もう一つの思考

            身体側の教育

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環境に沿った成長の仕方

人は困ると考える。困らないと考えない。
自分のせいにすると考えられる。人のせいにすると考えない。
出来る事は好きになる。出来ない事は嫌いになる。

初めに

更新6月20日
親がしている事は、例え悪い事でも子供はする。これだけは、覚えておいて欲しい。それは、行動の覚え方にあり、行動は、盗み見て覚える。特に親から覚える為、親の行動は何でも真似すると思っていて欲しい。
それと、身体側の人には、頭に訴える、口ではなく、行動で教えないと分かり難い。なので、言葉を行動に置き換えて、教えてあげて欲しい。
更新6月13日
教育の仕方も100からになる。
100から教育するというのは、どういう事か。
まず、身体は全てが繋がっている。これは大まかな部分で、例えば、ちゃんとする。と、だらける。一度でもだらけると、だらける方向に進む。でも、仕事はちゃんとするが、家ではだらける。など、する事により態度なりが変わる人もいると思う。この場合も、家でだらけた分のだらけは仕事でも出る。逆に、仕事でちゃんとした分のちゃんとするも家で出る。これは、得意不得意の様な差は出ているが、それを覗いた部分の事。つまり、一つの、甘え、真面目さ等は、全てに繋がっている。この数ある事柄の二つの方向の組み合わせにより、身体側部分の性格は出来上がる。
頭側の性格の方は、先程言った、仕事場ではちゃんとするが、家ではだらける。といった事柄による出来高。この二つを持って、人の性格は決まる。
例えば、自分の好きな事はするが、嫌いな事はしない。これは、身体側の性格に当てはまる。性格ではないが、分かり易く言うと、英語は好き。でも、数学は嫌い。これは、頭側の性格になる。問題は、矛盾が起こる二つを合わせた場合。英語は好きだから出来る。英語は好きだけど出来ない。この場合は、まず、頭側、身体側に分ける。英語は好き、というのは、頭側。英語が出来る、出来ない。というのは二つに別れているので、身体側。後者の方は、英語は好きだけど出来ない。なので、頭側で左右しているのが分かる。前者の英語は好きだから出来る。これは、英語が出来るから好きなのか、英語が好きだから出来るのか、で変わる。前者なら、身体側。後者なら、頭側が左右をしている。これを、分かるには、好きな事は、嫌な事があっても好きである。要は好きな為に何があっても諦めない。これが頭側。嫌な事があり、一旦は止めようと思ったが、出来る為、やっていく過程でやる気も出てきた、だから、やっぱりやる事にした。これが、身体側。
頭側の方は、何かないと変わる事がない性格。身体側の方は、常に変動している性格。例えば、お金で人が変わった。これは、お金がある、ない。が影響しているので身体側で性格が左右されている。お金があろうとなかろうと、左右されない。これは、頭側の性格で、事柄が影響している。
この法則が分かれば、自分が何をどうすれば、良い成長をするのかが分かる。これは、もちろん、人間、全員に関係する。
特に身体側の人は、身体側の二つに別れる部分に左右され易いので、いつでも、良い方を取る必要がある。これは、事柄全部に対し、二つに分かれる様になっているので、いつでも良い方を取れば良い。この良いは、実力に関係する良い。なので、簡単に出来るものでは無い。甘えられるなら甘えたい。さぼれるならさぼりたいのが人間である。ただ、それを吹っ切るのも人間である。
この例で、100からと言うのは、二つに別れる部分で、全て良い方をやらすと良い。ちゃんとする、しない。これだけでも全ての事に繋がっているのが分かると思う。だから、100からである。

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  • 身体側の人を教育するとき、頭側の嘘を使ってはいけない

    更新7月29日
    頭側の人は、身体側の人、発達知的障害者に教育するとき、工夫をしてしまう。その工夫は、実際の工夫ではなく、空想の工夫になってしまう。
    例えば、失敗したとき、頑張れば、成功に変えられる。でも、失敗を空想の成功に変えた場合、実際では通用しない。これが、問題である。
    例えば、出来ない人に、それがあなたの精一杯と勝手に決め付け、それで、十分だよ。とか、大成功という感じで、拍手喝采を浴びさせる。そういうのは、勘違いをさせてしまう。
    その理由は、実際側にある。実際で成功した場合、それは、成功と言える。失敗のままなら、失敗のまま変わる事はない。つまり、身体側の人は、素直に認識してしまう。
    大脳だと、失敗か成功か、頭で分かる。でも、身体側は、実際で、それを分かる為、そこを嘘を付かれると、成長できない。
    実際の成功とは、何か。
    例えば、お腹が空いたので、栄養を取る。
    昔なら、狩りに出て、獲物を捕る。もしくは、木の実など、植物を採取する。それで、成功、というのは、獲物が捕れた。もしくは、木の実など植物を採取出来た。これが、成功で、これは、頭で分かる事が出来る。
    では、実際の成功とはどういうものなのか。それは、お腹が空いたなら、お腹を満腹にした。これが成功となる。
    流れとしては、お腹が空いた。獲物を捕る。そして、摂取し、お腹を満腹にする。でも、お腹が空いたの成功は、獲物を捕る事では無い、獲物を捕っても食べなければ、お腹は空いたまま。これでは、成功と言えない。食べてこそ、お腹が満腹になってこそ、成功と言える。
    つまり、実際での、成功か失敗かに、間の、獲物を捕る。は、関係ない。これが、実際での認識の仕方。
    では、間は、獲物を捕ったり、植物を採取したりする作業は、要らないのか。当然、要る。それが出来なければ、普通は食べられない。今で言えば、仕事をして、お給料を貰わなければ、食べる事は出来ない。
    が、それは、実際の成功で言えば、二の次の問題になる。つまり、食べる事が出来なかった場合に、問題として浮上する。
    なので、この人は出来ない人だから、ご飯を与える。すると、いつまで経っても出来な人のまま。それは、問題が無い為、成長しなくても良いからだ。
    つまり、頭側の人の思いやり、優しさが、身体側の人にとって、邪魔なものになる。要は、実際で成功したいなら、批判を浴び、努力をしなければいけない。その為に、精神を鍛えたり、身体を鍛えたり、勉強したりする。
    実際を見ると分かり易い。批判を浴びると、何かはする。でも、批判を浴びないと何もしない。ちなみに、これは、頭側。形さえ良ければ、それで良い。何も言われない事が良い事だ。という認識。
    ただ、大脳は、実際を捻じ曲げる。要は、批判を良い風に見せ掛ける。
    例えば、出来ちゃった婚を、授かり婚と言ったり、良い風に見せ掛ける。実際には、どちらの言い分でも、とった行動は変わらない。

    実際側では、行動が主な為、批判を浴びようが浴びまいが、良い物は良い。それは、変わる事が出来ない物事になる。
    例えば、新車。契約を交わし終えたら、もう中古車になる。
    だけど、実際の物を見れば、買う前の新車と、契約した直後の車は、全く同じである。
    空想では、変わる出来事でも、実際では変わる事が出来ない出来事がある。
    逆で言えば、新車も中古車も、同じ車である。が、実際で見ると、全く違う物になる。
    この二つの例を見れば、矛盾が生じているのが、分かると思う。
    つまり、実際を生きるなら、矛盾を生じさせてはいけない。
    先程の例で言うと、新車は新車。契約車は契約車とすれば、新車、中古車と紛らわしい表現はしなくても良い。

    身体側の人に教育をするなら、矛盾が生じない教育をする事が、一番良い。
    ただ、実際をそのまま教えると、暴れる等の問題が出てくると思う。これが厄介な為に、温厚でいてもらえる嘘を付く頭側の人も多いと思う。それは、実際の認識の仕方を利用しているだけで、絶対に良い事では無い。実際の認識の仕方は、目的が達成されるかどうか。先程の例で言うと、お腹が空いた、が、満腹になる。達成できれば、暴れる必要は無い。ただ、実際での実力不足、この例だと自分でお給料を貰えない等から、その空想での嘘が、悪い事だという事は、簡単に分かると思う。
    この暴れる問題は、感情を、身体側と頭側とを組合せ扱えれば、殆ど解消される。まだ、殆ど書いていないが、このページの感情の部分を読んで欲しい。ただ、それを身体に教えないといけない。これは、小さい内に教えておかないと身体が大きくなると面倒になる。
    それに、感情が扱えないと、身体側の人が成長するのは難しい。
    今では、子供がうつ病になるとか。その原因も、この感情が扱えていないからである。これは、いつか書く。

    ルール

    更新6月13日
    例えば、○○ちゃんは、先生の言う通りに動くが、自分の子は、先生の言う事を聞かない。
    これは、知っているか、知っていないかで変わって来る。知っている事は出来るが、知らない事は出来ない。
    頭側は、頭で知る。でも、身体側の人は、体験で知らないといけない。つまり、頭側の子と同じ様に、先生の言う通りに聞かすには、体験で先生の言う事を聞かないといけない、という事を教えないといけない。
    では、どうやったら、先生の言う事を聞けるのか。
    それは、親が、先生を、先生とすると良い。身体側の人は、親を見習う習性がある。なので、親がしている事を真似する。親が先生に対し反抗的なら、子も反抗的になる。
    先生の言う事を親は聞いている。でも、子供は、先生の言う事を聞いていない。という人は、先生の言う事を聞いているのを、子に見せられていない。
    例えば、先生が靴は下駄箱に入れて下さい。と言う。そのとき親が、自分の子供は、まだ、そういう事が出来ないので、靴は邪魔にならない端ならば、脱ぎ捨てていても良いか尋ねる。これが、反抗的になっている。頭で考えると何ともない会話になるが、身体側で考えると、先生が言う事に対し、違う事をする事になるので、反抗している事になる。
    このときは、素直に、先生の言う通りに、子供に、靴は、ここに入れなさい。と言っていると伝え、子供に行動を起こさせる。
    こういうのは、初めが肝心である。なぜなら、始めの位置に関係するからだ。
    先生の言う事を聞く、聞かない。これを1から100で、聞く方が1とすると、80から始めるのと、20から始めるのとでは、言う事を聞くまでに行ける時間が全然違う。
    例えば、人に会うと、第一印象を持つと思う。これを払拭するのは、難しい。好意を持つ人には、良い態度を見せるが、好意を持たない人には冷たく接する。
    では、第一印象の悪い人に、好意を持つ人に見せる良い態度を簡単に出来るかどうか。ここでは、頭側は置いておいてほしい。例えば、頭側の、相手がお金持ちだった。お金持ちが好きなら、態度は急変できる。
    でも、態度が悪い人だと思っていたが、実際に接して見ると、良い人だった。これは、実際を体験しないと分からない。では、実際に良い人かどうか知るのは、簡単なのか。それは、難しい。それは、自分の考えが関係するからだ。表があれば裏がある。つまり、自分の性格が悪ければ、性格の良い人を嫌う事も多々ある。この自分の考えにより、左右でき難い。この言葉で分かる人もいると思う。自分の考えにより、良いと思う、悪いと思う。自分の考えは頭側。つまり、左右でき難いものになっている。なので、始めに、先生の言う事は聞かないといけないと植え付ける必要がある。
    他にも、先生の言う事を聞かない理由はあるが、初めは、これが必須である。

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  • 基本的な教え方

    更新7月07日
    例えば、机の上に置いてあるテレビのリモコンを子供に取って貰う。
    リモコン、机、は知っている。そのリモコンでテレビが付けられるのも知っている。でも、リモコンを取って、と言うと、その動作が出来ない。
    まあ、似た様な出来事があったなら、それと重ねて読んで欲しい。
    知っている事を繋げれば良いだけなのに、なぜ、この動作が、出来ないのか。
    それは、知らない部分が大きく影響している。頭側は、知識を繋げる考えが出来る。でも、身体側は、知識を繋げる考えでは無く、一つの物から、多くの考えを出す。
    簡単に言うと、頭側は、走るとジャンプを繋げて、走り幅跳びの様な事をする。一方、身体側は、走り幅跳びから、走る。ジャンプする。というトーナメント表で言うと、下に向かう考え方になる。なので、リモコンまでたどり着いても、そのリモコンを使って何かする、という考えは出ても、人に渡す考えはなかなか出て来ない。
    身体側からしたら、まさか、取って。と言うとは思わない。それは、頭側と身体側の違いのページでお題に出した、頭側は全員。身体側は個。という奴。要は、リモコンを取っても、自分には全く関係のない事になるからだ。まさか、自分に関係の無い事をさせられるとは、全く思わない。
    それが、テレビのリモコンをを扱う上での事なら別になる。自分がリモコンを扱っていて、分からない事がある。それなら、人に操作して貰わないといけない。だから、リモコンを人に渡す。それは理解できる。
    偶に、リモコンを扱っていても、どうにも出来なく、助けを求めているにも拘わらず、そのリモコンを貸そうとしない人がいる。自分でどうにかしたいんだろうけど。これは、頭側の人に多い。その逆だと思って欲しい。

    では、どうしたら、その動作を覚えられるのか。
    頭側の頭の勉強で、漢字や英単語をどの様にして覚えたか。ノートに同じ物を何回も書いたと思う。やり方はそれと同じ。
    つまり、して貰いたい動作を何回もさせる。
    この場合なら、リモコンを取って。と言う。そして、子供にリモコンを取らせ、親に渡す。この動作を三回以上繰り返すと良い。出来れば、リモコンは、相手が使い易い様に、向きを相手側にして、渡す様に教えると良い。これは、連続で三回以上、全く同じ動作をさせる方が良い。行動は、徐々に動き方が変わってしまう為、変な行動に変わらない様、同じ動作をさせるのがポイント。なので、違う動作をしたら、また一回目からやり直し、三回以上連続で同じ動きをさせると良い。
    身体側に教える場合、身体に教えた後、頭に教える。要は、身体でしている為、何の事を言っているのかが分かり易い。
    これは、実際にある動作や出来事を全て身体に覚えさせると良い。要は、実際形式で練習させる。すると、今の頭時代でも、普通に生きられる。
    例えば、接客業で、水を零しお客さんに水が掛かった。なら、その対応の仕方を全てさせると良い。お客さんによって対応の仕方は変わるが、大体この対応をしておけば良い。というのが一つでないにしろ、二つか三つ覚えておけば、いける。というのがあるはずだ。その行動を、実践の様な形で覚えさせたら良い。
    臨機応変に出来ない理由は、テレビのリモコンの例で分かると思う。知っている事と知っている事を繋げる考えは持っていない。
    どうしても臨機応変にしたいなら、より多くの体験をしておくと良い。これは、頭側と身体側の違いのページで言った、その対応に要る全部の実力を付けておくと、臨機応変に出来る、という奴。

    身体側の人とを世の中に出すなら

    更新7月08日
    身体側の場合、スポーツ等と同じで、練習、本番、練習。という形になる。分かり易く言うと、予習、本番、復習。という感じだ。
    これは、世の中に出すときも同じ。幼稚園などでは、教育の場の為、そこが、練習の場だと思っている人が多いと思う。でも、身体側の場合は違う。そこは、本番の場で、予習で出来ていない事を知る場にはなるが、それは、復習や次のステップであって、一から教えて貰う場では無い。
    昔なら、ある程度、躾などされてから、幼稚園、小学校に行かされていた。でも、今は、学校か塾頼りで、親が自分で教えようと思っている人は少ない。教育の場があるので、それで済むと思っているのだ。世の中を生きるには、その程度では、教育不足ではある。
    それは、仕事でも同じ。昔の人は家にやる事を持ち帰って、自分でやるべき事をしていた。例えば、教えるときにマニュアルがあると自分が楽できる。要は教えるときにマニュアルがあると、教えがスムーズに行く。そのマニュアルを作る時間がないなら、家に帰ってから作る。マニュアルというのは、一度作ればある程度の期間いける。つまり、一時で済む。今は、本当の仕事を家に持ち帰ってしている人もいると思う。それは、会社でやるべき事である。
    要は、家でする事と、学校でする事。家でしても良い事と、会社でするべき事を一緒にしてはいけない。
    この仕事の例で言うと、本当の仕事は、誰でも出来ると思う。自分にしか出来ないなら、残業代は貰うべきだ。でも、マニュアルは自分にしか作れない。人が作ったものだと、自分の考えと違う物が出来てしまう。そうなると困るのは自分になる。要は、自分が困るなら、自分でするしかない。会社では、マニュアルは要らない。と言っているなら、それは、自分の為にもなる為、自分で作成するしかない。だから、帰ってからする。もちろん、それで、残業代をくれるなら、会社でやっても良いが、納得させられる物が作れるかどうか、という問題がある。意味の無い事に会社はお金を払えない。それだけは覚えておいて欲しい。要は、あなたのしたい事、また、実力を上げる為に、会社があるのではない。会社は、会社が求める実力を発揮する場である。それが本番という事を忘れないで欲しい。

    つまり、幼稚園に行かすなら、幼稚園で普通に過ごせる様に、予習を身体で覚えさせておけば良い。
    例えば、歌の勉強や、皆が居る場では、皆に合わすなど、昔の様に三世代で家に住んでいるなら、自然と皆に合わさないといけない。ので、そういう場を作って上げれば、どうすれば良いか分かる。歌の勉強も事前にしておく。
    小学校に行けば、手を上げて答えられる様、全て教える。
    では、小学校の意味は?と思うかも知れない。
    勉強が出来ても、それだけが勉強では無い。今は無いかも知れないが、他の生徒との競争や、皆と過ごす意味など、知る事は多い。それは、実力があればあるほど、次のステップへと向かえる。要は見える景色が違う。例えば、いっぱいいっぱいだと周りが見えない為、気遣いが出来ない。でも、周りが見えると気遣いが出来る。この差は社会に出てからも、影響する。簡単に言うと、高卒と大卒の差の様な物で、僕が言っているは、身体側なので、実力の差になる。会社で、いっぱいいっぱいで周りが見えなく気遣いが出来ない人と、ある程度の仕事は出来る為に周りが見え気遣いができる人、どちらが欲しい人材か、ちょっと考えれば簡単に分かると思う。
    要は、実力があれば、周りは見える。

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  • 責任感

    更新8月10日
    身体側の人は、基本、他人任せなので、責任感を持たないと頑張る事をしません。ただし、他人任せでも、心理的補助はします。
    心理的補助は、例えば、だらしない人と一緒にいると、頼る事は出来ず、自分でどうにかしようと割り切れます。その割り切りがやる気にも繋がり、同等の人と居るときよりも、出来る人になれます。要は、相手の持っている力を引き出す感じです。
    ただし、これは、身体側の人でも、良い人の話で、悪い人は、責任感を持つ事をしないですし、心理的補助も自分の為に使います。

    責任感を持たすには、任せる事が大事です。ただ、任せるには実力が無いと出来ません。実力は行動に移せる実力ですね。なので、積極的に家の手伝いをさせましょう。
    他には、複数の人と何かやる場合、自分が出来る事には、責任感を持ってやります。ただし、悪い人は、出来なかった場合、人のせいにします。出来た場合だけ自分のおかげとします。
    これをちゃんと見極め指導して上げないと、身体側の人は、真っ直ぐ成長は出来ません。

    心理というのは、基本、反対です。やるな。と言われれば、やりたくなりますが、やれ。と言われると、やりたくなくなります。
    なので、何も出来ない。と言われ、放っておかれると、自分からやろうとしますし、責任感を持ってやります。ただし、張り合う相手などいないと、そのままの言葉を受け入れ、何もしません。
    例えば、姉は良い子で、妹は駄目な子。とされ、妹は、いつも叱られていると頑張ります。

    ただ、見極めるのが少し難しいかも知れないです。心理的補助で、平気で失敗したり、駄々をこねたりしますし、普通の人には、どちらが本当の行動か、分かり辛いです。
    まあ、一人にしてみれば、心理的補助を使う事も無いですし、分かり易くはなります。ただし、姉にやらした事を妹にも、となると、姉に気を遣うので、それだと一人でやらしても分かり辛くなります。
    例えば、昨日は姉が料理を手伝った。今日は妹が料理を手伝う。すると、姉よりもしない場合もあります。それは、姉より出来ると姉がやる気を無くすからです。する事によって、この期間が、昨日、今日でなくても、一年後だった場合でも姉のした事を覚えている事もあるので、そのときも心理的補助を使います。
    心理的補助は、体験による経験で覚えて行きます。なので、始めは上手く出来ませんし、やらなくても良い場所でも心理的補助をします。その結果、出来ない人に見られる事もあります。ただ、本当に出来ない事もあり、この見極めは、やはり、普通の人には難しいです。
    心理的補助は、自分を出来る様に見せ付ける事もします。そうする事により、相手に現実を見せ、分からせます。どうしても人間は逃げたくなるので、目を背けない様にさせます。これは、相手が出来ないといけないときに使います。仕事など、出来ない、で逃げる訳にはいきません。屈辱を味わったら、心理的にするしかないですからね。これも、時と場合でやり方はあります。
    もちろん、悪い人は、この逆をします。出来ないといけないときに、自分も出来ない振りをしたり、出来なくても良いときに、出来るのを見せ屈辱を味わせます。

    自分の子供が良い事をしているのか、悪い事をしているのか、見極め指導してあげて下さい。もちろん、悪い事をしていれば、叱ってあげると良いです。
    くれぐれも、頭側の人と反対になっている事を忘れない様に。これは、意識して、考えないと分かる事が出来難いです。一旦、その状況を取り上げ、一つ一つ考えると分かり易いです。その場で、というよりも、ちょっと離れて考える感じですね。それと、心理も反対になっているという事を覚えておいて下さい。

    勘違い

    更新7月11日
    仕事など健常者の様に上手く行かない。なら、健常者と同じやり方、覚え方をしていては、それは、出来るはずが無い。だって、健常者のやり方では出来ていないんだから、その教えを乞うても、それは無理。
    健常者の様にはいかない。という事があれば、その事に関して、全てで健常者の様にはいかない。これは、その事が出来ない。という訳では無く、人間の使い方の話し。例えば、味のある絵を描く。ボールペンで描くと、その表現が出せ難い。でも、鉛筆を使えば、味のある絵が描ける。健常者は、ボールペンだと味のある絵が描ける為、世間では、ボールペンで絵を描くのが当たり前。でも、発達障害者は、鉛筆でないと味のある絵が描けない。という感じ。この例だと、何を使えば良いかを分かれば、発達障害者でも、味のある絵は描ける。注意。これは飽く迄、例なので、絵を描くときに健常者と発達障害者でそういう差は無い。

    自分で原因を探りたい。なら、まず、言葉を部分的に分ける。
    例えば、仕事など健常者の様に上手く行かない。これなら、仕事など。健常者の様に。上手く行かない。と三つに分ける。
    観点は、健常者に出来て、発達障害者に出来ないかどうか。
    仕事など。これは、全ての仕事かどうか考える。出来る仕事もあるなら、これは、原因ではない。例えば、料理は作れないが、皿洗いは出来る。なら、仕事全てでは無い為、仕事など、が出来ない訳では無い。
    次に、健常者の様に。確かに、健常者の人と比べたら、出来ない。なら、原因の一つはこれになる。
    次に、上手く行かない。上手く行かないのは、仕事なのか、健常者と比べて、なのか。この場合なら、先に、仕事等なら出来る事もある。健常者の様には出来ない。と考えてある為、上手く行かないのは、健常者の様に、と分かる。
    つまり、原因は、健常者の様に。になる。それなら、健常者と違うやり方を考え、仕事をすれば、出来る様になれる可能性は大いにある。
    要は、身体側は、トーナメント表の上から下に行く訳だから、原因を分けた後、下に探って行くと良い。

    初めに、身体側は100からなので、仕事慣れしているかどうかも関わって来る。仕事慣れしていないなら、仕事全般出来難い。もちろん、暫くの間、仕事をしていなかった場合も、この影響はある。
    仕事慣れ。というのは、身体が、仕事をするにあたって、慣れているかどうか。
    例えば、走る。慣れている人は、すぐに走れる。でも、慣れていない人は、すぐに息切れしたり、遅かったりと、慣れている人と比べ、全然、走れない。
    この例を見て、健常者と比べて仕事が出来ない理由に、これが当てはまる人もいると思う。特に、遅い。の部分。それは、仕事慣れしていますか?
    仕事慣れしていないなら、仕事慣れをするには、どうすれば良いですか?
    走る。なら、毎日走れば、慣れて来る。でも、良く考えて欲しい。1キロメートル走るのと、42.195キロメートル走るのとでは、慣れる時間が違わないですか?
    それに、人によっても、得意不得意があるので、慣れるまでの時間は違う。
    一度、自分に当てはめて考えて欲しい。

    もちろん、慣れるまでの時間を早める方法、また、遅める方法はある。
    例えば、健常者の様に上手く行かないのに、健常者の考える方法でやっている。原因は健常者。なら、考え自体、参考にしてはならない。だって、健常者の様には出来ないんだから、健常者の考えた事も出来ない可能性が高い。これは、慣れる時間を遅める方法。発達障害者にとって、出来難いやり方を取っている訳だから、それは、出来難い。
    自分で考えた場合。健常者とは違う為に、健常者の考えよりは、上手く行く可能性が高い。ただ、考える力が無いなら、考える力を付けないと駄目。
    時間を早める方法。遅める方法を詳しくは、また、いつか書く。

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  • 頭側の勉強の教え方

    更新7月16日
    頭側は、学校の様に、一人の先生が、何十人もの生徒に一度に教える為、一回しか教われない。
    だから、学力に大きな差が生まれる。
    では、学力の差を縮めるには、どうしたら良いのか。
    頭側の次は身体側。つまり、次は、個別に指導する。いや、塾で個別指導を受けているけど?と言う人もいると思う。でも、そうやっても、学力がなかなか伸びない人もいると思う。

    まず、頭側の一人の先生から、皆に教える。そして、テストをすると、出来る所、間違っている所が出てくる。
    次に、間違っている所を教える。すると、そのテスト問題は全て出来る様になる。
    ここで、注意して欲しいのが、二番目の身体側の部分。身体側は、常にどちらかに左右される。その上、頭側は、方向は一つ。何もしていないのに、もっと覚える方向にはいかない。つまり、覚えた事でも、忘れる事がある。
    では、どうしたら、忘れ難いのか。それは、スポーツなどの基本と同じで、定期的にそれを頭に入れる。
    他には、一度に何回も勉強をして、強く覚える。身体側は、練習、本番、練習。なので、その練習と同じ様に、多く勉強をする。

    要は、テストで振るいをかけ、出来ない所を出す。そして、出来なかった所を、覚える。次に、知らない事を覚えるには、漢字など、同じ漢字を何度も書いたと思う。つまり、何度も同じ問題を解かす。
    このとき、同じ問題をずっと続けても良い。ただし、順にやって行く必要はある。同じ答えだからと手を抜くと、それは、覚えられない。答えを知っている為、問題を良く読まない。とか、答えだけを書く等したら、それは、学んでいない事になる。
    では、ずっと同じだと手を抜き易く、覚え難い。なら、テストで出来なかった所、教科別でなく、全てをランダムに出す。ただし、一回目に全部の問題。二回目も全部の問題という風に、全部を一回で出す事。それを一回目、二回目関係なく全部ランダムにし、出て来ない問題が出てきてしまうと、それは、その問題は解け難いままになる。
    まあ、塾などを利用しているなら、個別に合った問題をランダムにテスト用紙にして貰い、十枚くらい貰う良い。ただし、指導をされ、一時でも出来る様になった後でないと意味はない。それは、分からないままやっていても、分からない物は分からない。それと、一時というのは、その場だけでなく、まあ、一か月は覚えていられるくらい。それと、このとき、最初のテストと自分に合っただけのテストを交互にすると、初めに解けた問題も入っているので、それも覚え易くなる。これも、教科関係なくランダムな物もあると良い。五枚ずつテスト問題を貰い十枚やれば、大体覚えられると思う。あとは、自宅で勉強すれば良い。分かる問題が多いはずなので、すぐに出来ると思う。ただし、先程言った様に、問題文を飛ばしたり、答えだけを書くようなやり方をすると、覚えられない。ちゃんと、一から十までする事。

    次の頭側は、視野を広げる。なので、次のステップに進むと良い。頭側は、一からなので、覚えていない事があると、次に行けない事もある。なので、一から全部を覚えて行く必要がある。あとは、努力次第。
    どんなやり方でも、手を抜けば、それは出来難くなる。それを始めに教える必要もある。
    頭で分かっていても行動に移せない。事がある。それなら、行動、要は体験で、それを覚えさせれば良い。
    口を出さずに、手を抜かせ、忘れる様に、わざと持って行く。次に、手を抜かず、一から順にやらす。そして、忘れなかったら、このやり方なら、覚えられると分からせる事が出来る。
    まあ、信用出来なかったら、実際に試せば早い。
    初めに手を抜かさずやらす。次に手を抜かす。その次に、また、手を抜かさずやらさすと、より覚え易い。それは、出来なかった原因が分かるからだ。出来るを二回させるのは、出来る事だよ。と多数決で分からせる為。なので、手を抜かない二回目に出来たら、だから始めに教えたやり方をすれば良いのに。と押し付ける様に言うと、より頭、身体に入り易い。
    出来る事は楽しいが、出来ない事は楽しくない。という事があるので、出来る様にさせると、より頑張ってくれる。これが、上辺で無いやる気の出させ方になる。出来るから、まあ、やれる。という感じ。あとは、勉強自体をやらない。とさせない限り、勝手に頑張ってくれる。

    食べ物

    更新9月02日
    発達障害の子で、味に敏感で、食べられる物が限られる、とか。
    僕も同じだったが、僕の場合、親に無理やり食べさせられた。そのとき、何回食べても飲み込めない。という事があった。親が本当に、飲み込めないんだと思ったら、それを食べさせられる事は無くなる。という感じだった。
    これを見たら、悲惨というか、厳しい様に見えると思う。
    でも、これで良かった。
    確かに、食べられない物を、無理やり、食べろ。と言われ、食べるのはきつかったが、おかげで好き嫌いが少なくなった。
    もちろん、良かったのは、それだけでは無い。
    体調を崩したとき、一回だけだが、身体側で食べる物を選んだ。すると、体調は回復した。要は、身体が栄養を覚えており、今の体調なら何を食べるのが良い。と計算してくれたのだ。
    一回だけなのは、身体側に移行するときが無い為、一回きりになった。けど、普段も少しは、身体側で選んでいるとは思う。が、殆どは賞味期限と闘っている。

    身体で言うと、本当に食べられない物は、お腹を壊したり、吐いたり、熱が出たりする。酷いと、アレルギーとして体に出る。
    これが、本当に食べられませんよ。と体が言っている。
    なので、発達障害の子の言葉を信じる事はしなくても良い。舌に敏感なので、これ、味がおかしいよ。と親に言う子も多いと思う。でも、それは、そういう食べ物なので、別に異常な食べ物という訳では無い。
    子供のうちに、色んな物を食べさせておかないと、大人になってからだと、苦手になり過ぎた。や、好き勝手できるので、余計に好きなものしか食べない。という事も多いと思う。それに、見慣れ、食べ慣れ、というのもあるので、食べ易い方向に持って行ってあげるのが良い。
    子供のうちは、親が無理やり食べさせるのも良い。ただし、体が食べられませんよ。と言っている物は、食べさせない様に。

    スーパー独自で出している商品、安い食べ物が売られている。これらは、止めてあげた方が良い。
    中には、お腹を壊すだけでなく、熱が出るものもある。
    身体側の人は、体に敏感な為、頭側の人よりも、体に症状が出易い。

    段落更新9月11日
    それと、身体側の人が、物を食べて、不味い。と言うときは、舌で感じての事では無く、栄養が不味い、というときがある。これは、偏った栄養ばかり食べているとき等に言い易い。僕が言ったときは、記憶が定かではないが、小学五、六年のときだったと思う。
    特に子供に、不味い、と言われたときは、栄養が偏っていないか、献立など思い返して見ると良いと思う。

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  • ご褒美

    更新10月10日
    学校などで、テストの点数が良ければ、おこずかいをあげる。とか、自分にご褒美をあげる。などと言ったご褒美。
    この、ご褒美は、やる気を出さす。もしくは、やる気を保つ為に、あげた方が良いのか。それとも、あげなくても良いのか。

    例えば、家事手伝いの掃除。
    子供が家事を手伝い、親からご褒美を得る。この子供は、掃除を手伝い、いったい幾つのご褒美を貰う事になるのか。
    一つは、手伝った後の、親からのご褒美。
    一つは、家事を手伝い得た、実力。
    一つは、掃除をして得た、綺麗さ。
    つまり、ご褒美を三つ、貰ってしまった事になる。これが、貰い過ぎかどうか。

    大脳で考えると、下の二つ、家事を手伝い得た実力。掃除をして得た綺麗さ。は、自分が成した訳だから、当たり前の成果であって、ご褒美ではない。だって、疲れているんだから。という感じだと思う。
    親からのご褒美は、疲れたのを癒やすご褒美だから、これがご褒美だ。だから、やる気が出る。と思っている人が殆どだと思う。
    つまり、ご褒美は、親からのご褒美、一つのみ。という事。

    先程言った、親からのご褒美は、疲れたのを癒やすご褒美だから、これがご褒美だ。これは、マイナス1の疲れ、と、プラス1のご褒美でプラスマイナス0。
    では、自分が得た実力。自分が成した成果。は、どうなのか。
    例えば、窓拭きを手伝った。
    窓を拭いて疲れた。その分、窓は綺麗になった。これは、プラスの綺麗になったご褒美1、と、マイナスの疲れた1。これで、プラスマイナス0になっている。
    ただし、これは、自分に関係ある家の窓であって、自分が関係しない家の窓では無い。
    綺麗になった窓を見て、達成感を感じた人もいると思う。うーん、綺麗だ。と思い、窓を眺めているときだ。
    気持ちの操作のページのお題の15気力に、成果が出ると、疲れもマシになる。が、成果が出なかったら、余計に疲れる。といった、正の気力と負の気力がある。とある。
    つまり、疲れがマシになったなら、それは、ご褒美になっている。
    だから、親からのご褒美は、過剰なご褒美になってしまっている。

    では、過剰にご褒美を貰うとどうなるか。
    気持ちの操作の其の一のページを読んで欲しいが、正常。異常。壊れた状態。この三つを気持ちの流れで表すと、マイナスの壊れた状態。マイナスの異常。正常。プラスの異常。プラスの壊れた状態。の五段階になる。
    プラスマイナス0が、真ん中の一番正常な状態。これが、マイナス。もしくは、プラス。に一つでもずれていたら、一番良い状態からは、ずれている事になる。
    なぜ、プラスで壊れた状態になるのか意味が分からない人もいると思う。
    例えば、マイナスの落ち込んだ状態で仕事をする。
    気持ちは入らない訳だから、ミスをしたり、仕事が遅かったりと、仕事に身が入っていない状態だから、悪い状態なのは誰でも分かると思う。
    では、浮かれている状態ではどうか。仕事は、地に足が着いていない訳だから、空回りする。空回りする訳だから、ミスをする。また、仕事が進んでいる様で中身が抜けている事が多く、実は進んでいない。これで仕事に身が入っているのかどうか。他人を見て、この人、浮かれていて仕事に身が入っていないな。と感じた事がある人は多いと思う。つまり、喜び浮かれた状態も、落ち込んだ状態と同じく、悪い状態と言える。

    では、プラスマイナス0から、ずれていたら、気持ち的にどうなるのか。
    1の事をして、2のご褒美を得る。計算すると、マイナス1足すプラス2、でプラス1。
    では、次も1の事をして、2のご褒美を得る。するとプラス1。
    つまり、いつでも、プラス1の状態が続く訳ではなく、積み重ねられて行くので、毎回1ずつ足されていく。これを100回したら、プラス100になる。すると、プラスの異常、もしくは、プラスの壊れた状態になる。そうなると、当然、よくない。
    だから、家事手伝いに対し、親からのご褒美をあげるのは、よくない行為になる。ただし、自分が綺麗にした窓に、掃除のときしか行けない。なら、それは、綺麗さがご褒美にはならない。例えば、客室で綺麗にしておきたいから、子供は出入り禁止。とか、そういう場合は、綺麗さを実感できないので、親からのご褒美が要る。
    いや、綺麗にしたては、その部屋にいられる訳だから、綺麗さを実感できるじゃない?と言う人もいるかも知れない。実感は浸れるかどうか。綺麗にして終わり。なら、浸れる時間は無い。

    では、疲れた分は、綺麗にしたご褒美でプラスマイナス0。なら、もう一つの、得た実力は、過剰なご褒美になるのではないか。
    この、実力は、綺麗に出来た実感のときに一緒に、実感している。なので、過剰なご褒美にはならない。
    では、なぜ、一つ一つに別けたのか。それは、気持ちの操作の其の一のページを読んで欲しいが、正の気力は速効性の物で、実力は身体本体の力になる為、遅効性の物になる。速効性と遅効性は別々の物な為、別けたが、気持ちの操作のページのお題の13身体の横並び構造で、身体全体も、個々の手や足も、同じ個々であると同時に、身体一つでもある。とある。つまり、身体側は、個々にも分けられるが、一つ一つが、全部の一つにもなる。その為、綺麗にしたご褒美も、実力を得たご褒美も、一つのご褒美になる。

    これは、家事手伝いで、身体を使った事である。つまり、身体側の出来事。

    では、頭側の出来事ではどうか。
    テストで満点を取った。これは、頑張った分疲れた、でマイナス1。テストで満点を取れた喜び、得た実力でプラス1。だから、ご褒美は要らない。
    では、仕事で使う為に、勉強をした。
    頑張って知識を得た。これは、疲れた分でマイナス1。知識を得た実力は、速効性と遅効性二つ得られるプラスの、遅効性のみなので、プラス0,5。
    では、これを仕事で使って成果を得た。勉強して疲れた分でマイナス1。成果が出たのと実力を得たので、合わせてプラス1。これで、プラスマイナス0。つまり、この場合も、別のご褒美は要らない事になる。
    では、単に勉強しただけならどうか。それは、疲れた分でマイナス1。実力を得た分でプラス0,5。で、マイナス0,5になる為、別でご褒美は要る事になる。
    もちろん、マイナスの値が溜まっても異常、壊れた状態になる。

    注目して欲しいのは、身体側では、別のご褒美は過剰なご褒美となり、頭側では、別のご褒美が要る。
    理由は、頭側と身体側の違いのページのお題にもしてあるが、空想と実際の違い。
    頭側は、空想な為、実際に勉強したものは実際だが、得た実力は使わなければ空想になる。
    でも、身体側は、作業をすれば、実際で成果が必ず表れる。だから、空想とはならない。その為、身体側は、別のご褒美が要らない。
    ただし、頭側と身体側の違いのページのどこかに書いてある様に、頭側、身体側、お互い、似た様な事は出来る。それが、身体側では、他人の事をする等、自分の成果に浸れないときで、これは別のご褒美が要る。頭側では、実際で使い成果になったときで、成果がご褒美となる為、別のご褒美は要らない。となる。
    先程、勉強した知識を仕事で使い成果を得たなら、別でのご褒美は要らない。と言ったが、これは給料の話では無い。仕事自体は、自分の物になるのか他人の物になるのか。もちろん、他人の物になる。なので、別でご褒美はいる為、給料は要る。
    これは、元をたどる。もしくは、トーナメント表の様にしたとき、上にくるのか下になるのかを考えれば分かり、元。もしくは、上に来る方が優先され、そこを基準に考えると、ご褒美が要るのか、要らないのかが分かる。

    身体側の方で、窓を拭いたご褒美が、綺麗さと得た実力では、いまいち、ご褒美と受け取れない人もいると思う。
    例えば、釣りをした。
    そのときに、鯛を釣った。これは、ご褒美になるのかどうか。
    晩酌を楽しみに家に帰り、晩酌を楽しむ。これが、釣りに行ったご褒美だと答える人は多いと思う。
    釣りをした疲れがマイナス1。釣った喜び、釣った実力がプラス1。で、プラスマイナス0だが、釣りに行った疲れでマイナス1。晩酌でプラス1でプラスマイナス0になる為、別のご褒美は要らない。
    窓拭きも、窓を拭いて疲れた分で、マイナス1。その場で思う綺麗にした実感、得た実力で、プラス1。でプラスマイナス0だが、窓拭きをして疲れるでマイナス1。綺麗にした窓を実感するで、プラス1で、プラスマイナス0。と釣りをしたときと同じになる。
    先程、その場では、綺麗さを実感できない。と言ったが、これは、速効性と遅効性で考えると分かり易く、速効性はその場だけの力。遅効性は身体本体の力で、自分の力として付加される。つまり、自分の物になるのは、遅効性の部分。だから、他人の物になるなら、その場の綺麗さは、ご褒美にはならない。

    つまり、別でご褒美が要るときは、成果が空想になってしまったときだけであり、実際に成果を得られたなら、別のご褒美は要らない。
    プラスでもマイナスでも、気持ちを悪い状態にしたら、それはやる気を出し難い状態になる。
    ご褒美も、いつでも同じご褒美では満足できなくなり、前よりも良いご褒美でないと、やる気が出ない等なって来ている人もいると思う。自分が成した事と、ご褒美とを照らし合わせると、ご褒美の方が明らかに良過ぎる。なんて人もいると思う。そんなんでは本当の自分の力は出せない。