もう一つの思考

            我思う、故に我あり


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16/02/27   17/01/30


a. 我思う、故に我あり

「我思う、故に我あり」

これは、哲学者デカルトがフランス語の自著「方法序説」の中で提唱した有名な命題。

自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。という感じの意味らしい。





b. 頭側と身体側の感覚の違い

「我思う、故に我あり」の考え方は、頭側の考え方である。

身体側は、この逆で、自分の存在は、外の存在の一部である。
要は、自分の外の存在は疑えないが、自分自身の存在は疑える。




頭側の考え方を絵で表すと、上の絵の様な感じになります。
目を瞑ると、この絵の様に、自分はあるが外は真っ白の状態、と言える感覚になると思います。
これが、「我思う、故に我あり」の感覚です。





身体側の考え方を絵で表すと、上の絵の様な感じになります。
こっちは、自分が透明人間になったかの様な感覚になります。
自分は存在している様で外と一体化している、様な感じです。





c. 「我思う、故に我あり」その考えが出てきた理由

なぜ、「我思う、故に我あり」という考えが出たのか。


頭側は、自分自身を変える思考ではなく、自分の外側を変える思考である。
つまり、自分の外側を変えられる為に、自分の外側は、空想だと位置づけた。
逆に、頭側の思考で左右でき難い、自分の内側は、ほぼ固定状態となる為、存在する。と感じた。


身体側は、自分の外側は変えられないが、自分自身(自分の内側)を変えられる思考な為、自分自身は空想だと位置づける。
そして、身体側の思考で左右でき難い、自分の外側は、ほぼ固定状態にある為、存在を大きく感じます。


要は、自分側の思考で変えられる部分は、色々と変わる、変えられる為、存在しているのか錯覚してしまう。
自分側の思考で変えられない部分は、殆ど変化がない為、ずっと居るかの様に存在がはっきりとしてしまう。





d. 身体側

身体側だと、内側は、自由自在に動かせます。ですが、自分の外側は、殆ど動かせません。
その為、自分の外側に合わせる動きを取ります。

例えば、早く走りたいなら、自分の肉体を変え、早く走れる様にします。
これが、頭側の思考だと、自分自身を変えず、車など、自分の外側で自分の欲しい力を作り、自分の希望を叶えます。

つまり、身体側は、自分の外に合わせて、自分を作ります。
なので、自分が、自分の外側と合っていないと、自分は要らない存在だと思ってしまいます。

例えば、恋愛において、自分が居なければ、自分の好きな人は、良い道筋で幸せになれた。と考えられた場合、自分が居たが為に、その人の道順を壊してしまった。と考えられます。
身体側は、透明人間になったかの様な、外の空気の様な存在で、身体側の考え方の絵の黒く塗られている部分の様に、主張してしまっていると、邪魔な障害物に成り下がっている。と思ってしまいます。


先程の絵。


先程は、頭側の考え方の絵として紹介しました。ですが、これは、身体側が普段、見ている景色、景観です。

身体側は、自分の内側を司る思考な為、普段は殆ど自分自身しか見ていません。
発達障害者に多い、過集中が出来易いのも、この影響です。

動物に、 カメレオン という動物がいます。
カメレオンは、自分の外の背景に合わせて、自分の体色を変えます。
つまり、カメレオンの体色は、多色あり、それを自在に変えられる。
カメレオンが変えられる体色は、理論上、カメレオンよりも先に生まれたものの、色のみです。

カメレオンの体色は、元々、多色あります。
ですが、身体側は、自分自身の力を多種多様に自分自身でして、それから外側に合わせて、その力を変えます。
人間は、後天性の生き物なので、自分で自分を鍛えないといけません。

カメレオンが、背景と違う体色にしたなら、景観は当然、変わります。それでは、天敵などに簡単に見つかってしまいます。
その感覚と同じで、身体側は、外側で主張し過ぎないのが普通です。


だから、先程の様な、 自分の存在が邪魔 等という考えが出てきます。
そのときは、自分も自然の一部だと、自分に言い聞かせます。
要は、自然の流れを壊しても、自分もその自然の流れなんだ。という感じです。

カメレオンで言うと、背景により、体色を変えた姿でも、体色を変えない姿でも、同じ自然の景観である。という感じです。





ちなみに、身体側の考え方の絵として紹介した方は、頭側が普段、見ている景色、景観です。
自分を見るよりも、他を見ます。
そして、自分を主張します。
なので、頭側の人は、動物を絶滅させても、他を見て「人間も自然」と普通に考え、主張します。





{
e. 考えられている構造

「自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。」

これだけを読めば、自分はある。のだと確信できます。
これだけを読めば、自分が目で見ている光景などは、疑念を抱くかも知れません。


自分は、先に生まれたものよりも後に生まれ、後に生まれたものよりも先に生まれています。

先に生まれたもの > 自分 > 後に生まれたもの


影響と考慮 のページの、項目 a. 考慮と影響 から、
「自分は、自分よりも先に生まれたものに対しは動くが、自分よりも後に生まれたものに対しは動かない。」
「身体本体の中のものが動き、身体本体が動ける。その身体本体は、外の環境に合わせて動く。」
「自分は、後に生まれたものにより下から動かされ、先に生まれたものの中を動く。という事が分かり、 自分は何もしていない という事が分かります。」
とあります。

つまり、考えられる機関は、自分よりも後に生まれたものにより、創られています。
これは、 考えられる機関 だけです。

例えば、人間は、身体本体の生きている動きに加え、脳の動きにより、動いています。
自分の後に生まれたものにより、身体本体の生きている動きは出来ます。ですが、自分よりも先に生まれたものによる、外の環境がなければ、脳の動きは出来ません。
簡単にすると、
身体本体の生きている動き = 寝ている状態
脳の動き = 起きている状態
寝ている状態では、生きている動きは出来ても、脳の動きである考える事自体は出来ません。
起きている状態だと、生きている動きに加え、脳の動きである考える事も出来ます。

なので、考えられる機関だけでは、考える事は出来ません。それは、 考える内容が無い からです。
要は、起きている状態のときに考える事をしようにも、先に生まれたものの考える内容がなければ、寝ている状態である。という事。
例えば、パン生地を練る機械があっても、パンの生地が機械に入ってなければ、パン生地を練る機械でパン生地を練る事は出来ません。
これと同じ事です。考えられる機関があっても、考えられる内容がなければ、考えられる機関で考える事は出来ません。


影響と考慮 のページより、
「考慮は、自分よりも先に生まれたものに対しのみ行える」
とあります。

それは、考えられる内容を受け継げるのが、自分よりも、先に生まれたものからのみ、だからです。
自分よりも、後に生まれたものから、考えられる内容を受け継ぐ事は出来ません。

例えば、2010年に、2000年に作った炊飯器の内容を改良した炊飯器を作る事は出来ます。
ですが、2000年に、2010年に作られるはずの炊飯器の内容を改良した炊飯器を作る事は出来ません。
それは、2000年に、2010年に作られるはずの炊飯器の内容は分からないからです。
この例と同じ理屈で、考えられる内容は、先に生まれたものからしか、得る事が出来ません。


「自分は何一つしていない」

後に生まれたものにより、考えられる機関。
先に生まれたものにより、考えられる内容。
考えられる機関と考えられる内容があれば、考えられる機関で考えられる内容を考えられる。という訳ではありません。

考えるには、考える場。というのが必要になってきます。

例えば、卵と精子があれば、胎児になるかと言うと、そういう訳ではありません。
魚であれば、海や川などの場がないと、胚子には至りません。
人間であれば、母親の胎内という場がなければ、胎児には至りません。
要は、考えられる機関と考えられる内容があっても、 考える という育みを出来る場がないと、考える事は出来ない訳です。
その「考える」を育める場が、 自分 です。


これらの事から、先に生まれたもの、自分、後に生まれたもの、全て揃って、考える事が出来ている。という事が分かります。

なので、「我思う、故に我あり」の、
「自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。」
という言葉は、自分が見ている光景など含め、脳内で考えられている内容、全ての存在が疑えない。という事になります。





f. 頭側 ・ 身体側の解釈の仕方

大脳は、頭側(左脳)と身体側(右脳)がある為、大脳としての結果は一つでも、解釈(内容)は二つになります。


「我思う、故に我あり」から、

身体側の解釈では、考えられる機関と考えられる内容を、自分という場で育む。

頭側の解釈では、自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。という解釈により、
自分が、考えられる機関を使って、考えられる内容を扱い、考える事が出来ている。となります。

頭側も身体側も、結果の、考える事が出来ている。という事に変わりはありません。
ですが、解釈では、頭側の自分が考えている。というのと、身体側の自分は何もしていない。というのが、違っています。



トップページ の項目 c. 頭側から見た世界観 ・ 身体側から見た世界観 に載せてある図。

図3の頭側は、頭側のみを見る事が出来ています。
図4の身体側は、頭側と身体側の両方を見る事が出来ています。
大脳は、頭側と身体側で大脳なので、当然、頭側と身体側の両方を見る事が出来ます。

先に生まれたもの = 考えられる内容。
自分 = 考えられる内容と考えられる機関を繋ぐ、考えるを育む場。
後に生まれたもの = 考えられる機関で、考えられる内容を考える事が出来る機関。

照らし合わせると、大脳は、左脳(頭側)が生まれ、次に大脳が生まれ、最後に右脳(身体側)が生まれた。という事になります。
これは、 大脳の思考 の生まれた順です。



神離れのページの項目 b. 脳の三層構造仮説で見る、頭側と身体側 に、
「富士山から見れば、静岡県から見た富士山も、山梨県から見た富士山も、同じ。」
「頭側の人は、富士山から見た光景を見ています。」
「身体側の人は、静岡県から見た富士山と、山梨県から見た富士山の両方から、見る事が出来ます。」
とあります。


富士山 と、 静岡県から見た富士山 と、 山梨県から見た富士山 で、主となっているのは、富士山です。

「我思う、故に我あり」からの、頭側の解釈の、
「自分が、考えられる機関を使って、考えられる内容を扱い、考える事が出来ている。」
これは、自分から見た光景を言っています。
なので、頭側の解釈は、 主となる富士山から見た光景 になる訳です。


身体側から見ている光景が、静岡県から見た富士山と山梨県から見た富士山なら、身体側は、頭側と身体側を見ている事にはなりません。
それは、身体側が、頭側の富士山から見た光景を見ていないからです。
ですが、考えられる機関は、考えられる内容を、見られます。つまり、身体側で頭側を見ている事になります。

特殊相対性理論 のページに、
頭側の理論と、身体側の頭側の理論、身体側の身体側の理論。とあります。

頭側の理論 = 考えられる内容。
身体側の頭側の理論 = 考えられる機関から見た、考えられる内容。
身体側の身体側 = 考えられる機関。

考えられる内容と、考えられる機関から見た考えられる内容の、「考えられる内容」は、同じものでは無いです。
例えば、夫から見る夫の自分の働き具合と、妻から見る夫の働き具合では、働き具合は夫の働き具合一つなので、夫から見ても妻から見ても同じですが、働き具合の解釈は夫と妻とで違ってきます。
これと同じ理屈で、考える機関で見ている考える内容は、元の考える内容とは違う解釈になります。

そして、考えられる機関は、 考えられる内容 を考えられる機関です。
要は、考えられる機関と考えられる内容は、100対100です。
考えられる機関が考えられる事は、考えられる内容である。この言葉通り、考えられる内容全てを考えられる機関では考えられ、考えられる機関では考えられる内容全てしか考えられない。

考えられる内容を、考えられる機関で見ている。= 考える内容を見ている。
考えられる内容を、考えられる機関である。 = 考えられる機関。
だから、頭側の解釈の、富士山から見ている光景。に対した身体側の解釈は、静岡県から見た富士山と山梨県から見た富士山。となる訳です。



「頭側の解釈では、自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。という解釈により、
自分が、考えられる機関を使って、考えられる内容を扱い、考える事が出来ている。となります。」

頭側でも、考えられる機関、自分、考えられる内容、と三つに分けて出す事は出来ます。
そして、自分が考えられている内容は、どこから来たのか、という疑問は、頭側も抱く事が出来ます。

ですが、哲学者デカルトが書いた、方法序説が発行された、1637年から、今まで、「自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。」という事が、「自分が考えられている内容全ての存在が疑えない。」となる。という事は、誰も言っていません。
逆発想で、自分の存在は疑える。でも、自分以外の存在は疑えないのではないか。と考えられたくらいです。

これが、頭側の思考と身体側の思考間での遠さです。


問題は、考えられる内容が、どこから来たのか。という疑問が出てこなかった事です。

頭側の解釈では、例の富士山や「我思う、故に我あり」でも分かる様に、解釈が一括りになっています。
自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。
全て、自分一つの事を言っています。

先に生まれたものは、後に生まれたものを一括りに出来ます。(主の法則
例えば、宇宙空間からすれば、地球や人間の事は、宇宙空間の事。と出来ます。
先に生まれたもの > 自分 > 後に生まれたもの
の、先に生まれたものは、先に生まれたものという自分以降の事を、自分の事の様に出来る。という事です。

これが、頭側の解釈の仕方になっています。





g. 最後に

地球上では、先に生まれた黒人を、後に生まれた白人が、制圧するかの様な差別発言をしている国があります。
つまり、頭側にとって、育った身体側は、知能的に脅威になり得るでしょう。

ですが、後に生まれたものは、先に生まれたものに絶対に勝てません。
極端に言えば、
人間が、植物や動物を絶滅させれば、人間は、絶滅します。
この事から、黒人や頭側の思考が絶滅すれば、白人や身体側の思考も、絶滅します。

要は、頭側が知能を高められなければ、知能は、そこでストップしてしまう。という事です。

知能がストップしても、頭側を制圧できるなら、身体側は、それで良い。と思うかも知れません。
ですが、知能が偏れば、この世は、悪い方向に進みます。

現在の、地球温暖化を後退どころか、進行を止めるどころか、進行を遅らせる事が精一杯。となる様な事になります。

なので、身体側にとって、頭側の知能は欠かせません。
それは、頭側にも言える事で、この世を生きるなら、身体側の知能は欠かせません。


「我思う、故に我あり」から、
結果の、考える事が出来ている。に変わりはなかったですが、
頭側の解釈の、自分以外の存在は疑える。でも、そう考えられている自分自身の存在は疑えない。から、
身体側の解釈の、自分が考えられている内容全ての存在が疑えない、となる。
という展開は、逆転の発想であり、これが考えられる利点は、大きいです。

身体側の知能の重要性を、見て取れるかと思います。


ですが、頭側と身体側だけでは、現在の頭側と同じ様に、身体側も、身体側の知能の成長で、ストップさせるでしょう。
}




トリセツ


一層構造の脳とは、「脳幹」のみの構造。
二層構造の脳とは、脳幹と「小脳」の構造。
三層構造の脳とは、小脳と「大脳」の構造。
「カギカッコ内は、その構造での中心となる脳。」

二層構造の脳の中心となる小脳の思考内容は、 主 と 副 の二つあります。

三層構造の脳の中心となる大脳の思考内容は、 頭側 と 身体側 の二つあります。

記号のトリセツに書いてある、二層構造の脳に入るもの。三層構造の脳に入るもの。というのは、その構造での中心となる脳の思考内容に当てはまるもの。

詳しくは、 三構造の脳の創り のページを御覧下さい。


三層構造の脳の二層目の法則、三層目の法則に関しては、トップページの項目、 b. 脳の二層目の法則・脳の三層目の法則の意味 を御覧下さい。



このサイトに書いてある数値は、適当な数値であり、頭側の計算の様な完璧な数値ではありません。



トリセツは、そのページ事に異なります。また、トップページに全ての トリセツ を載せてますので、そちらを御覧下さい。



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   本ページが関連するページ   
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簡単に言うと、本ページを応用した内容が書いてあるページ。



記号のトリセツ

{ 赤色のナミカッコ } は、 二層構造の脳 のもの。
{ 青色のナミカッコ } は、 三層構造の脳 のもの。


{{ 黄色のニジュウナミカッコ }} は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の二層構造の脳のもの。
「{ 黄色のカギカッコにナミカッコ }」 は、黄色のニジュウナミカッコの、意味、理由、説明。

{{ 緑色のニジュウナミカッコ }} は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の三層構造の脳のもの。
「{ 緑色のカギカッコにナミカッコ }」 は、緑色のニジュウナミカッコの、意味、理由、説明。



(( 黒色のニジュウマルカッコ )) は、二層構造の脳の、 主 に入るもの。
「( 黒色のカギカッコにマルカッコ )」 は、二層構造の脳の、 主 に入る意味、理由、説明。

(( 白色のニジュウマルカッコ )) は、二層構造の脳の、 副 に入るもの。
「( 白色のカギカッコにマルカッコ )」 は、二層構造の脳の、 副 に入る意味、理由、説明。


(( 緑色のニジュウマルカッコ )) は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の二層構造の脳の、 主 のもの。
「( 緑色のカギカッコにマルカッコ )」 は、緑色のニジュウマルカッコの、意味、理由、説明。

(( 黄色のニジュウマルカッコ )) は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の二層構造の脳の、 副 のもの。
「( 黄色のカギカッコにマルカッコ )」 は、黄色のニジュウマルカッコの、意味、理由、説明。



[ 青色のカクカッコ ] は、三層構造の脳の二層目の法則の、 頭側 に入るもの。
「[ 青色のカギカッコにカクカッコ ]」 は、三層構造の脳の二層目の法則の、 頭側 に入る意味、理由、説明。

[ 赤色のカクカッコ ] は、三層構造の脳の二層目の法則の、 身体側 に入るもの。
「[ 赤色のカギカッコにカクカッコ ]」 は、三層構造の脳の二層目の法則の、 身体側 に入る意味、理由、説明。


[ 緑色のカクカッコ ] は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の三層構造の脳の二層目の法則の、 頭側 のもの。
「[ 緑色のカギカッコにカクカッコ ]」 は、緑色のカクカッコの、意味、理由、説明。

[ 黄色のカクカッコ ] は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の三層構造の脳の二層目の法則の、 身体側 のもの。
「[ 黄色のカギカッコにカクカッコ ]」 は、黄色のカクカッコの、意味、理由、説明。



青色の囲い は、三層構造の脳の三層目の法則の、頭側。または、頭側の頭側。に入るもの。
「| 青色のカギカッコに縦ライン |」 は、三層構造の脳の三層目の法則の、頭側。または、頭側の頭側に入る意味、理由、説明。

ピンク色の囲い は、三層構造の脳の三層目の法則の、頭側の身体側。に入るもの。
「| ピンク色のカギカッコに縦ライン |」 は、三層構造の脳の三層目の法則の、頭側の身体側に入る意味、理由、説明。


赤色の囲い は、三層構造の脳の三層目の法則の、身体側。または、身体側の身体側。に入るもの。
「| 赤色のカギカッコに縦ライン |」 は、三層構造の脳の三層目の法則の、身体側。または、身体側の身体側。に入る意味、理由、説明。

水色の囲い は、三層構造の脳の三層目の法則の、身体側の頭側。に入るもの。
「| 水色のカギカッコに縦ライン |」 は、三層構造の脳の三層目の法則の、身体側の頭側。に入る意味、理由、説明。


脳の三層目の法則は、一部から、二部、三部と、永遠に続きます。
囲い、カギカッコに縦ラインは、一部の側の、最後の側の色を付けます。
例えば、頭側の身体側の頭側なら、一部の頭側と最後の頭側で、 青色の囲い 「| 青色のカギカッコに縦ライン |」
身体側の頭側の頭側なら、一部の身体側と最後の頭側で、 水色の囲い 「| 水色のカギカッコに縦ライン |」


緑色の囲い は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の三層構造の脳の三層目の法則の、 頭側 のもの。
「| 緑色のカギカッコに縦ライン |」 は、緑色の囲いの、意味、理由、説明。

黄色の囲い は、勝手に作った法則。または、造語。または、頭側の言葉を借りたけど意味が違うもの。の三層構造の脳の三層目の法則の、 身体側 のもの。
「| 黄色のカギカッコに縦ライン |」 は、黄色の囲いの、意味、理由、説明。



紫色の縦横のラインは、お題。

{ 紫色のナミカッコ } は、新たに更新した行や段落。
更新日付をクリックして下さい。