もう一つの思考

            頭側と身体側の違い4

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信用

頭側は、何も調べず、相手の事を探らないのが信用になる。
でも、身体側は、全てを探られて何も出ない状態を信用と言う。
何も調べず。なら、相手のせいに出来る。でも、身体側は、全てを探られて。という事は、自分が信用するときも、相手の全てを探らないといけない。つまり、身体側の人が、裏切られた場合、自分が悪い事になる。まあ、簡単に言うと、口では嘘を付けるが、行動では嘘を付けない、という奴。行動では嘘を付けない為、行動を重視する身体側は、ちゃんと行動を見ないといけない。まあ、そうは言っても行動でも嘘は付ける。簡単に例を出すと、警察沙汰になり、親が来る。相手(警察)に言われ難くする為に、わざとぶったり等、怒る。そうして、事を収め易くする。事を収め易くしたいが為に嘘で子供をぶつ行動。身体側の嘘の場合、本当にあってもおかしくない嘘を付く。
嘘というか、頭側は外が良い形なら、内は何でも良い。身体側は、内さえ良ければ、外は何でも良い。これも、もちろん、頭側、身体側、両方を考えた上で、何が良いかを決めた方が良いが、基本は、こうなっている。
これは、活かす術でもある。例えば、頭側なら、家庭では好き勝手やるが、外では、気を遣う。とか、身体側なら、周りの人に迷惑をかけ、自分は楽をする。など。

頭側は全員。身体側は個

今の例でもそうだが、頭側は、全体的になる。身体側は、自分一人の為、の様に、個になる。
まあ、ルールとマナーで考えると分かると思う。
なので、先程の身体側の例を、周りの人には良い事をし、自分は辛い目を見る。でも、良い。身体側は受け渡しな為、一人の行動だけでは、両方良い思い、という訳にはいかない。受け渡し、というのは、頭を捨て、行動だけで考えると良く分かる。例えば、他人の重い荷物を持つ。持って貰った方は軽いが、持っている方は重い。この様に、片方が良い思いをしたなら、片方は悪い思いをするはめになる。
例えば、赤信号でも、全員で渡れば怖くない。というのがあるが、身体側は、一人でも怖くない。まあ、これは、お互いの弱点でもある。頭側なら、皆でやっている分、気が高ぶっていて周りが見えておらず、悪い事が分かっていない。これは、身体側の気持ちが優先されている状況。これでは、頭が表に出せない為、頭で悪い事と分かっていても行動には移せない。中には、頭で分かっていたら、それで良い。と思っている人もいるが、それは、大きな間違いである。頭で分かっていても行動に移せないなら、同じである。人間は、頭と身体が繋がっていないんだから、頭で知っているだけで行動に移せないなら、人間としては、欠陥である。
身体側で言うと、自分自身を強く出来るだけあって、一人でも何とも思わないが、それが、自分を惑わす。自信過剰という奴。これは、頭側が優先されている。自信過剰と言うと、頭側の例の様に、気が高ぶっている様に思えるが、別に気持ちを高ぶらせている訳では無い。簡単に言うと、難しい事でも簡単にやってのける。この場合、実力があるので、冷静ではある。ただ、自分は出来る。と思い過ぎている為、油断が付き纏っている。つまり、頭で出来る手順を理解しているが為に、気が張れていない。

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  • 危機感

    頭側は、頭で分からないと、行動に起こさない傾向がある。それは、判断を下すのが頭だからそうなる。経験が少ない中学生、高校生くらいになると、本当に危ない状況で、親に、危ない、こっちに来なさい。と言われても、なかなか動かない。それは、なまじ、頭が使える様になった為、親に対し、反抗的な時期でもあり、自分で判断しないと動かない事が多い。
    身体側は、声の大きさや、思い。形相などを重視する為、本当に危ない状況で親に、危ないこっちに来なさい。と言われれば、取り敢えず、急いで、そっちに行く。身体側は、100を知ってから本番な為、周りの状況やその人が抱く思い、行動など、すでに身体の中で計算してある。なので、親に言われてそっちに行った。も、自分で判断を下して行っている。要は、身体側の話し方と同じ様に、親は自分の考えを言っただけ。それに対し、身体側はの人は、自分の考えを行動で移した。という事。
    これは、行動の場合、頭側は後攻。身体側は先行。という奴でもあり、頭側は、頭が砦な為、頭を通さないと判断できない、という欠点がある。なので、咄嗟の判断が遅い。逆に身体側は、頭で判断しない為、頭で判断できる事を頭で判断しないで咄嗟に行動に出てしまう。これが、仕事などでミスを連発してしまう理由でもあるが、何でもやり方やり様はある。

    感情の受け取り方

    頭側は、感情を頭で解釈する。なので、涙を流している人を見れば、悲しいのかな。とか、こっちを向いて笑っている人を見て、自分を馬鹿にしている。等、思う。
    身体側は、感情を使いこなす為、涙は、嫌な思いを吐き出している。とか、笑っていれば、我慢をしている等になる。それは、身体側が、感情を使い、気持ちを消すからだ。
    具体的に状況で言うと、自分より出来る。というのを人に見せられた。すると、頭で解釈すれば、自慢をされている。や、嫉妬をしてしまう。身体側は、自然と笑顔になる。これは、笑う事で、自分が感じてしまう劣等感を消している。
    身体は、何も気負っていない状態が一番良い。それは、良い気分でも悪い気分でも、要らない。だから、感情で気持ちを消す。
    身体側の人が、相手の涙を見て、悲しいの?と言わない、など、慰めたりしないのは、身体側を見て、正常な状態だからだ。つまり、追い込まれた状況では無い。それは、身体側では良い状態なので、何もしないのが一番良い。それで手を出す人は、身体側の悪い人になる。この良い状態で、頭側の悪い事、良い事、どちらを言ってもしても、良い状態から離れてしまう。そうなると、身体側としては、悪い事をした、になる為、放っておくのが一番良い。ただし、全ての涙を流している状態が、良い状態という訳では無い。要は、涙を流し乗り越えようとしている人に手を出すと、その乗り越えられた分を取ってしまう事になる。これは、子供で考えると良く分かる。ときには、涙を止め、自分が頑張るしかないときもある。もちろん、これは、子供、大人問わずである。
    身体側の人は、常に身体側を見て、言葉をかける等、行動に出る。その為、言いたい事があっても相手が落ち込み過ぎ、または、浮かれ過ぎになる様なら、何も言わない。
    身体側の悪い人は、相手が少し浮かれている状態なら、もっと浮かれる様な事を言う。もっと気分が良くなる為、文句を言う人はいない。逆に、より良い気分にしてくれた身体側の悪い人に対し良い印象を持つ。相手が、ちょっと落ち込んでいる人なら、もっと落ち込む様な事を言う。落ち込んでいる人は、自分に閉じこもり易い為、相手に何も言わず、自分が悪いと思い込んでしまう。なので、身体側の悪い人の事を悪いとは思わない。
    簡単に言うと、辛いときは笑え。頭で解釈すると、おかしい感情の使い方の様に思うが、身体側からすれば、それが普通の使い方。

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  • 頭側は覚えるのが得意。身体側は忘れるのが得意

    頭側は知識を豊富にする為、覚える能力がある。
    身体側は、気負わない様に、忘れる能力がある。
    忘れる事が要る物かどうか。身体は気負っていると、動きが鈍くなる。だから、動きを正常に戻す為、忘れる事が必要になる。このとき、頭の様に覚えられていると、いつまで経っても気負ったままになる。そうなると、動きは鈍くなる為、相当困る。
    もちろん、忘れる使い方もある。悪い使い方だと、自分の都合の悪い事は忘れ、自分の都合の良いときだけ忘れない。自分にとって都合の悪い事を、感情を使って忘れる人もいるが、それをすると、成長が出来ない。なぜかと言うと、悪い事が分からなくなるからだ。要は、忘れる事で、悪い事を無かった事の様にしている為、失敗を成功に変えられていない。つまり、自分の身になっていない。だから、成長が出来ず、いつまで経っても同じ事で怒られてしまう等ある。
    頭で解釈しても、自分にとって都合の良い事は忘れず、自分にとって都合の悪い事は忘れられた方が良いと思うだろう。でも、身体側はこの逆なので、自分にとって都合の良い事は忘れた方が良い。それは自分を惑わす材料になるからだ。自分にとって都合の悪い事は、自分を変えさせる為に要る物になる。悪い事は直した方が良いので、そうなる。でも、自分にとって都合の良い事は、頑張る気持ちを無くさせてしまう。燃え尽き症候群も、その一つである。

    考え方

    頭側は、一から考える。身体側は、100から考える。
    丸と四角を使って言うと、丸が要る物とすると、頭側は、一から進み丸を作る。身体側は、100からなので、四角を削り丸にする必要もある。つまり、身体側は、要る物と要らない物を分けながら進む。
    トーナメント表で言うと、頭側は上から順に進んで行く。身体側は、下から、順に進んで行く。その為、進んで行く過程では、要らない物も含まれている。つまり、頭側は要る物だけを進んで行けるが、身体側は、要らない物も含んで進む事になる。なので、身体側は最後まで行かない限り、不正解も含んでいる。
    この身体側を、実践で言うと、身体側の拘りの所で、実際には実際の綺麗な形がある、積み木の例を出した思う。そのときに、矛先でどうにかする事も出来るが、それは、応急処置である。そして、本当は、元をどうにかしないといけない。と言ったと思う。つまり、応急処置では、要らない部分が含まれた状態である。なので、それは、本当の正解では無い。元からどうにかすると、要らない部分は一切含まれていない為、それが正解になる。
    頭側の計画で言うと、空想なので簡単に綺麗な形が作れる。なので、要らない物は一切入っていない状態になっている。
    では、頭側の計画を、実際に持って行くと、何が困るのか。それは、実際は、要らない物が含んである。という事。頭側は、その要らない物を考え辛い為、実際では通用し難くなっている。
    簡単に言うと、計画では、一日に100個できる。でも、そこにトラブル含め、要らない事は含まれていない。作業者がさぼる。や、作業者の体力。または、綺麗な物が100個出来るとも限らない。でも、そういう考えは、頭には全然ない。それは、頭と繋がっていない実際を知らないからである。知らない物は考えようが無い。でも、世の中は1から100まであり、何が起こるか分からない。それを分かった上でも、その考えが出て来ないのは、頭には要らない物を考える頭が無いからだと言える。
    では、実際側の人は、どういう計算をするのか。一日に100個できる。と実際側の人が言った。すると、それは自分なら、100個できるという意味になる。これは、前に言った、身体側は個人差がある、という奴。自分なら、というのは、要らない物も含め考えている。ただ、それは経験を元に出した計算で、本当の実際には、やって見ないと分からない。ただ、頭ほど、計算が狂う事は無い。それは簡単に言うと、要る物だけを取っている頭側と、要る物、要らない物、両方取っている身体側との差である。
    では、実際側でも、経験を積んで計算したはずなのに、その計算が狂うのはなぜか。それは簡単で、100から1まで、全部を知っている、もしくは、出来る人はいない。それが出来るなら、世の中に、何が起こるか分からない。と言う言葉は無くなっている。つまり、一からというのは、要る所だけを進む。100からというのは、要らない所も含め進む。という事。だから、空想の頭側と実際の身体側を一緒にしてはいけない。
    これを見たら、なぜ、頭側の人が神になる。などと発言をしてしまうのかが分かると思う。それは、良い所しか見えていないからだ。つまり、丸の部分は見えていても、丸と四角の間の部分は見えていない為、自分達がどこまで進んでいるかさえ、掴めていない。だから、全体が見えない世間とずれた空想の頭側は、神になった様な気分に浸れる。だけど、実際側は、現実をそのまま生きる為、創造主であろう神は、遠い存在にしか思えない。逆に遠過ぎて、存在すら考えない。

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  • 証拠

    良くテレビでは、行動による捜査をアナログと呼ぶ。要は科学ではない捜査は、旧捜査と思っている。が、それは、大きな勘違いである。
    それは、証拠を考えると良く分かる。
    例えば、ある部屋にパソコンがある。これを起動させたのは誰か?
    科学で言うと指紋。指紋を調べれば、誰が触ったか分かる。行動で言うと、その部屋に入った人は誰か。その部屋に入った人がパソコンを起動させている。
    つまり、パソコンに指紋が付いていても、パソコンを起動したとされる時間に、その部屋に入ってなかったら、その人は無実である。
    逆に、パソコンが起動されたとされる時間に、その部屋に入っていても、パソコンに指紋が付いてなかったら、その人は、無実である。
    ただし、パソコンに指紋を付けないで起動させる事は出来る。でも、その部屋に入っていないとパソコンは起動できない。遠隔操作など、やり方はあるだろうが、そういうのは、この例では置いておいて欲しい。
    証拠の強さ。として、その部屋に入っただけなら、言い逃れは何なりと出来るかも知れない。なので、証拠の強さは、確実に触った証拠である指紋。つまり、頭側になる。
    物理的証拠では、その部屋に入っていないとパソコンは起動できない訳だから、身体側の方が強い証拠になる。
    この証拠が、両方、揃っていたら、その犯人は、言い逃れが出来るだろうか。まず、出来ない。つまり、両方揃ってこそ、完璧である。この事からも、頭側、身体側、両方、要る事が分かると思う。

    悩みを解決する方法

    頭側は、プレッシャーなど、気負っていても、頭で考え何とかしようとする。要は、悩んだ時、頭を使い、そこで計画の様に空想で解決をする。空想で解決をした後、その通りに行動に出て、悩みを実際に解決する。
    身体側は、まず、プレッシャーなど、気負っている物をどうにかする。そうして、気負っている物を無くし、正常な状態になった後、考え行動に出る事で、悩みを解決する。
    頭側の場合は、頭を使い空想で解決した後、もしくは、行動に出て解決した後、気負っている物は、無くなる。
    身体側の場合、考えるときでさえ、気持ちを利用する。レジリエンス、逆境力。これを使う。これは精神を追い詰める感じだが、走る等で体力を疲労させても、良い考えは出る。
    考える。は、考え込む。と言う様に、落ち込む方向に行く。方向は、気分の良い浮かれる、気分の悪い落ち込む、の二つ。つまり、正常に戻した後、考える事で落ち込む方向に向かわせ、その反動で良い考えを出す。そして、良い考えを実行し、成功、解決する事で、考え落ち込んだ分、浮かれる方向に向かわす。
    一旦、正常に戻すのは、考える。という事だけに、集中する為。例えば、サッカー。シュートを打つのに、ソワソワしていたら、外す確率は高くなる。なので、ソワソワを無くし、シュートだけに集中する。集中すると、労力は当然、使う。労力を使うという事は疲労する。疲労するという事は、浮かれる落ち込むで言うと、落ち込む方向に行く。これと、やっている事は同じ。

    身体側のコミュニケーションは、このやり取りが多い。つまり、ソワソワさせたり、ソワソワを無くしたりする。まあ、悪戯したり、良い事をしたり、という感じ。なので、気持ちを左右するのは得意。
    頭側の言葉を使い、実は、身体側の気持ちを左右しているのが、身体側。例えば、言葉を頭で解釈をしたら、気分が悪くなった。という事は、身体側では、良い事をされている事になる。
    まあ、何をされているか、頭側の人には分かり難い。でも、頭を捨て、身体だけで考えられると、分かる。
    自分の気持ちを捨て、頭だけで考えると、頭側の言っている事が分かり易くなる。
    もちろん、気持ちの操作もやり方はある。これをマスターすれば、鬱すら、簡単にどうにか出来る。それは、鬱が、古い脳に反応する様に、身体側の出来事だからだ。ただし、左右できるのは、気持ちだけ。それに加え、その気持ちは、左右しているから正常になっているだけであって、身体側の人が左右しなくなれば、左右されていた人は元の鬱になった環境に戻る事が多く、元の鬱になった環境に戻れば、当然、また、鬱になる。簡単に言うと、指をナイフで切った。治っても、また、指をナイフで切ったら、それは、また傷になる。それと一緒。身体側の場合、全てこの原理が言える。身体で言えば、手術等で取り除いたりしない限り、絶対に同じ環境下なら再発する。
    簡単に言うと、身体側の人は、環境を作り、自分を左右する。悪さをしてしまう甘えた環境なら、厳しい環境に入り、悪さをしない様にする。こうする事で、自分を抑える。要は、精神が強いと言うと、自分に負けない人。と思うと思う。だけど、全部の出来事に負けない人はどこにもいない。何かは、絶対甘えてしまう。それを環境を整える事で、補う。
    例を出すと、皆が見ていたら、万引きは出来ない。なら、皆が見ている環境を作れば、万引きをしないで済む。気持ちも同じ。ソワソワするなら、ソワソワしない環境を作れば良い。身体側は、その気持ちの環境を作れ易い。ただし、得意不得意はある。それは、気持ちに関してもそうだし、気持ちの中でも悪い事をする方、良い事をする方、等ある。

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  • うつ病に関して

    鬱になる経緯。悩むと考える。考え込むと落ち込む方向に行く。悩みが解決できれば、浮かれる方向に行く為、問題はない。でも、いつまでも、悩みが解決できなければ、ずっと落ち込む方向に行く。自分の耐えられる限界を越えると、鬱になる。
    これは、問題で考えると分かり易く。テスト。解ける問題と解けない問題があると思う。点数を稼ぐにはどうするのか。この例では、50点取れば、鬱にならない、とする。その上、いつも通りにやれば80点は取れる、とする。解けない問題を時間いっぱいまで考える。これをすると、解ける問題も解かないままになる為、当然、点数は低い。大体、まんべんなく時間を使うと思う。すると、80点取れる。この通りにすれば、鬱にはなり難い。それは、解決出来た分、浮かれる方向に行くからだ。そのとき、解けない問題は、どうしたか。または、その後、解けない問題は、どうしたら、解ける様になるか。それと同じ様な事をすれば、鬱になり難かったり、気持ちを左右された後どうすれば良いのか分かったり、鬱になった原因をどうにかし易いとは思う。

    今のは、身体側の鬱で、もちろん、頭側の鬱もある。食べ物は、好きな物、嫌いな物、関係なくまんべんなく食べる方が身体にとっては良い。これと同じで、精神も偏った耐え方、甘え方をしていると、鬱になる。それは、耐えられる事に頼ってしまう為で、耐えられる事柄が少ないと、すぐに自分の精神の域を超えてしまう。なので鬱になる。数値で言うと、耐えられる数が5つで、それぞれ10耐えられるとする。合計50。100の出来事が来たら、当然、その人は潰れる。耐えられる数が30で、それぞれ5耐えられるとする。すると、合計では、150になる為、100の出来事が来ても耐えられる。頭側の方は、平均的に耐える。身体側の方は、一つの事を耐え過ぎない。ただ、鬱自体、身体側の物なので、平均的に耐える事は、頭側の事柄ではなく、身体側の物で分ける。例えば、同じ恐怖でも、絶叫マシンとお化け屋敷とでは、身体側で解釈すれば、全く別の恐怖感になる。ただ、名前を付けたり区別し易いのが、頭側な為、どれとどれが違うと分かっても、今のところ名前などは無い。

    同じ

    あつい。頭側では、暑い熱い厚いという風に、出す。
    身体側では、暑いなら、夏。浜辺。沖縄。等、連想で出す。身体側は、これを同じと言う。
    先程のテストの例を見ても分かると思うが、そういう風に連想するのが得意。なので、鬱をどうしたら良いか分からなくても他の事で、解けば、身体側は、大まかがある為、そのまま持って行ける。

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  • 自分に言い聞かす

    例えば、寒いとき、暑い暑い、と言って寒さを紛らわすと思う。これが頭側。
    身体側は、暑い時の体感を身体に出す。すると、少し寒さが紛れる。

    頭側は事柄を分かる。身体側は気持ちが分かる

    例えば、土砂崩れで家が潰れた。
    頭側は、その事柄は理解できるが、潰れた家の人の気持ちまではちゃんと分からない。
    でも、身体側は、その気持ちだけは分かる。でも、事柄は理解できない。

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  • 身振り手振り

    更新6月15日
    ジェスチャー、これは、身体側の物になる。
    一方、野球で使う様なサイン。これが頭側の身振り手振りになる。
    どちらも、身体を使った物だが、特徴は、環境に沿ったものか、壊したものか、の違いで、環境に沿ったものは、大抵の人が分かる。のに対し、環境を壊したものは、そのサインを勉強した者にしか分からない。
    環境に沿う。というのは、例えば、家のドアの取っ手部分を下に下げてから引くなら、そのままの動きをすると、相手に分かり易い。
    環境を壊す。というのは、環境に沿った動きと違う動きをする。その上で、頭側は、計画を主とする。なので、計画した動きを相手に伝える。