の差が大きくなってしまう。

    でも、仕事で使う精神の種類がある程度、ある状態なら、別に仕事では、問題ないのではないか。
    先程も言った様に、頭側の伸ばし方は、個の種類を多く鍛えて全体を強化するやり方になる。だから、仕事で使う精神の種類だけだと、全体を強化するまでに至らない事が多い。
    これは、体を使う仕事で考えると分かり易いと思う。毎日、体がヘトヘトになるまで働いている。この人の体の筋力、全てを調べた場合、鍛えられていない箇所が必ずあると思う。それは、先ほど言った、行動には、主の部分と従の部分がある。の従の部分。これがそれほど鍛えられていない。

    頭側の伸ばし方にも、もちろん、鍛え方がある。
    お題の20の、身体に合った動き方を思い出して欲しい。8時間の仕事の内、始めの1時間目と2時間目を突出して頑張り、後の六時間は、それなりに頑張る。というやり方を言ったと思う。
    これと同じで、鍛えるときは、一番苦手な精神の種類から鍛える。
    お題の24に、遅効性の動きでも身体を極端に使うと、力を使わない動きではなく、力を使う動きになる。とある。
    つまり、精神的にちょっと苦手、程度なら、力は使わない動きになる為、それほど鍛えられない。でも、一番苦手な事は、力を使う動きになる為、ある程度鍛えられる。
    それだけでなく、気持ち的疲れ。というものがある。
    例えば、精神の種類を平均的に鍛える為、全てを10の値まで持ってくる。
    ちょっと苦手という種類の値は、7だとする。一番苦手な種類は、0とする。それを10まで持ってくるなら、ちょっと苦手、という種類は、3鍛える。一番苦手な種類は、10鍛える。
    すると、精神的疲れは、そのままの、ちょっと苦手な事なら、3溜まる。一番苦手な事なら、10溜まる。
    でも、気持ち的疲れは、力を使わない動きと、力を使う動きでは、感じる疲れが違う。
    分かり易く言うと、ちょっと苦手な事も、一番苦手な事も鍛えるのに、10時間掛けた。すると、疲れは、どちらも10時間分疲れる。これが気持ち的疲れになる。
    なので、ちょっと苦手な事でも、精神的疲れは3だが、気持ち的疲れは10時間分ある為、ちょっと苦手な事でも、疲れた様に感じてしまう。
    お題の1の一つ目の例、20階建ての高層ビルを一階から上って行く。これは、途中でリタイヤする事になったが、それは、精神的疲れではなく、気持ち的疲れが溜まったからである。
    なので、もう上らなくても良い。となると、急に元気になると思う。それは、気持ち的疲れが、無くなったからである。
    なぜ、精神的疲れが後にも残るのに対し、気持ち的疲れは後に残らないのか。
    それは、頭側と身体側の違い2のページでも言っている、頭側は空想。身体側は実際、という奴。精神的疲れは実際の物。気持ち的疲れは空想の物。つまり、気持ち的疲れは、空想で左右できる。だから、休まずとも、簡単に無くす事が出来る。速効性と遅効性で言うと、速効性になる。

    お題の25で、気力は、お題の15で言った気力全て、気力を使う事に変わりはない。さらに、お題の15の中で、成果が出ると、疲れもマシになる。とか、成果が出なかったら、余計に疲れる。といった事があると思う。とある。これは、精神的疲れのベースがあり、それを、正の気力と負の気力で、気持ち的に精神的疲れを、少なく感じさせたり、多く感じさせたりしている。
    それと、頭側と身体側の違い3のページのお題、頭側と身体側の優先順位。を読ん欲しいが、頭側と身体側は、両方を足すのではなく、別々になっており、どちらかだけを優先する。 先ほど、精神的疲れをベースに、疲れを少なく、または、多く感じさせる。と書いたが、これは、頭側の空想の計算上であって、実際は、この場合、正の気力、または、負の気力の部分しか感じていない。ただし、精神的疲れが、正の気力、負の気力よりも、優先された場合は、精神的疲れの方を感じる。
    つまり、ちょっと苦手な事を鍛えた精神的疲れは3のはずだが、負の気力が10時間分も感じさせられている為、負の気力分、疲れた様に感じてしまう。
    これでは、実際に鍛えられた数値的には、損になってしまう。だから、頭側の伸ばし方をするときは、精神の種類の一番苦手な事から、鍛えていくのが良い。
    ただし、一番苦手な事が、自分の精神の器内で出来ないなら、それは後回しにする必要がある。
    それは、気持ち的にも、精神的にも、難易度が高過ぎるからである。
    精神的疲れは、頭側の法則により、疲れれば疲れるほど、回復がし難い。なので、自分の精神の器を超えると、速効性で対応できるとは言え、回復に手間取るので、精神の種類を全部、鍛えようと思うと、時間が掛かり過ぎてしまう。
    それに、自分の精神の器内での一番苦手な事を鍛えれば、全体の精神の器も伸びる。すると、自分の精神の器内で無かった事柄も、自分の精神の器内に入ってくる。
    だから、自分の精神の器内での、一番苦手な事から、鍛えて行くのが良い。となる。

    食べ物にしても、主食とおかずがあると思う。大抵、食卓には、主食は一つで、おかずは多数出てくると思う。その、おかずの栄養の部分が、頭側の伸ばし方になる。ちなみに、主食は、身体側の伸ばし方になる。
    なので、身体側の伸ばし方と違い、頭側の伸ばし方は、多種多様に鍛えないといけない。
    主食は、柱となるが、おかずの栄養の支えが必要となるのは、誰でも分かると思う。なので、精神を鍛えるときも、頭側の伸ばし方は、速効性遅効性に限らず身体側の伸ばし方と平行して鍛える必要がある。

    頭側の伸ばし方の、個から精神力を伸ばすやり方は、精神の種類の、速効性の種類を鍛える。
    頭側の伸ばし方の、全体から精神力を伸ばすやり方は、精神の種類の、遅効性の種類の方を鍛える。
    これは、気持ちの操作の、其の三、其の四、のページのお題、初めに。に書く。

    ここでは、頭側の伸ばし方は、個を平均的に鍛えていき、全体の強度を鍛えるやり方。
    頭側の伸ばし方は、身体側の伸ばし方の遅効性から伸ばすやり方と併用するのが好ましい。
    精神にも個の種類がある。行動を起こすと、主で鍛えられる個と、従で鍛えられる複数の個が出てくる。なので、行動の事柄で個の種類を言うなら、主で鍛えられる行動を言う。
    頭側の伸ばし方をするなら、仕事で使う精神の種類を主に鍛えても意味は無い。飽く迄、個、全部を平均的に鍛える。
    頭側の伸ばし方の場合、自分の精神の器内での一番苦手な個から鍛えて行くのが効率の良いやり方になる。
    気持ち的疲れ。というのは、空想(速効性)の疲れである。精神的疲れは実際(遅効性)の疲れである。
    基本的に、身体側の伸ばし方。頭側の伸ばし方は、平行して伸ばすのが好ましい。

    精神の種類をまんべんなく鍛える。と言っても、精神の種類自体、どういった物があるのか、知らないと思う。ネットで調べても出てこない。
    トップページの初めにも言っている様に、言葉は頭側の言葉を借りている。なので、行動の事柄は言えても、種類の言葉は、おそらく無い為、言えない。
    まあ、これを機に、精神の種類もまんべんなく、健康に鍛えて行って欲しい。